Chapter5:鳥人間ティルテュ・ルゥにまつわる話(5)
あれ。
変だな、ここはどこだ?
薬品っぽい匂いがぷんと鼻に付く。白い壁……病室?
オレ、助かったのか?
「……ってぇ。」
起き上がろうとしたら、ひどい頭痛が襲ってきた。
「めぇ覚めたか!!よかったなー!頭とか大丈夫か?喋れるか??」
となりのベッドに寝ていたのはスペンサーだった。こいつも無事だったのか。
「なんでそんなテンションたけぇんだよ。お前こそ、あの状況でよく無事だったな。」
「オレは防護壁の外側にいたからな。それに、早々に意識失ってたのも幸いしたらしい。あの精神攻撃をまともに食らってたらまず正常じゃ居られなかっただろうって。いや、あの状況から生還したお前はマジでタフだよ!」
男はベッドの上でゆっくりと体を起こし、手のひらを握ったり開いたりした。頭痛はひどいが耐えられない程でもないし、体の感覚も正常だ。
「あの化け物も処分されるらしいぜ。さすがに危険すぎるってことで」
「なにぃ?……いつ!?」
「えっ、知らねぇよ。もう今すぐにでもあの建物ごと処分しちまうみたいな雰囲気だったぜ?」
「……マジかよ」
それは困る。
男はベッドから跳ね起きた。
「なっ、おい、どうしたんだよ?」
「言ったろ、オレは便利屋なんだ」
こうしちゃいられない。
男はふらつく足を叱咤して病院を抜け出した。途中病院の公衆ボードから雇い主に連絡を入れておく。想定外のことが起きた、と。
研究所は、すでに厳戒態勢が敷かれていた。
「スミス、なんで戻って来たんだ?無事だったのか?」
男をここの“警備員として”雇ったカンパニーの人間が、現場に舞い戻ってきた男を見て驚いて言った。
ドームの内部への扉は固く閉ざされ、多くの警備員とカンパニーの研究者らが、ドームの外壁にマジックを施す作業を行なっていた。どうやら間に合ったようだ。
「あの化け物、処分するそうですね」
「ああ、そうだ。」
「ああやって、外からマジックを掛けて、施設ごと灰にするって作戦ですか」
「ああ、ひとまずさっき、非常に強力な薬を飲ませたらしいから、しばらくの間はおとなしくしてるだろう。その隙に、さっさと片付けてしまおうということらしい。」
こいつら、本気でやる気があるんだろうか。そんな方法であの化け物を処分できるとは到底思えない。
「なるほど。……じゃあオレも手伝わせてもらいます。警備員として雇われた以上は。」
「なっ、おいおい、気持ちは有り難いが、お前、さっきひどいダメージを受けたばかりだろう、大丈夫なのか?」
「全然大丈夫すよ。」
男はそれだけ言って、ふらふらとドームの入り口へ向かった。
男は無言で入り口の前に立つと、制御の模様がちりばめられた深緑色の壁の表面に、白いチョークで、精緻な簡易回路を描いた。
魔力の流れを体で覚えてしまうぐらい、今まで何度となく使用してきた基本の魔法だ。
「おいお前、何をしてるんだ!?」
ティルテュの毒気にあてられたせいか、もう魔力はほとんど残っていないはずなのに、体の内側ではひどい破壊の衝動が渦巻いていた。好都合だ。
回路は男の意志通りきちんと作動し、扉はばらばらに崩れて落ちた。
「な、何を……!?お前、何考えてんだ!?」
男は無視してドームの中へ足を踏み入れた。
相変わらず何か退廃的なにおいのする熱帯樹林の中を、男は歩いた。
化け物の姿は見えない。
さっきみたいに無尽蔵な力を撒き散らしながら現われるかと思ったのだが、そうではなかった。どこかに隠れているのだろうか。
しばらくそうして森林の中を歩いていたところ、力強く繁る鮮やかな緑の隙間に、それにまるでそぐわないものを見た気がして、男はぎょっと立ち止まった。
真っ白な細い手首。
「ティルテュ・ルゥ!?」
男は急いで駆け寄った。彼女は生い茂る樹木の中に横たわっていた。細い手足は力なく投げ出されている。
「たす……け……て……」
彼女はその目にかろうじて男の姿を映すと、息も絶え絶えに言った。
ひゅーひゅーと、苦しげにか細い息をしている。
「ずいぶん手荒にやられたみたいだな」
死んでしまっても仕方ないぐらいの、強力な薬を与えられたのだろう。そりゃあそうだ、カンパニーはもうこいつを処分してしまおうと思っているのだから、手加減をする必要などはない。
「……ひどいもんだな」
男はそっと手を出して、その体を支えてやろうとした。すると彼女は、弱々しい手でぎゅっと、男の手をつかんできた。
「たすけて……」
「ああ、安心しろ。助けてやる。だから、もうちょっとの間、死なないでくれよ。」
幸いカンパニーの人間は、恐ろしくて防護壁から中へは入ってこないようだ。
クライアントの応援が来るまでそう時間は掛からないだろう。あと少しの間、なんとか持ちこたえてくれれば……