番外編:ミルティ閑話(完)
ディドウは胸に仕込んだM・ガンを抜いた。
窓には分厚いカーテンが掛かっている。ここは、高層ビルの14階だ。
「レスリー、伏せろっ!」
カンを頼りに身を沈めたディドウの傍らを、M・ガンの弾がかすめた。
どうやったか知らないが、相手は高層ビル14階の窓から現われた。あるいははじめからここに身を潜めて待ち構えていたのか。
パン……、パン、パン……
相手は容赦なく続けざまに撃ってくる。ディドウは身を低くかがめ、弾を避けながら必死で物陰へ退避した。
パン、パン……
無機質でそっけない銃声――ディドウの心があらがいがたい恐怖で満たされる。本物だ。リネイ・ロットの銃は恐ろしく静かなのだと聞いたことがある。
「レスリー、相手は本物のリネイだ、お前は隠れていろ!」
ディドウはソファの陰に隠れ、銃を握り締めている部下に叫んだ。
「何言ってるんですか社長、私だって応戦します!」
その残酷なまでにそっけない銃弾は、ソファや部屋の調度に鋭く抉るような傷を与えて行く。あんなものに当たったらひとたまりも無い。
冷静にならなければ。
その間数秒、リネイの弾を間一髪で避けながら、ディドウは銃を持つ手に集中し、魔力を最高潮まで高めることに努めた。
――ドウン、ドウン……ッ!
飛び出しざまに放ったディドウの弾は、ひどく無骨な破砕音がして、しかしリネイに擦りもしなかった。M・ガンってのは普通、こういう激しい銃声がするもんなんだ。
すかさず追撃を与えようとした時だった。
「……っ!!」
ディドウは堪え切れず肩を押さえて膝を折った。音も無い、鋭い魔力の凝集がディドウの肩をかすめていた。少し触れただけだったのに、著しいダメージだった。
どうなってるんだ。使う人間によってM・ガンと言うのはこれほどまでに威力の差が出るものなのか。
リネイ・ロットの魔力コントロールは職人技と言っていいほどに完璧。魔力を余すところ無く回路に乗せることができれば、かくも無駄なく優雅な銃声と、研ぎ澄まされた銃弾を放つことが出来るのだ。
「なかなかカンの良い方だ。」
そこでディドウは初めて相手の姿を目に捕らえた。
吐き気を覚えるほどの既視感。
真っ黒な外套を羽織り、漆黒の髪をなびかせ、全身黒尽くめの格好で肌だけが異様に白い……
「リネイ・ロット……?」
いやだが、そんなはずはない。
女は冷然と銃口をディドウの額に向ける。
その瞬間に撃ち殺されなかったことがディドウにとって幸運だったといえるだろう。
「ま、待て……っ!お前が本当にリネイ・ロットなら、俺を殺すはずがないんだ!」
ディドウは必死で叫ぶように言い募った。
幸い、ディドウの言葉に女は手を止めた様子だった。
「これを見てくれ!!」
ディドウはポケットからリネイの手紙を出し、命乞いでもするように彼女の前に差し出した。
「リネイからの依頼だ。リネイ・ロットは、たとえ暗殺の依頼を受けたとしても、俺を殺すはずがない。お前は、……サラだろう?」
ディドウの肩から流れる血が、静かに床に落ちた。
「この筆跡……」
ディドウはほっとした。
動揺した彼女の声にようやく、かすかな幼さが現れた。
彼女は放心したように、じっと、手紙の筆跡を見つめていた。
これをあなたが読む時、私はこの世にいないと思う。
死ぬことそれ自体に恐れはないが、私がこの世にたった一つ残した未練、それは、今年十三になる一人娘サラのこと。
娘の当面の身の安全と、できれば将来の世話をしてやってはもらえないだろうか。
そして、願わくば彼女がこの先、悪の道に足を踏み入れることの無いように。
これは、ディドウ・ラマン殿、あなた個人への依頼です。
しかし、すらりとした長身に長い黒髪と、外套を羽織る姿は、どう見ても12の少女とは思えない。何よりあの超絶技巧的な魔力コントロール。リネイ・ロットが死んだことを知らなければ、彼女がリネイ本人であることを疑うことは出来なかっただろう。
たいした少女だ。
「……辛かっただろう。たった一人で。」
ディドウはその細い肩に、恐る恐る手を触れた。
母を失い、一人きりになって、しかも母の代わりにその手に銃を持つことまでした少女に、ディドウは心から同情した。
ところがそのディドウの胸に、冷たい銃口が押し当てられる。
ディドウは驚いて少女の顔を見た。
「私は、あなたを殺さなければならない。」
氷のように冷たい声だった。
「な、何を言ってるんだ?これは、お母さんの筆跡に違いないんだろ?俺はこの依頼を受ける。君を、保護するよ!」
「こんなもの、リネイの筆跡を真似て造ろうと思ったら、誰にでも造れる。あなたも、リネイ・ロットの、彼女の莫大な遺産が欲しいんでしょう?」
ディドウは、愕然として目の前の少女を見つめていた。
「リネイ・ロットは死んでいないことになっている。リネイは死んでない。彼女の死を知っているあなたには、生きててもらうと困るの。」
サラはあくまで静かに、しかし冷然と言い放った。
これが、本当に12の少女か?
「リネイの死が公になったら、いったいどれだけの人間が12歳の娘に群がってくることか。……あなたのように。」
この子は、母親が死んでからずっとこうやって生きてきたのか?自分が引き継いだリネイ・ロットの遺産を狙う者たちに怯え、誰一人信頼できる人間も持たず、誰も信じず、たった一人で……?
「それともう一つ。リネイ・ロットが、こんな依頼を出すわけがないわ。あの人は娘の心配なんて、今まで一度もしたことがなかった。彼女が私にしてくれたことと言ったら、ただ銃の撃ち方を教えてくれただけ。それもそれは、私が一人でも身を守れるように。あの人は私のことを足手纏いだと思っていたから。あの人は、私のことを邪魔だと思っていた。私なんか生んだこと、後悔してた。」
「違う……っ!!」
ディドウはたまらなくなって、触れかけた肩を、自らに向けられた銃口ごと思い切り引き寄せた。
その体は、見た目よりずっと小さく細くて、幼く頼りなかった。なんて頼りないんだ。
“何一つ母親らしいことをしてやれず、愛ある言葉一つ掛けてやることもできず、娘を残して死んでゆくことが残念でならない。”
遅すぎる。死ぬ間際に気がついて、今さらそんなこと言うなんて。
ディドウは、愛を示すすべを知らない母親と、愛を知らずに育った娘と、しかし、お互いしか頼る相手のいなかった不幸な親子を想った。
「オマエみたいな小さい子が、一人っきりで生きていけるわけないだろう!」
ちくしょう、なんでこの子はこんなに平気そうにしてるんだ。
気づいたら、サラの代わりにディドウが泣いていた。
「あなたはなんなの?赤の他人のために、どうしてあなたが泣くの?」
サラに鼻であしらわれるように言われても、涙は止まらず、ディドウは冷たい拳銃を胸に突き立てられたまま、馬鹿みたいに号泣した。
それから、サラ・ロットは、アヴェンジャー社社長ディドウ・ラマンと、その相棒フィクサー、二人の父親に、大切に大切に育てられた。
少女がアヴェンジャーとなり、「ミルティ」というコードネームで名をはせるようになるのは、もう少し、先の話だ。