Chapter6:リトルガール・トリートメント(9)
「エルウィンが魔法に掛けられて変化させられたのは、“水”ね。アイゼーヌ河の“水”。」
……“水”。そうか、“水”か。
これは私も思い至らなかった。 確かに、この河原で、黒くなくて、星でも植物でもないものと言ったら、もう水しかない。
「アイゼーヌ河の水、正解です、小さなお嬢さん。エルウィンは水に変えられたんです」
黒髪の美女が微笑んでそう答えた瞬間。
レナの両手に包まれた魔法の書のアイゼーヌのページがキラキラと輝きだした。表面に複雑な回路が浮かび上がる。
「さぁお嬢さん。最後の魔法を使う時です。呪文はお分りですか?」
ページ上部には魔法のスペルが書いてある。
『魔女と魔法使い』を読んだことのある人ならおなじみ、ベンヤミンがつぶやくエルウィン救出の口上だ。
「え、ウソ、これ読むの?」
レナは心底イヤそうな声で言う。
「じゃあ一緒に読みますか?」
私がそう言うと、レナは一瞬迷って首を横に振っ た。
レナは少しはにかみつつ、つぶやくような微かな声でぶっきらぼうに唱えた。
「水は天に 地球は芥に 降るものは降り 鳴るものは鳴り 在るべきものは在るべきものへと 帰せ」
回路がレナの魔力によって起動する。
魔法回路はひとしきりキラキラと光を放った後、ひゅっと全てが収束して静かになった。
ページは元の何の変哲もない紙切れに戻ってしまい 、何も起こらないかのように思われた時、
「こんにちは、ベンヤミン。」
「え?」
何の変哲もない紙から、ひゅるりと何か小さな生き物が這い出してきた。
「助けてくれてありがとう。」
開いたページの上に立って優雅にお辞儀して見せたのは、親指大の小さな小さなエルウィンだった。
ライアン・フォード作画の、もっともポピュラーなエルウィンのイメージそのまま。プリーツのたっぷり入った桃色のドレスを来て、きらきらと光を放つ爪の先ほどのイヤリングまで付けている。
「すごい……」
私たちはあまりの見事さに呆然とその姿に見入ってしまっていた。
私が子どもの時よりクオリティが格段に上がっている。私が子どもの頃来た時はたしか、一巡目でストレートにクリア出来た場合のみ、親指サイズのエルウィン人形をもらえただけだった。ゴーレム禁止法的にイメージが良くないからか、人形は絶対動かなかったし。
「いったいこれ、どうなってるんでしょう?」
手を出して触れてみると、エルウィンには実体がなかった。立体映像?……でも、しゃべってるし。
「あなたの体、どうなってるの?魔力集合体とかそういうもの?」
私が話しかけてもエルウィンは何も言わず澄ました顔をして立っているだけだ。さすがにこちらと会話は出来ないらしい。自動でセリフを口にしてるだけなようだ。
「褒美をとらせよう。身に付けていれば、あなたに幸福が訪れることだろう」
彼女は細い足をバレリーナのように持ち上げ、その先に付いた銀色の靴を脱いだ。と、思う間に彼女の姿は跡形も無くなり、銀製の小さな小さな靴だけが、ページの上にそっと残されていた。
私たちは無言で顔を見合わせた。
レナはページの上から靴を落とさないように慎重に拾い上げた。靴紐と靴の模様まで丁寧に彫られた 、精巧で美しい銀細工だった。
「きれい……」
「お嬢様のものです。エルウィンの言ったように 、御守りに持っていてください」
レナはうなずいて、小さな靴を大事そうに肩掛けかばんの中にしまった。