Chapter5:鳥人間ティルテュ・ルゥにまつわる話(6)
「おいスミス、無事か」
「なんとか、な……」
正直もう、ふらふらだった。
「周りの雑魚どもは全て制圧した。もう心配はない。……ご苦労だったな」
「へっ、なんだよテメエら、随分重装備じゃねぇか、大げさな奴らだ」
クライアントが派遣してくれた応援の者たちは、みな一様にガスマスクみたいなスーツをすっぽりと着ていた。
「そりゃあ、相手が亢進性障害だと聞いたら、最善を尽くさざるを得ないだろう?……それより、サンプルの方もだいぶ弱っているようだが、大丈夫なのか?」
「分からん。カンパニーの奴らが随分手荒な真似をしたようだ。まぁ、お陰で俺たちも、苦労せず捕獲出来たと言えるけどな。こいつが元気だったら俺たちも、こんな呑気なことはしてられないだろうよ。今のうちにさっさと引き取ってくれ。俺の仕事はここまでだ」
「分かっている。こちらもきちんと受け入れの態勢は整えてある。」
ガスマスクの男たちがティルテュ・ルゥに触れようとすると、彼女は明らかに不審そうな顔で彼らを見上げた。相変わらず小さな指が、ぎゅっと男の手をつかんでいる。
「い……や……」
「ティルテュ・ルゥ、お別れだ。こっから先は、この人たちがお前を新しい主人のところへ連れていってくれるとさ。」
それが今回引き受けた仕事の最終任務。とあるカンパニーが極秘に飼っている亢進性身性転異症候群の少女の現況を調査し、隙を見て盗み出すこと。盗み出してクライアントに引き渡した後は、彼女がどうなるのかなんて自分の知ったことではない。
男は爪が食い込むほど固く握ったその手を引き剥がそうとした。
「いや……!」
彼女は憔悴しきった瞳の中に、冥い絶望をたたえていた。
「わたし……」
男にはもう分かっていた。彼女が知能を持たない化け物なんかではないことを。彼女はこの先自分がどうなるかをちゃんと理解してる。
「たすけて。」
男は彼女の目を見てゆっくりと首を横に振った。
「お別れだ。」
「いや……!」
ティルテュは力を振り絞るように言って、……男は、そこで信じられないものを見た。
ティルテュの冥く見開かれた両眼から、ぽろぽろと涙がこぼれ出したのだ。 はっとするような光景だった。
そして、
「雨……?」
ティルテュの涙と同時に、ぽつぽつと空から雨が降ってきた。
雨……?
ここは屋内のはず。
「ティルテュ、やめろ……!!」
男は声の限りに叫んでいた。
ぽつぽつと振り出した雨が一気にざぁざぁと激しくなった。
ただの雨ではなかった。ドームが、生い茂る植物が、その場にあったありとあらゆる物質が溶けだし、細かい雨となって降っていた。
なんて、なんて途方も無い力だ。これがこいつの最大出力か?
雨のイメージ。イメージのなす技だ。精神的な衝撃や感情の波、イマジネーションが、彼女の途方も無い力に形を与え、現実をも歪めている。
これが、亢進性障害――あまりに強力な魔力を持ちすぎ、その制御機能を先天的に失調した者のなす力。
「ははは……」
ひどい味のする雨に打たれて、もう笑うしかなかった。敵うわけがない。ここに居るもの全て、飲み込まれてしまうだろう。
まったく、こんな仕事引き受けたばっかりに、ひどい目にあったもんだ。