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 そもそも、リアナはなにをしに来たんだ。

 ローレンスと一緒なら、部屋に寄りつかなくなると踏んでいたんだがなぁ。

 ……ローレンスの前で俺を虐げようとすれば、また昨日の二の舞いになると思うんだが。

 リアナをしたのだろう間のあとに、ぺこりと頭を下げた。

 それはわずかな時間だったが、『あの』プライドが高いリアナが頭を垂れたことに俺は驚く。


「ローレンス様に昨日のお詫びをと思い、こちらに参りました」


 なるほど、今日のリアナは俺を傷つけに来たわけではなかったのか。

 謝罪自体は悪いことではないと思うが、その言い方だとローレンスの神経を逆なでしないだろうか。


「謝罪なら不要です。そもそも貴女が謝る相手は我が君でしょう。そして……貴方がたが今まで我が君にしたことを私は一生許す気なんてない。貴女の謝罪には、意味も価値もない」


 案の定、ローレンスはこめかみに青筋を立てつつ強い言葉を吐く。その怒りに満ちた声音は、背筋をひやりと冷やした。

 ローレンスの言葉を聞いたリアナはショックを受けた表情になり、大きな目を潤ませる。その瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。


「我が君を害した貴女は、虫けら以下の存在だ。早くこの場から消えてください、目障りです」


 泣きそうなリアナに、ローレンスはさらに言葉を叩きつける。

 うう、さすがにそれは言い過ぎなんじゃないか? そう思った俺が、ローレンスを止めようとした時──。


「ひどい! わたくし、こんなにローレンス卿のことをお慕いしておりますのに……!」


 意外すぎるリアナの言葉に、俺は目を瞠った。

 リアナはローレンスのことが好きなのか!?

 二人が社交の場で出会っていても、ぜんぜんおかしくはないが……。

 しかしローレンスのこの様子は、どう考えても『脈あり』というふうには見えない。


「貴女からの好意など、ひと欠片もほしくありません」

「──ッ!」


 ローレンスは容赦なく、リアナを責め立てる。


「ローレンス。それはさすがに……!」


 制止の声を上げれば、ローレンスはちらりとこちらを見る。

 同時に、リアナの敵意に満ちた鋭い視線も俺に向けられた。うう、そんな目で見られてもな……!


「イーディス様はご存じないのです。この女に私がどれだけ粘着されて困っているのかを」

「ね、粘着ぅ!?」


 新たな事実に、俺は素っ頓きょうな声を上げてしまう。


「はい、さんざんつけ回されていました。好きでもない人間の好意なんて、迷惑なだけなのですけどね。もらっても質屋に売れもしませんし」


 ……ローレンスは本当に容赦がないな。

 リアナが、えぐえぐ言いながら泣いちゃってるじゃないか。気まずすぎてリアナの方に視線をやれない。

 もともと……リアナに対するローレンスの好感度は高くはなかったのだろうが、俺を虐げていたという事実によりその評価は地の底を掘り進められるほどに下がってしまったのだろう。


「イーディス!」


 鋭い声で名を呼ばれ、俺はびくりと身を震わせる。リアナを見れば、彼女は涙を流しながら怒りに顔を歪めていた。

 いやいや、そんな顔で見られてもな。リアナの恋が決定的に叶わなくなったのは、自分の日頃の行いのせいじゃないか。


「お前、覚えてなさい!」


 リアナはそう叫ぶと、激しい足音を立てて部屋を出て行く。

 これは、さすがに理不尽な八つ当たりすぎるだろう。


「本当に呆れた女ですね」


 ローレンスはそうつぶやくと俺に向き直る。そして……。


「さ、治療を再開しましょう!」


 と、満面の笑みを浮かべつつ言ったのだった。

 ……そのうち、リアナに毒でも盛られたりしないだろうな。

 ローレンスの治療を受けながら、俺はそんなことを思う。

 そんなことをすればローレンスの怒りを買うだけなのだが、リアナは損得計算ができるタイプじゃないからなぁ。

 うう、早くこの家を出たい。


 治療を再開したローレンスは、俺の体の傷をひとつ残さず消してしまった。

 ……お尻にあった傷も容赦なく治療され、少しばかり尊厳を失った心地になったのは内緒である。


「入るぞ、イーディス」


 午後になると、めずらしく長兄のディリアンも部屋にやって来た。

 彼は眼鏡のフレームを指先で上げながら、眉間に深い皺を寄せつつ俺とローレンスを交互に見る。

 ローレンス手製の焼き菓子で午後のお茶をしていた俺は、ディリアンの登場に首を傾げた。


「お兄様。なにか……」


 立ち上がってカーテシーをしようとすると、手を挙げて動きを制される。俺は大人しく、ふたたび椅子に腰を下ろした。

 一体なにをしに来たのかと思いながら、ディリアンの言葉を待っていると──。

 

