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『お出かけ』を増やすことを決めた翌日。
ローレンスは俺の手を引いて、レッドグレイヴ公爵の執務室へ向かった。
そして、無遠慮にその扉を開け放つ。唐突な訪問者の登場にレッドグレイヴ公爵は驚き、ローレンスと俺を認識すると苦々しい顔になった。
「ローレンス卿。急な来訪すぎでは──」
「おはようございます、公爵閣下」
「……おはようございます」
ローレンスが公爵の苦言を爽やかな挨拶で遮る。レッドグレイヴ公爵はなにかを言い返したそうな顔をしたが、ぐっと堪えて挨拶を返した。
「なにか御用ですか?」
「イーディス様は『どなたかの』長年の行いのせいで、お体の発育が不足しております。彼女の健康を取り戻すため、外出を増やしますので。これは決定ですから、あしからず」
問いかけられて、ローレンスは会話する時間が一秒でも惜しいというように早口で用件を告げる。
「……決定ですか」
「ええ、決定です」
ふうとため息をつきながら言われて、ローレンはにこりと笑いつつそう言った。
「それと。貴方がたがイーディス様の体につけた傷は、すべて、余すことなく、治癒させていただきましたので」
「すべて、ですか」
レッドグレイヴ公爵の目が驚きに瞠られる。
並の……いや。上位の魔力の持ち主でも、あの数の傷をすべて治すためには相当な時間がかかるだろう。
ローレンスはそれをあっさりとやってのけたのだ。
「魔力がないというだけで……血の繋がった娘によくこんなことをできたものだ。下衆と言わざるを得ませんね」
はっと小さく息を零しながら、小馬鹿にしたようにローレンスが言う。
するとレッドグレイヴ公爵の眉間に、深い皺が寄った。
「魔力がないということは、それだけで罪なのです。魔力の高さを買われて獅子王陛下に拾われた貴方は、魔力の大事さを重々承知しているでしょう?」
……これは、ローレンスにとっては返しが難しい問いかけかもしれない。
俺がローレンスの魔力の強さに感嘆し、彼を側に置いたことは事実なのだから。
しかし、ローレンスの表情は凪のように静かなものだった。
「たしかに魔力がなければ、私は獅子王陛下に拾われることはなかったかもしれない。しかし──」
ローレンスは言葉を切ると、こちらにちらりと視線を向ける。
おいおい、意味深な視線を投げるんじゃない。妙な勘繰りでもされたら……というのは今さらか。
『魔力なし』の従者に、獅子王の元腹心がなりたがったのだからなぁ。公爵家の面々は、わけがわからないだろう。
「獅子王陛下は私のことを『魔力なし』だと差別はしなかったでしょうね。あの方は、そういう人です。むしろ『魔力なし』を差別する人々を軽蔑していた」
ローレンスはこちらを見つめたまま言うと、優しい微笑みを浮かべる。
ちょ、ちょっとだけドキッとしたのはきっと気のせいだ!
たしかに俺は、『魔力なし』への差別の根絶を目指していた。
生まれながらのどうしようもないことで差別されるなんておかしいと、そう思ったからだ。
……しかしそれは、周囲からはまったく理解が得られないことだった。
魔力を持っている皆が『魔力持ち』であることを誇りに思っているし、自身のアイデンティティとして捉えている。そして、『魔力なし』は下に見ていい対象だと自然に認識していた。それはどれだけ優しく見える者でもそうだ。
長くをかけて積み上げられたそんな意識を改革することは、『獅子王』にだって許されないことだったのだ。
「貴方のやっていることは、獅子王陛下が忌み嫌っていた行為です」
「──ッ!」
その一撃はレッドグレイヴ公爵の心を深く抉ったようだった。
レッドグレイヴ公爵は小さく呻くと、胸のあたりをぎゅっと掴み、ローレンスを睨みつける。そんな彼を、ローレンスは鼻で笑った。
「まぁ、そんな話はいいですね。言いたいことはすべて言いましたので。行きましょう、我が君」
「あ、ああ」
ローレンスに手を引かれ、執務室を後にする。振り返ってちらりと見たレッドグレイヴ公爵は、顔色を真っ青にして沈んだ顔をしていた。




