Chapter6:リトルガール・トリートメント(1)
待ち合わせに現れたネルスターはスーツ姿だった。長身に落ち着いたグレーのストライプがしっくりとハマっている。
「あんたタッパあるから、スーツ似合うわねー。」
「惚れ直したか?」
「似合うっていっただけよ。」
完全になんと言うか、「玄人さん」ですか?って感じにしか見えないけど、それはさすがに黙っておいた。
私たちは、ステーションからクライアントの家へ向かって歩きだした。今日は顔合わせだけで、本格的に仕事を始めるのは明日からだ。
「それにしても、資産家令嬢のお守なんてねー。アヴェンジャーってそんな仕事もするんだ。」
「いやいや、オレだってこんなの初めてだよ。ボディガードならともかく。」
ネルは苦笑交じりに言う。
「なんてったって、“イケメン執事”ですもんねぇ?天下のネルスター様が。」
私がわざと冗談めかして言うと、ネルスターはげんなりとした口調で答えた。
「ミルティのヤツ、完全にナメてるよな。嫌がらせとしか思えん」
うん。見た目はいつも通りのポーカーフェイスだったから分からなかったけど、たぶん社長はかなり楽しんでいる。
それはちょうど一週間前のこと。珍しく社長に名指しで呼び出されたので、いったい何だろうとびくびくしながらSSビルの最上階に臨んだところ、「ネルスターに直接頼むといろいろと文句をつけて断られそうだから……」と前置きして切り出されたのが今回の依頼だった。
依頼主の名はリサ・ラプランド。社長とは旧知の仲だそうで、リサ自身もミラーベルとか言う名家の出なのだが、彼女の嫁いだ先がラプランド家と言う、こちらはもうその名を知らない人はいないってぐらいの超巨大財閥だ。もちろん、さすがに本家本元っていうわけではなくその傍流らしいんだけど、どちらにせよ超上流階級であることには間違いがない。
社長の話によると、そのリサ・ラプランド様、趣味だったアパレルの買い付けが高じて仕事になってしまったそうで、今めちゃくちゃ儲かっているらしい。
それで、その買い付けやら視察やらの目的で、なんと今度1ヶ月間海外に行くことになった。
ところが、娘さんのレナちゃんはママにべったりのたいそうなお母さんっ子らしく、1ヶ月もママがいないのは初めてで非常に寂しがっているから、ママのいない一月の間、代わりに遊び相手・お話し相手――いわばコンパニオンをやってほしいのだという。そしてもちろん、ついでに身辺の警護も行なうと言うのが、今回の依頼だった。
しかも、レナお嬢様のご所望で、“イケメン執事”という条件付き。私はあやうく社長の前で盛大に噴き出しそうになった。ママにべったりでイケメン執事をご所望?レナ様っていったいどんだけ夢見る少女なのだろう。
「本来こういった類の依頼は我々も専門外だから、外注にしたいとも思ったが、友人のリサの頼みだし、何より相手が相手なんできちんとした仕事をしてみせる必要があると思って。」
そう言ったときの社長の目はすでに全くもって笑っていなかった。
確かに、ラプランド家なんて大きなお客さん相手に粗相なんて絶対に出来ない。これはつまりアヴェンジャーの威信に関わる仕事だってことだ。そういう意味での人選がネルスターってわけなのだろう。
「でも、海外出張って……そんなのアリなのね。」
「一般市民が聞いたらびっくりだよなぁ。特区になってるとこならともかく。」
パレットは表向き“鎖国体制″を取っている。
輸出・輸入は全て政府公認の大手商社にしか許されていない。
一般の人間が国外へ出ることも、海外の人がパレット国内へ入国することも固く禁じられている……はずなのだが、どうやら特権階級の世界では、公然と黙認されているみたいだ。一般の人はほとんど知らないが、実は海外との闇取引は盛んに行われているのだ。かく言う私たちアヴェンジャーも、外国との繋がりは密かに持っていて、科学関連の技術、資料などを密輸入している。
