Chapter6:リトルガール・トリートメント(完)
レナの引き起こした“超魔法"とやらで全身の体表を変成させられてしまった私は、即刻アヴェンジャー御用達の総合病院へと担ぎ込まれた。
幸い、変成後それほど時間が経過していなかったため、パレットでも指折りの名医による最先端の医療技術のおかげで、麻酔で眠っている数十分間のうちにもと通りの姿に戻してもらうことが出来たのだったが。それにしたって、今回のことは心の広い私でもちょっと許しがたいぐらいひどい話だった。
「ごめん、キール。」
病室に現れたレナは、綺麗な顔に疲れ切ったような暗い翳を落としていた。
彼女は、ベッドに横たわった私を見るなり、少し目線をそらすようにそっぽを向いて口を開いた。
「前にも、同じようなことがあったんだ。……低学年の時、学校で、友達とケンカして、その時も同じ、酷いことになって。私怖くて。……みんな私のこと、怖いって言った。“モンスター”って、言われた。ムカついたけど、でもほんとのことだったから。私、自分が怖いって思ったし。」
彼女の言葉は、すらすらと淀みなく流れた。一度言葉を切ったら二度と喋れなくなってしまう、とでも言うように。
「……だから、それから、あんまり外に出なくなったの。一人で居るときとか、友達と居るときとか、またあんなことがあったら、どうにも出来ないから。怖いから。」
いつも通りのクールな口調で淡々と語るレナの言葉が、痛々しかった。
「“こうしんせいしょうがい”って言う病気なんだって。生まれつきのものだから、直すのって難しいんだって。だから、パパは絶対、それがバレないようにしてなきゃいけないって。周りの人に変な目で見られないように。外では感情を表に出さないようにして、静かにしてろって。」
「”亢進性障害“……」
私は口に出してその言葉を反芻した。
“亢進性障害”――私も、そういう障害を生まれながらに持つ人が数少なくないということは知識として知っていた。魔力があまりにも強すぎる人のうち、稀にその制御が自分で出来なくなる人がいるのだ。精神的な脆さのある人や、感受性が強い人に起こりやすいと言われる。
感情が高ぶった時など、自らの感情のままに魔力が作用し、周囲に何らかの影響を及ぼしてしまう。それは、障害の軽重によって程度の差こそあれ、たいていの場合、現代の画一化された魔法では有り得ない、型破りな形で現れる。
「そういう、ことだったの……」
その時には私もようやく理解していた。
なぜレナが孤高の女王のように、クラスで孤立するようになったのか。なぜレナがあの高級マンションの最上階の一室に築かれた、狭いせまい世界に一人籠もってばかりいたのか。
彼女の父親がレナの我がままを好き放題許している理由、それと引き換えに母親のリサやボディガードと一緒でなければ外出させようとしなかった理由、過保護にならざるをえなかった理由も、すべてひとえに彼女の抱えるその“爆弾”――“亢進性障害”というやっかいな障害のせいだったのだ。
「ごめん、キール。私やっぱり、遊園地なんて行っちゃダメだったんだ。私のせいで、キールが……」
彼女の言葉はあくまで諦めが入ったような静けさを保っていた。ベッドに横たわる私の目線にちょうど一致して、透き通るように白い顎のラインが繊細に上下するのが見えた。
「あなたが悪いんじゃない。」私は思わず身を起こして、首を横に振った。
「あなたをテーマパークに連れ出した私と、ネルスターのミスだった。あなたをあんな、危ない目に合わせてしまうなんて」
どう考えても私たちは明らかにミスを犯した。クライアントの意向に反してレナを危険な目に合わせた上、レナの父親が懸命に隠して抑えておこうとした、レナの“障害”を露見させてしまうような事態になってしまったのだから。
「いや、そうじゃない。」
病室で語り合う私たちの前に、頃合いを見計らったように二人の男が現れた。
私は目を剥いた。病室に現れた男、一人はネルスター、そしてもう一人は私に銃を突きつけて「はっ……ほっといても死ぬか」とかなんとか散々悪態をついた男だった。彼も、私と同じように治療を受けて、あの全身真っ白な姿から生還していたらしい。
「どういうこと?」
私は、平気な顔をして病室を訪れた、二人の男を前にうんざりした気持ちで問い詰めた。なんとなく、答えは分かってはいたのだが。
「いや、悪かった。本当に、申し訳ない。」
二人は雁首そろえて私に頭を下げて見せた。
「テーマパーク側には、あのアトラクションから完全に人を払うように言っておいたし、事情は話してある。レナの超魔法を見たのは、あの場に居たアヴェンジャーと、キールと、こいつだけだ。」
「……つまり全部、茶番だったってこと??」
私は、このネルスターって男が時に、信じられないような無茶をするということをすっかり忘れていた。
「だけど私は、本物の炎に焼かれて、死に掛けたのよ。しかも、あなた、どう考えたって本気で私の心臓目掛けてM・ガンぶっ放そうとしてたでしょ?」
私はネルスターの傍らに立つ男を力の限り睨み付けながら言った。あの時の男だ。一見頼りがいのありそうな好青年。思い出すだけでも憎たらしい。
