Chapter6:リトルガール・トリートメント(10)
アイゼーヌの浅瀬を出た後、私たちはアイゼーヌ川に沿って東へ向かい、ミッドルーンの山を登った。
「ミッドルーンの章は、読みましたか?」
私は銅色の砂山を見上げながらレナに聞いた。
「うん、“赤の星”の話でしょ。超むなしいやつ。」
レナも山を見上げながらぽつりと言う。
ミッドルーン山――見た目はまるで子どもが作った砂の山のような形で、鈍い銅色をしている。この山は、星巡りをするベンヤミンが六番目に訪れる星「赤の星」の場面で登場する。幻想的で美しい場面なのだが、『魔女と魔法使い』の数あるエピソードの中でも、残酷で不条理なエピソードとしてよく知られている。
赤の星の住人は、ミッドルーンに住む美しい魔王に自由の全てを明け渡し、奴隷のように生きている。彼らは、ただ自らの魂をすり減らしながら魔王に命じられた通りの献上品を造り出すだけの日々に、何の疑問も持とうとしない。
そんな赤の星の状況に憤りを感じたベンヤメンは、魔王を倒す為にミッドルーンに挑むのだが、『魔女と魔法使い』の一筋縄でいかないところは、そこで魔王との手に汗握る対決が待っている――のかと思いきや、ベンヤミンが苦労してたどり着いた山の心臓部でなんと、美しい魔王はすでに物言わぬ骸になっているという展開だ。
私はあのページを開いた時目に飛び込んできた挿し絵の魔王の骸、ただただ沈黙、無音の衝撃を今でも覚えている。
ベンヤミンは魔王の死を住人たちに知らせるため、魔王の白い髑髏を高く掲げて山を降りるのだが、赤の星の住人は、魔王の死を知った後も何も変わらない。ただ、今までと同じ、奴隷のような日々を続けていくだけ。
ベンヤミンは結局、住民の生活を何も変えることが出来ないまま、虚しさを抱えて赤の星を去る。
あの不完全燃焼さと言ったら。作者もよくもまああんな展開を用意したものだ。読む側としてみたら、子どものトラウマになってしまうではないかと思うのだが。
とにもかくにも、私たちは「80分待ち」の看板の後ろに並んだ。物語の展開はともかく、ミッドルーン山はテーマパークではかなり人気の高いアトラクションだ。ベンヤミンが苦労して登った崖っぷちの登山道やら入り組んだ洞窟やらが追体験出来るように、2つのアトラクションが用意されている。
1つはマジックのトロッコに乗って山中を縦横無尽に駆け巡るコース。いつぞやの黒いタクシーを思い出すような絶叫系アトラクションだ。
もう1つはマジックの仕掛けが満載のアスレチックを自分の両手両足で攻略していく体験型アトラクション。これは、身体能力に合わせて難易度が1~10まで選べるのだが、強がって標準より少し上の、レベル5を選んだレナ様は吊り橋を渡ったり、崖っぷちの道を歩いたり、スリル満点のアスレチックに涙目で挑戦していた。
だいたい、いつも部屋に籠もりっきりでほとんど運動もしないレナ様にハードなアスレチックが出来るわけがないのだ。終わった後はへとへとで、もう今日はこれでお終いにしなきゃいけないぐらい疲れてしまうんじゃないかと心配していたら、意外にもレナ様は目を輝かせて「超楽しかった!」のどと言うのだった。
「ええ?さっき吊り橋渡る時なんて、涙目で私の腕掴みっ放しだったじゃないですか?もう無理動けないって言われた時は正直どうしようかと思いましたよ?」
「何言ってんの使用人。全然怖くなかったし。超楽しい、トロッコも並ぶよ!」
そんな調子の良いことを言って走って行くレナの後ろを半ば呆れながら追い掛けつつ、いつもとは比べものにならないぐらい輝いた様々な表情を見せる彼女を見ていたら、これはネルスターが力を込めて言っていたことも、あながち分からないでもないと思えてきたのだった。
ミッドルーンのアトラクションを終えてお腹がぺこぺこになった私たちは、「こう言うの食べてみたかったんだー」と言うレナ様の要望により、テーマパークでの中でもも最もジャンキーそうなチキンナゲットだのフライドポテトだのが売られたスタンドに入った。
私としてはもっと『魔女と魔法使い』の世界観にマッチしたお洒落なレストランなどの方がいいのではないかと思ったが、レナ様は初めてのジャンクフードが食べたいのだそうだ。
「うそ、何これ超まずいっ、鶏肉カスカスじゃん!ポテトはカチカチだし」
レナ様はチキンを一口食べた途端に叫んだ。だから言わんこっちゃない。最高級のお肉しか食べたことのないレナ様にファストフードが食べられるもんか。
「ちょっと使用人、どうにかしてよ。“シェフ”に文句言ってきてよ。」
