第五王子の初恋4
胸がいろいろな感情でぐちゃぐちゃになる。
平民の少女に真っ向から正論で諭され、頬をぶたれて。悔しくて、情けなくて──。
そして、嬉しかった。
こんなふうにちゃんと正面から叱ってくれる人間には、はじめて出会ったから。
皆が僕に、怒るほどの関心なんて持ってくれなかったから。
目に涙がせり上がり、それは頬を流れていく。
すると彼女は困った顔をして、僕の頬を流れる涙を指で優しく拭った。
下半身の濡れた感触もなくなったので、浄化魔法もかけてくれたのだろう。
「……貴方にも事情があるのだろうに、言い過ぎた」
「いや、その。僕も……その」
ちゃんと、彼女に謝罪をしなきゃ。そして、お礼を言わないと。
それくらいできないと、僕はずっとダメなままだ。
「……悪かった。それと、助けてくれてありがとう」
謝罪と礼を言うと、心がふっと軽くなった。
人にこんなことを言うのは、何年ぶりのことだろう。
僕の言葉を聞いた少女はふっと口角を上げる。
その微笑みは聖女みたいに美しくて、胸がずんと貫かれたような気がした。
心臓がばくばくと大きな音を立て、胸が苦しい。なんだ……これは。
「こちらも、ぶってすまなかった。痛かったか?」
「いや、まったく痛くなかった」
「……そうか」
彼女はそう言うと身を離し、なぜか鳥の魔物の死体を拾う。
それを見て、僕は首を傾げた。
「魔物の死体なんてどうするんだ?」
「食べる」
「そんなものを食べるくらいに、貧しいのか?」
「まぁ、そんなところだ」
少女は会話の間にも、てきぱきと下処理を済ませていく。
僕は流れる血を見ていられなくて、情けなくも目を逸らしてしまった。
……この少女は、どんな人生を送ってきたのだろう。
細い手足。傷だらけの体。食肉よりも味が劣る、魔物肉を食べなければならないような状況。
どう考えても、よい環境にいるとは思えない。
この国の人間は『魔力量』で人生が決まると言っても過言ではない。
あんなにすごい魔法を使える魔力量を持っているのに……どうしてこの少女は苦境に立たされているのだろう。
「じゃあ、俺はそろそろ行くな」
少女はそう言うと、魔物片手に立ち去ろうとする。
僕は慌てて、彼女の服の裾を引いた。
「一人で、森の出口まで行くのが怖い。……連れて行け」
それは半分本年で、半分はもっと彼女を過ごしたいからだった。
「わかった、一緒に行こう」
少女は獲物を持っていない方の手を僕に差し出す。
こ、これは。手を繋げということか!?
「は? 手?」
「嫌なら──」
「嫌じゃない!」
慌てていると、少女は手を引っ込めようとする。
僕は自分の衣服で丁寧に手を拭ってから、少女の手を取る。
彼女の手はあまりにも小さくて、強く握ると折れそうなくらいに華奢だった。
「お前、いくつなんだ?」
「俺か? 十六だ」
「……十六。僕のふたつ上か」
少女の見た目は、ちっとも十六歳には見えない。
僕と同じくらいか年下かと思っていたので、少し驚く。
「ふふ。年上は敬っていいんだぞ」
「……お前、女なのになんでそんな言葉使いなんだ?」
「人それぞれ、事情があるんだ」
「ふぅん」
会話をしながら、僕たちは森の出口へと向かう。
繋いだ手から自分の大きな鼓動が伝わるんじゃないかと、僕は心配になる。
こんなにドキドキしているのを悟られたら、かっこ悪いと思われてしまわないかな。
──ああ、ダメだ。僕は彼女が好きなんだ。
自覚した瞬間に、胸は一層締めつけられる。
それからはふわふわした心地になり、どんな会話をしたのかまったく覚えていない。
そして気がついた時には、森の出口にたどり着いていた。
彼女には、二度と会えないかもしれない。
気持ちを伝えるか一瞬迷ったが……。
僕は……彼女に不釣り合いだ。
その上、僕はレッドグレイヴ公爵家の娘との婚約話を控えている身だ。
遠ざかる華奢な背中を見送り──僕は彼女の名前も聞いていないことに気づいた。