「オレがそうしろって頼んだんだ。真に迫った演技で二人を追い詰めろって。炎に関しては、半分ぐらいがマジックを使った目くらましだった。それ程危険なものじゃない。」
「だけど……なんでそこまでして……」
「そこまでしなきゃ、レナは自分の感情と力を、解放しようとしなかっただろう。」
これには、レナが驚いていた。
「なにそれ?なんで、なんのために私……。私、パパに言われたんだよ。絶対に、人前で自分の力を見せちゃだめだって。こんな、“障害”があること、人に知られたら大変だから。ばれないように、人前では自分の感情を高ぶらせたりしないように、静かにしてろって。なのに……」
「それだ。それがそもそも間違っているんです。“亢進性障害”にとって、隠しておいていいことなんか一つもない。レナお嬢様、あのとき、力を解放した時、気分はどうでしたか?今まで押し隠してきた感情を解放した気分は?」
「気分って……」
レナは戸惑いながらも答えた。
「悪くは、……なかった」
「そうでしょう?亢進障害を克服する第一歩は、まず自分の感情と向き合うことなんです。亢進障害を持つ人のほとんどは、自分の感情をコントロールするのが苦手な人です。普段素直な気持ちを表に出せなくて、ある時それが臨界点を超えて、爆発してしまう。」
ネルは手振りで示しながら説明をした。
「レナ様は今まで、あえて感情を押し殺して生きてきたのでしょう。感情の高ぶりによって力が漏れてしまうから。そうやって、自分の世界に閉じこもって、他人とのコミュニケーションも絶って、それで、いいことなんか一つもないんです。他人とコミュニケーションをとるすべも知らず、自分の中の多様な感情をコントロールすることも出来ず、レナ様はこれから先、どうやって生きていくつもりですか?レナ様は、もっと外の世界に出て、他人とコミュニケーションを取って、その感情と感情の摩擦の中で、自分の感情をコントロールするすべを覚えるべきなんです。」
ネルスターの声が妙に熱かった。それに私は疑いを持った。今回のネルスターは何かがおかしい。レナに、入れ込み過ぎている気がする。
「だけど、そんなこと、クライアントは望んでいないわ。私たちに与えられた任務は、あくまでレナの話し相手になって、その身を見守ることのはず。レナ様をあんな目に遭わせるなんて、ネル、どうかしてる」
そもそも、ネルスターがクライアントの意向に反して、彼女をテーマパークに連れ出そうとした時点でおかしいと思っていたのだ。その上、彼女をあんな危険な目に遭わせるなんて。クライアントの意向が第一、任務の遂行を至上とするいつもの彼からしたら、異常とも言えるような行動だ。
「それが、クライアントの本当の意向だからだ。」
本当の意向……?
「それが、リサ・ラプランドが泣く泣く俺たちに一ヶ月という期間を与えた本当の理由だ。彼女自身も、レナの障害に頭を悩ませていたんだ。亢進障害について深い知識はないし、世間の目がはばかれるから病院に連れて行くこともできない。……かと言って、それをひた隠しにして、レナの存在自体も隠すかのように彼女を扱う夫の考えにも、彼女は賛同できなかった。」
彼は振り返り、病室へ入ってきた一人の女性をちらりと確認しながら言った。
「答えは全くノーですよ。彼女の超魔法を見ましたが、恐れるほどのものではない。コントロールの方法を覚えるまでは、しばらく軽く驚く程度の現象が引き起こされる可能性はありますが、……例えば、部屋のライトの色が赤くなったり青くなったり、嫌いな食べ物が黒くなったり、そんな程度のことが。でも、ストレスを溜めないようにちょくちょくガス抜きをしていれば、今回のような大規模な超魔法が起こることはまずないでしょう。お嬢様程度の軽い亢進障害というのは、少し感受性の強いお子さんなら、しばしばあることなんです。適宜適切な治療も受けながら、確実に克服することが可能です。」
「そう。」
部屋に入ってきた女性――一目見てリサ・ラプランドだと分かった。美しいまとめ髪、完璧な長さで切りそろえられた前髪、シンプルなシャツの着こなしからパンプスのつま先の角度まで、一分の隙もなく洗練されている。
「リサ……!!」
レナは、今まで私たちが聞いたこともないような、驚きと喜びと年相応の子供らしさのこもった声で叫び、リサの腕の中に飛び込んだ。
「リサ……」
レナは母親の名を呼びながら、彼女のシャツに顔をうずめて、手放しで泣いた。
「レナ。ごめん、あんたを放ったらかしにするようなことして。私もどうしたらいいか分かんなくて……だけど、大丈夫だって。安心して。レナ、大丈夫だって。」
リサは娘の小さな頭に自分の頬を押し当てながら、何度もそう言った。その声に私は、彼女自身の安堵の気持ちも痛いほど感じた。彼女だって、恐れていたのだ。
それはそう、至極当然、当たり前のことだ。私だって、もし自分の子どもが亢進性障害だったとしたら、同じように戸惑い、恐れて悩むだろう。時にはすべてを投げ出したくなる時だってあるかもしれない。
「ありがとう、やっぱり、サラに頼んだのは正解だった。」
リサ・ラプランドはそう言い、レナそっくりの美しい顔で満足そうに微笑んだ。