私は思わず吹き出しそうになった。
シ、シェフって……
「レナ様、こう言った店には“シェフ”なんていないんですよ。チキンに味付けと調理を加える既成マジックを仕掛ける道具が並んでて、それを操作するスタッフがいるだけです。」
「そ、そんなの分かってるし……冗談に決まってるでしょ」
クールぶった口調でまたそんな強がりを言って顔を赤らめるレナ。いつもなら呆れているところだか、今日はそんなレナが可愛らしく見えた。
「おねえさんたち、2人?」
見知らぬ男子たちに声を掛けられたのは、ファストフードを食べ終え、人心地ついた頃だった。
そう言えばさきほどから斜め前に陣取った少年(青年?)たちの視線がやけに気になるなぁとは思っていたのだ。悪い予感と言うのは往々にしてよく当たるもので。
「俺たち、男三人で淋しいなって思ってたとこなんだよねー。せっかくだし一緒に回りません?」
猫なで声でそんなことを言われて、私はなにが「せっかく」なんだろうと吹き出しそうになったが、さすがにそこまで無礼なことはしない。
若くてかわいい男子たちだ。見かけはいっぱしにチャラチャラしてそうな感じ。センスはともかく、トレンドに則ったダメージ系のパンツだのアクセサリーだので、目一杯お洒落している。
「名前は?なんて言うの?」
大変失礼なことに、彼らの視線も質問も、基本的にレナの方へ向けられていた。
私だって今日はレナお嬢様の腕によりを掛けたお洒落をしてきたっていうのに、随分じゃないか。
ところが、もっと驚いたことには、当のレナは私の隣で完全に固まってしまっているではないか。怒ってるとか、迷惑がってるとか、そう言うことではなさそうだ。恐れなのか何なのか、すっかり緊張してかちかちになってしまっているのだった。レナ様ってやっぱり、全くと言っていいほど男性に免疫がないのかも。
「なになに、ねえ何て名前?」
向かって左の長髪の彼が促す。
レナの固まりっぷりと彼らとのちぐはぐっぷりが何だかすごく面白そうな感じなので、私はしばらく口を挟まず見守ってみることにした。
恐らく周りで私達を見守ってくれてるアヴェンジャーたちは相当ヒヤヒヤしていることだろうと思うけど。
「じゃあ俺が当ててあげよっか?……そうだなー、グリーンアイだから、エスメラルダとか?」
えっ……えっ?なに、グリーンアイ?エスメなんだって?
私は思わず二度聞きしそうになった。この長髪のにーちゃん、現代っ子っぽい外見してとんでもないこと言うヤツだな。もうちょっと気の利いたセリフが吐けないもんだろうか。
レナは完全に黙りこくってしまった。
「そんな名前なワケねーだろ。ごめんね、コイツバカだから」
無反応のレナに焦ったリーダー格(?)っぽい中央の男子が言う。私は少し安心する。
「ほんとはなんて言うの?ってか、なんて呼べばいい?」
「なんかあれだね、大人しいんだね?」
固まったままのレナはなんとかしろよ的な目でちらちら私に訴えかけてくる。そうねえ、どうしてやろうかしら。
「いいじゃんおねえさんたち。いこうぜ、ホラ!」
ちょっと短気なのか、一番右の黒髪の男の子が強引にレナのバックを奪い取った。
「や、やだ、返してっ。」
「ホラホラ、行くよ!」
彼はわざと意地悪にバックをレナの手の届かない高さに高く掲げながら言った。これはちょっと穏やかじゃない。端から見たら男三人に寄ってたかって嫌がらせを受けてるか弱い乙女たちにしか見えない。
私は少し焦った。周りで見てる護衛たちが痺れを切らして動き出しちゃったらどうするんだ。全部台無しになってしまうじゃないか。
「そう言うやり方は良くないんじゃない?男らしくないよね。」
突然口を開いた私に彼らの視線が集中する。
「この子の名前?そんなに知りたいんだったら教えてあげる。……ジェイコブって言うのよこの子。ジェイコブ。めちゃくちゃ可愛く見えるかもしれないけど、実はめちゃくちゃ可愛い男の子なの」
私は愛想の良い笑顔を作りながら思い付きでいかにも男の子っぽい名前を言った。
素直な彼らは揃いも揃って血の気の引いたような顔で固まる。私はその隙をついてすかさず立ち上がり、黒髪の男子からレナのバックを奪い返した。
「なんてね、ウソに決まってるじゃない」
「なっ……」
「いっってぇ……!」
男子二人が色めき立つのと黒髪の彼が腕を押さえてうずくまるのがほぼ同時だった。
あらあら、一般の方相手にちょっと力を入れ過ぎちゃったかしら。
「なっ、いったい何者だこの女、半端ねぇ……っ」
「私はレナお嬢様の従者よ。お嬢様に何かしようものなら、次は腕の一本でもへし折って差し上げるわ。」