Chapter1:プロナの大迷宮(3)
「あれ?」
またティナが変な声を出した。今度はなんだって言うんだ?
「どうしたの?」
「いや、この壁をみてください。」
「な、何これ…」
燐光を放つのっぺらぼうの白い壁に、真っ赤な文字が書かれていた。
血のように赤い塗料で、文字、と呼んでいいのかも分からない、マークのような、だが、なぜか不安な気持ちを感じさせる象形。
「古代文字かなんかか?」
私とティナの間から首を出して後ろからネルがつぶやく。
「分かりません…ボクもこんな文字は見たことがない。回路とも違うし…」
「だいたいこの壁、塗料やなんかは全部吸い取っちゃうんじゃなかったのか?」
たしかに、さっき私たちが書いたチョークの黒は白い壁に吸い取られたはずだ。
「特別な塗料なんだろうか…」
ネルスターがためらいもなくその赤い模様を触る。
「ちょ、ちょっとやめなさいよ。」
呪いみたいなものだったらどうするんだ。
「うーん、明らかに壁の上から塗料を塗ってるよな。」
「いちおう、メモっときます。」
ティナはノートを開いてさらさらっとその模様を写した。
「悔しいなぁ。ボクの知識の範疇を超えてます。せっかく来たのに調査らしい調査もできなさそう。」
ティナが不本意そうな口調で言った。
ティナは名残惜しそうにマークを見ながら、しかたなく再び歩き出した。
振り返ると、白い壁の中にくっきりと浮かび上がるように見える赤い文字が、なんとも不吉な感じだった。
迷路はまだまだ続く。
「あ、またです。」
しばらく行ったところで、またもや壁に赤い文字が書かれていた。
ティナはまたそれをメモるが、先ほどの文字とは少し形が違った。でもなんとなく気味が悪いのは同じだ。
赤い文字は、迷路の中を、いくらかの間隔をあけながら何度も現れた。
「うーん、なんなんでしょうこの文字は。何かを示しているのか、何かの仕掛けなのか…」
ティナは文字を見つけるたび、首をかしげ、せっせとメモを取った。
「書かれている場所に、なにかの法則があるのかとも思うんですが…それもわかんないなぁ。」
ティナは地図とにらめっこして言う。
マップには、赤い文字が書かれていたところに赤く印がしてある。確かに、文字が現れる場所はまちまちで、そこに何かの法則があるようには見えない。
しかしそれにしても、いつまで続くのだろう、この迷宮。
さっきからずっと、じわじわ胸を締め付けるような嫌な感じがしている。
白状するとかなり怖い。
なぜか、誰かにずっと見張られているような気配を感じて、私はしばしば後ろを振り返った。振り返っても、もちろんそこにはネルが居るだけなのだが。
だが、長い直線の廊下に差し掛かった時だった。
「あれ…?」
私はぎょっとして、思わず後ろのネルスターの腕をつかんでいた。
「どうした?」
「いま、あっちの方に、人影が見えなかった?」
「人影?ボクは、気付かなかったですが…」私より前を行くはずのティナが首をかしげる。
だが今、確かに通路の先にぼおっと人影が見えた。
「シエナ・アルトゥかもしれませんよ。」
そう言えば、迷路に夢中で彼女のことを忘れていた。私たち、彼女を救出するためにここに入ったんだっけ。
だが、さっきから感じている人の気配は、複数いるような、ざわざわとざわめくような感じだった。
ここには、人ではない“なにか”がいる気がする。
「オマエしょっちゅう幽霊見るもんな。またなんか見ちゃったのかもよ?古代の亡霊かなんか。」
ネルが茶化す。
だが、私はそれを冗談と感じられなかった。ただでさえさっきからずっと、嫌な感じがしているのに。
このほの暗い壁といい、見張られているような気配といい、この空間、何か変だ。
私はネルの腕をつかみっ放しだったことにようやく気づき、慌てて離した。
「別にずっとつかんでくれてても構わないけど?」ネルがニヤニヤしながら言う。
「冗談じゃないわ。」私は背筋に迫ってくる恐怖を、必死で振り払うように言った。