パレットってほんと、いろいろイビツで複雑な社会なのだ。
依頼主のお宅は、近代的でお洒落なマンションの最上階だった。
エントランスがまず半端ない。床は真っ白な大理石。吹き抜けのロビーの真ん中にはマジックの噴水。
呆気に取られていたら、口が開きっぱなしだ、とネルスターに注意された。
ロビーでハウスキーパーのフロイさんがお出迎え。挨拶を交わして、最上階のお宅まで、案内してくれる。
なんともハイソな空間だった。バーのように薄暗いエレベータホールを、淡い間接照明が照らす。玄関の扉は、フロイさんが手をかざすと、音もなくすっと左右に開いた。
扉の向こうには全面真っ白な空間が広がっていた。すごいセンス。目が変になりそう。
でもよく見るとそこは広い廊下で、すぐ右手と突き当りに扉がある。左手にはえぐれるように棚が切られていて、壁と同じく白い花瓶に、丈の高いチューリップのような花が数本、シンプルに活けられていた。
ハイセンスな廊下に、三人の靴音が響く。正面の扉を開けるのかと思いきや、突き当りをさらに右へ折れてその先の部屋に、私たちは通された。
「こちらが、お嬢様のお部屋です」
ノックして中へ入る。
今度は色の洪水に目が眩みそうだった。
家具と壁は全て白なのだが、そこに並べられた本、雑誌、化粧品、服、花、ピンク、赤、青、黄緑、雑多な、しかしどれも非常に高級そうな小物たちに囲まれ、白くて細い足が二本、ぶらぶら揺れていた。
「お嬢様、アヴェンジャーの方がいらっしゃいましたよ」
反応がない。
少女は白いソファーに寝転がって、雑誌か何かを読みながらおくつろぎ遊ばしていた。
「レナお嬢様!」
フロイさんの二度目の呼び掛けに、ようやく彼女はひどく緩慢な動作で顔を上げ、こちらを見た。
ネルスター、続いて、私と目が合う。
私はごくりと生唾を飲んで、ついでに隣のネルスターを見て、思わず彼がどんな表情をしてるかを確認してしまった。
なぜって、彼女がちょっと信じられないぐらいの超絶な美少女だったから。
豊かな栗色の髪は彼女の動作に合わせてさらさらと流れ、絶妙な長さに切り揃えられた前髪に少し隠れるようにすっきりした奥二重のまぶた、暗緑色の瞳。
何より私が恐ろしいと思ったのは、彼女が絶妙な“薄化粧”だったこと。確かこの子、まだ小学校高学年だと聞いているのだが。それは大人に憧れるティーンエイジャーの派手で一生懸命な化粧、ではなく、必要十分の“薄化粧”。自分を綺麗に見せるには、というか、自分の美しさを最大限引き出すには、どうすればいいかがすでに完璧に分かっているんだ。
「お初にお目にかかります、レナーテ様。私はアヴェンジャーのキールと申します。こちらは同じくネルスター。これから一ヶ月間、お世話をさせていただきます」
レナはわたしを目の端でちらりと眺めた後、ぷいっと雑誌に目を戻してしまった。
「野暮ったい女。安っぽい服。……もうちょっとマシなのいなかったの?恥ずかしくて連れて歩けないよ、こんなの」
私は絶句してしまった。時が止まったかのように固まる私たち三人。
フロイさんが慌てて仲裁に入る。
「お嬢様、この方々はリサお母様がレナ様の為に特別にご用意下さった方々なのですよ、レナ様が寂しい思いをなさらないようにと」
「それは嘘ね。リサだったらもっといいの選んでくるはず」
彼女はきっぱりと吐き捨てるように言った。
“いいの”って……我々はモノか?
「まぁ、そっちのネルスター?……は、まぁギリで許すけど」
と、我々の方を見もしないで、雑誌をぱらぱらめくりながら言う。足は相変わらずぶらぶら揺れている。
隣でネルスターが何か震えてると思ったら、どうやら必死に笑いを噛み殺しているようだった。