「……なにか改善してほしいことはあるか?」


 そんな意外なことを訊かれたのだ。


「いえ。なにも……」

「日々に不満はないというのか?」

「はい、まったく」


 エドゥアール殿下の婚約者になってから、『それなり』程度には待遇は改善された。

 寝具がすべて薄くて裂けているだとか、衣類が擦り切れてボロボロだとか、飯が微量の残飯だとか、そんなことがない現在の生活は実に快適だ。……長年の虐待のせいで『イーディス』の快適さを感じる基準が低いことは否めない。


「いや、なにかあるだろう! もっとパーティーに連れて行けとか、ドレスがほしいとか、もっといい部屋にしろとか、食事を豪華にしろとか、使用人を増やせだとかな!」


 ディリアンは、眼鏡を上げ下げしながら苛立った口調で言う。

 なるほど、これは明らかな『懐柔』だなぁ。

 ローレンスがこちらについたので、ひとまず機嫌を取っておきたい……というところか。そして取りたいのは、俺ではなくてローレンスの機嫌だな。

 さすが、今まで下手に出る機会がほとんどなかったレッドグレイヴ公爵家というか……。表面上だけの謝罪や改善なんて神経を逆撫でするだけだと、どうしてわからないのだろうか。


「今さら、イーディス様のご機嫌取りですか。本当にわかりやすいですね」


 案の定、ローレンスは今にも舌打ちしそうな不機嫌な様子だ。


「……なんのことでしょうか、ローレンス卿」


 ディリアンは気まずげに言うと、答えを急かすように俺に視線を向けた。


「パーティーにもドレスにも興味がないですし、部屋も今のもので事足りています。ご飯はローレンスが用意してくれるものがちょうどいいです。使用人はローレンスだけで……いえ、だけがいいです。今までの私に対する使用人たちの態度を考えると、彼らを側に置く選択肢はありません」


 食い下がられても面倒なので、少々強気な態度に出てみる。ローレンスがいるから、暴力暴言を浴びせられることもないだろうし。……虎の威を借る狐感は否めないが、いらないものはいらないのだ。特に使用人なんて、スパイのようなやつが用意されるだろうしな。逐一見張られ行動を報告されるなんて、まっぴらだ。


「ぐ……」


 ディリアンは言葉に詰まり、不満だと言わんばかりに口をへの字に結ぶ。きっと、レッドグレイヴ公爵に『なんでもいいから機嫌を取ってくるように』と厳命されてるんだろうなぁ。中間管理職的な立場は気の毒ではある。


「あ、そうだ……」


 ひとつだけ、ディリアンに頼みたいことがあったんだ。そのことに思い至る。


「なんだ、思いついたのか?」


 俺のつぶやきを聞きつけたディリアンは、表情を少し明るくした。


「リアナお姉様をこの部屋に近づけないでもらえると……嬉しいなぁ、なんて」


 小首を傾げながら、そんなふうにおねだりしてみる。

 手負いの熊みたいなリアナとは、正直関わり合いになりたくないのだ。


「わかった……善処する」


 ディリアンは苦々しい顔をしてからため息をつき、部屋を出て行った。


「……ディリアンにリアナを止められると思うか?」


 ディリアンの気配が遠ざかるのを確認してから、ローレンスに訊ねてみる。


「無理でしょうね。彼の押しの弱さと、あの女の暴れっぷりは相性がとても悪い」


 するとローレンスは、あっさりと言って首を横に振った。


「まぁ、そうだよなぉ。メリアンとエイプリルは協力なんてしないだろうし」


 俺は同意をし、苦笑いする。


「あの女に会いたくないのなら、お出かけを増やしましょうか。私となら、誰も文句を言わないでしょうし。出かけることで、体力づくりにもなります」

「お出かけ……いいな。毎日したい!」


 ローレンスの提案に俺はぱっと顔を輝かせる。

 そうか……。ローレンスがいれば、こそこそと出かけなくていいんだ!


「毎日は疲れるのでダメですよ」

「……ダメかぁ」


 釘を差されて、俺はがくりと肩を落とす。

 そんな俺を見て、ローレンスは小さく笑った。


「毎日でなければよいですよ、我が君」

「わかった! ついでに魔物もたくさん狩りたいな。……俺が死んでから、積極的に討伐が行われてないみたいだし」

「そうですね、大物を狩りましょう。二人ならなんでも狩れれますよ」

「そうだな、ローレンス!」

 俺がにぱっと笑うと、ローレンスも微笑みを返してくれる。

 うん、これから楽しくなりそうだ。

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