第五王子の初恋3
「ひぃいいいっ! 来るな! 来るなぁ!」
がむしゃらに剣を振り回しながら、逃げる糸口がないかと周囲を見回す。
すると……木陰に隠れてこちらを見ている少女と視線が合った。
びっくりするくらいに、綺麗な少女だ。一瞬、その可憐な美貌に見惚れてしまいそうになる。
──いや、そんな場合ではない。
少女は襤褸を身に纏っており、決して高貴な身分には見えない。十中八九平民だ。
ならば、王族である僕を生かすためにその命を捧げてもらおう。
それが……王家に仕える臣民の役目なのだから。
「そこのお前! 僕を逃がすための囮になれ!」
少女は驚いた顔をしたあとに、見ていると心が冷えてしまいそうな……明らかな軽蔑の表情を浮かべた。
しかし僕の命に逆らうつもりはないようで、ため息をつきなからこちらへやって来た。
ああ、この少女の命はすぐに潰えてしまうのだろう。
残忍な光景を想像してしまい、罪悪感が胸に過る。
だけど仕方ないじゃないか。王族である僕の命の方が、彼女のものより価値がある。そんなことは明白だ。
震える足に力を込め、少女を置き去りにして駆け出そうとした時──。
「……行け」
小さな、けれど強い力が込められた声が空気を震わせた。
少女の影から無数の『針』が飛び出し、魔物たちを容赦なく刺し貫く。
目の前で起きたことが、信じられなかった。無力に見えた少女が……驚くほどに繊細な魔法制御を見せたのだ。
少女の猛攻は、止まらない。
「雷鳴!」
高位の魔術師しか使うことができないと言われる、中位魔法。
目の前の少女はそれを呪文の詠唱もなしに、瞬時に行使してみせた。
中位以上の魔法の使用には、通常ならば長い呪文の詠唱が伴う。しかし彼女は詠唱をする素振りすらせず、軽々と中位魔法を操ったのだ。
「なんだ、これ」
目の前の光景が信じられない。
なんなんだ、こいつは。こんなの、まるで──。
──獅子王陛下じゃないか。
少女の銀髪が風に靡き、きらきらと眩しい光を放つ。白いワンピースの裾がはためき、人生で一度も陽に当たっていないのかと疑ってしまうほどに白い足が太ももまで剥き出しになった。
「わ……っ」
とっさに手で顔を覆おうとしたが、とあることに気づいて少女の足から視線が外せなくなってしまう。
彼女の白い肌には──人に傷つけられたものだろうたくさんの痛々しい傷があった。
ふと、少女がこちらに顔を向ける。綺麗な青の瞳と目が合った瞬間。僕はなんだかいたたまれない気持ちになってしまった。
自身の股間のあたりに少女の視線が動き、その視線を追った僕は自身が漏らしていることにようやく気づいた。
「なっ……なっ……。なんなんだ、お前は! あんな、化け物みたいな魔法をっ……!」
漏らしたのを見られた羞恥も手伝って、口から零れたのは罵倒の言葉だった。少女はそれを聞いて、大人びた表情で薄く目を細める。
そして、蕾のように愛らしい唇を開いた。
「助けてもらってそれはないのではないか? 礼のひとつくらい言うべきだと思うのだが。それに、人を囮にしようとするなんて卑怯な行いだ」
彼女は男のような言葉遣いで、僕を諌める言葉を連ねる。
それを聞いて、怒りがカッと湧き上がった。
僕は当然のことをしただけだ。礼なんて言う筋合いがない。
僕は王族でこの少女は平民で……守られる命は当然僕の方なのだから。
「うるさい! 下々の者が僕を助けるのは当たり前だろう! 礼なんて──」
パン!という音とともに、頬に小さな衝撃が走った。
少女に──頬をぶたれたのだ。
平民にぶたれたショックで、僕は呆然としてしまう。貴族の教師にだって、こんなことはされたことない。
「貴方は、人々の上に立つ者なのだろう? 民に恥ずかしくない生き方をしないでどうする。民は……常に貴方の行いを見ているぞ」
少女はこちらをまっすぐに見ながら言う。
彼女の表情は凛としていてとても綺麗で──その言葉にはまるで王族が放ったかのような重みがあった。