29
「っ、ひっ……!」
強固な氷の檻に囚われたリアナが、小さな悲鳴を上げる。彼女は必死に身を捩ろうとしているようだが、隙間なく拘束されておりそれは叶わない。その哀れな様子は、生きたまま標本にされた蝶のようだった。
「リアナ……!」
レッドグレイヴ公爵が氷に向けて魔法を放とうとし……その動きをぴたりと止める。リアナが傷つく可能性を考え、躊躇したのだろう。兄姉たちと公爵夫人も、どう動くべきか考えあぐねているようだった。
「ローレンス卿。リアナが失礼を働いたことは謝罪します。リアナの拘束を解いてくださいませ……!」
公爵夫人が眉尻を下げながら、ローレンスに懇願する。
ローレンスはふんと小さく鼻を鳴らしただけで、公爵夫人のことを一顧だにしなかった。
レッドグレイヴ公爵家の者たちの方が爵位が高く、人数も優勢だ。その上、彼らは『武』に優れている。それでも公爵家の面々は──ローレンスに対して強硬手段に出ることをためらっていた。
彼らは……それほどローレンスのことを恐れているのか。
だから俺の従者になる話も、渋々ではあるがすぐに通ったのだろうな。
「文句があるなら、かかってきてください。いつでも、どこからでもよろしいですよ。獅子王陛下が亡くなってから安穏と過ごしていた貴方たちと、日々研鑽を積みながら魔物退治に奔走していた私。どちらが勝つかは明白だと思いますがね」
ローレンスは冷たい口調で、傲慢に言い放つ。
それは虚勢からの言葉ではないと……その自信に満ちた態度からやすやすと察せられた。
「口が過ぎますよ、ローレンス卿!」
「本当のことですから」
長兄のディリアンが噛みついたが、甘噛みにも満たないとばかりにさらりと流される。
公爵もなにかを言おうとしたようだったが、悔しそうに口を噤んだ。
長女のメリアンは興味深そうにローレンスを見つめており、二女のエイプリルは感情が読めない表情で沈黙している。
……ローレンスは、ずいぶんと恐ろしい男に成長したなぁ。少年の頃は、あんなに可愛かったのに。これは喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。
ローレンスは唇まで真っ青にしているリアナに視線を向けると……見ていてぞっとするくらいに美しい笑みを浮かべた。
「──さて。このまま砕いてあげましょうか。我が君を……愚弄した罰です」
彼は続けて恐ろしいことを言い、その場の空気がとてつもない緊張感を孕むものとなった。
「待って! お許しください……!」
「許すわけないでしょう。貴女は我が君に暴言を吐いた」
リアナが涙を流しながら叫ぶが、ローレンスの答えは非情なものだ。
ああもう、このままじゃ本当にリアナが殺される!
「ちょっ、ローレンス! 待て! お座り!」
ローレンスに人殺しをさせるわけにはいけない。俺は必死に彼を制止するための叫びを上げる。
……犬に指示を出す時のような声掛けになってしまったが、これはローレンスが犬っぽいから悪い。
「はっ! 我が君!」
ローレンスは即座に叫びに反応し、俺の前に跪いた。
「俺……いや、私のことを想ってくれての行動だとはわかっているけど、人殺しはダメだ。リアナにかけた魔法を解いてくれ」
「わかりました、我が君」
ローレンスはあっさり同意すると、指をぱちりと鳴らす。すると、リアナを取り巻いていた氷は幻のように消え去った。
よかった……ひとまずは殺人を回避できた。俺は安堵し、その場にへたり込みそうになる。
『イーディス』をずっと虐げていたリアナに愛着はまったくないが、それでも殺すのはダメだ。
リアナは火の魔法で暖気を起こし、自身の体を温めている。そうしながらも、彼女は俺を鋭い視線で睨みつけていた。
……こんなことになったのは、リアナ自身の癇癪のせいなんだがなぁ。
「我が君。素直に言うことをきいたご褒美をください」
ローレンスは俺を見上げながら、うっとりとした表情でそう乞うてきた。
「……えええ。俺にあげられるものなんて、なにもないぞ」
俺は爪弾きの『魔力なし』なので、財産のようなものはない。
魔物を退治して溜め込んだ素材ならあるが、ローレンスならもっといいものを手に入れられるだろうしなぁ。
「頭を撫でてくだされば、それでいいので」
「わかったよ、もう」
頭をそっと撫でてやれば、ローレンスは嬉しそうに目を細める。
こうしていると、可愛いわんこみたいなんだけどな。
「イーディスに助けられたなんて……思わないから!」
体をしっかりと温めたリアナは、そんなふうに叫ぶとそそくさと食堂を出て行く。
「あの女……懲りないですね」
ローレンスは立ち上がると、不快だという表情で言った。
「……お腹が空いたわ」
「そうね。もうぺこぺこ」
エイプリルがぽつりと言い、メリアンもそれに同意する。
ディリアンは眉間に深い皺を寄せたあとに、ふーっと大きな息を肺から吐き出した。
「……では、朝食にしよう」
レッドグレイヴ公爵が表情に複雑な感情を滲ませながらそう告げ、家族たちは食卓に着く。
平素家族と朝食を食べていない俺は、部屋に戻ろうと一礼してから身を翻した。
……背中に視線が刺さっているような気がするが、気にしないようにしよう。




