Chapter1:プロナの大迷宮(2)
プロナへの入り口は、ライトフォーリッジの街外れにある大きな図書館の地下にあった。
歴史を感じさせる石造りの外観がなかなか立派な図書館だ。
「こんなに早く来ていただけるとは…。私も地下へ入りたいのだが、この体では足手まといになるばかりでしょうから…」
ロン・ギルバートは、長く伸ばした髭と、頭髪に白髪の混じる、なかなかハンサムなおじいさんだった。
「では、さっそくで申し訳ないが、プロナへの入り口へ案内しましょう。」
莫大な図書がぎっしりと並ぶ図書室。その中を奥へ奥へと進んで行った先に、地下へ降りる階段はあった。
階段を下りきって踊り場まで来ると、上からの光は遠くなり、薄暗くなった。かなり深い。
「くれぐれもお気を付けてください。私もこの先にいったい何があるのか、詳しいことは知りません。ただ、広大な迷宮と、何かの仕掛けがあるらしく、過去プロナに挑んだ者は、その多くが帰って来なかったと言います。」
資料にもただ、「迷宮」としか書かれていなかったが、なかなか物騒な代物のようだ。生きて帰れるかどうか分からないような場所に大事な部下を送り込むなんて、うちの会社もなかなか非情である。
彼が踊り場の正面の壁に手をかざし、左から右へ壁をなでるように動かすと、その後に残像のように光が残る。マジック回路だ。だが、その光は私たちが知る既製品の光とはどこか違う。それが、蛇のように広がっていく。
ぴぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーん。
耳をつんざくような高い音がして、踊り場全体が青白い光を放った。
そして、気が付けば、私たちは一瞬にして別の場所へ転移していた。
「うわぁ、この展開は予想していなかったです。」
ティナが無駄に興奮している。
「マジックのエレベータみたいな感じだな。」
「すごいですよ、何百年も前にこの技術を持っていたというのは。」
そこはなんとも薄気味悪い場所だった。地下のはずなのに、真っ暗ではない。左右を囲む壁全体が、燐光のように淡い光を放っているのだ。それも、呼吸をするようにゆっくりと明滅しながら。
「この壁は、どんな仕組みになっているのかなー!」
一人目を輝かせながら感心するティナ。
壁は、触ると生ぬるく、少し湿ってやわらかい感触がした。背筋がぞわりとする。
「気持ち悪い…なんだか、生きてるみたい。」
私はそう口に出してしまって後悔した。
いつ帰れるのか分からないが、しばらくこの壁と付き合わなければならないのか。
我々は薄暗い迷宮を歩き始めた。
先頭は意気揚々とティナ。その次に私を挟んで、しんがりはネルスター。
通路は二人並んで通るには少しきついぐらいの幅だ。
床は壁とは違い、硬い普通の石か、地面みたいだった。
「ボク、すごい味方を連れてきましたから、絶対に迷う心配はありません。」
ティナが自慢げに見せてくれた地図は、持ち主であるティナが歩く道を自動でマッピングしてくれる便利なマジックマップだった。ティナがM・ラボからかっぱらって来たものらしい。
「しかし、マジで迷路だな。」私の後ろでネルがつぶやく。
細い通路は右へ左へ複雑に曲がりくねりながら果てしなく続く。しかも、ずっと変わりばえのない例の燐光を放つ壁だ、少し歩いただけで方向感覚を失いそうだ。
しばらく進んだところで、道が左右に分かれた。
「さっそく分かれ道ですか…。地図はあるけど、わかりやすいように、分かれ道にはどっちからきたか印をつけることにしましょう。」
ティナは肩掛けバックから、黒いチョークのようなものを出して、壁に印を書いた。
下向きの黒い矢印。
再び歩き出す。
延々と三人の足音だけが続く。
「ティナ、この建造物って、いったいなんなの?いつ頃、誰が何のために造ったのか、ほんとに、なんの見当もついてないの?」
「このライトフォーリッジの地に、古代長らく王国があったことは分かっているんです。先の大戦で、他の多くの都市国家同様、パレット政府に吸収されてしまいましたが。」
「じゃあ、これはその王国の人間が造ったってこと?」
「そう、推測できます。でも、ライトフォーリッジの王国についての文献やなんかは、政府が全部握っているので、詳しいことはまったく分からないんです。ただ、これが不思議なんですが、政府は今まで一度もこの迷宮を調査していないんです。政府はたぶん、この迷宮の存在を知らなかったんでしょう。これまで政府が迷宮の存在に気づかなかった、その事実の方がボクとしては、驚きですね。たぶん、誰かがひた隠しにしていたんでしょう。」
「ひた隠しにしなきゃならない、何か理由があったってことかな。」
ネルスターがつぶやいた。
何らかの理由…。
この迷宮には、何か政府に知られたくないような秘密が隠されているのだろうか。
依頼人の養女、シエナ・アルトゥはたった一人でこの迷宮について研究をしていたと言う。彼女に会えば、この迷宮の意味も、分かるだろうか。
しかし何にせよ、この迷宮には何か尋常でないものを感じる。燐光を放つ壁といい、この何か、不穏なものを感じさせる雰囲気といい。
「おっと…。」ティナが、前で立ち止まった。
くるりと振り返って首をすくめる。「行き止まりです。」
「ほんと?ほんとに行き止まり?なんか仕掛けとかあったりするんじゃないの?」
私はティナと並んで正面の壁を調べてみた。
相変わらずののっぺりした燐光を放つ白い壁。残念ながらなんの仕掛けも見当たらない。
「戻りましょう。」
私たちはもと来た道を引き返すことにした。
「あれ?」先ほどの曲がり角まで戻ったところで、ティナが変な声を出した。
「どうしたの?」
「いえ、さっきつけたはずの印が無いんですよ。」
「ええ…??」
たしかに、曲がり角の正面の壁に黒いチョークでつけたはずの下向きの黒い矢印が無かった。
「別の場所ってことは…ないわよね?」
「ええっと…、間違いないです。ここです。」地図を見返しながらティナが言う。
「ふーん…。ちょっと貸してみ。」
ネルスターはティナからチョークを取って、再び壁に矢印を書いた。
「ちょっと見ててみよう。」
私たちは矢印を凝視したまま、しばらくそこにたたずんだ。
すると1、2分たったころだろうか。突然すーっと、文字が壁に吸い込まれるように消えてしまった。
「やだ、何これ?」
「じゃあ、これはどうだ?」
ネルは今度はチョーク自身を壁に押し付けて待った。
すると、今度はチョーク自体がすーっと…「うわっ。」ネルは慌てて手を離した。
かつん、とチョークは床に落ちて砕けた。
その体積は、元の4分の1程度になってしまっている。
「どうなってるんだ?この壁。」ネルは恐る恐る壁に手を触れてみる。
「まさか…ほんとに生きてるんじゃ、ないでしょうね。」私は空恐ろしい気持ちになって言った。
「これも、何かの魔法かもしれませんね。これは、うかつに触れないですね。」
ティナはしげしげと壁を眺めながら言った。
本当に、なんなのだこの迷宮は…?
私は、さっき触った迷宮の壁の、生ぬるく、少し湿ってやわらかい感触を思い出していた。