番外編:ミルティ閑話(3)
「やる気満々だなレスリー。」
ディドウはウェッジウッドのステーションに現われたレスリーの姿を見て苦笑した。
ファーの付いたジャケットに、煌びやかな深いグレーのドレス。金縁の色付き眼鏡まで付けて、思いっきりめかし込んでいる。
「あったりまえですよ。憧れの社長と、曲がりなりにもデートできるんですから。それに、相手はあのリネイ・ロットと来てる!」
いや、張り合うところが違うと思うのだが……。
「相手があのリネイ・ロットと来てるんだから、遊び半分じゃ命落とすぞ。」
ディドウは軽くクギをさして置いた。
正直、本物のリネイが出てきたとしたら、無事でいられる自信はなかった。
誤解をされては困るのだが、アヴェンジャーはあくまでハンディマン、便利屋に過ぎない。
戦後、まだ法や制度がきちんと整っておらず、もはや無法地帯と化していたパレットの時代背景、社会背景に恩恵を受けて、一種の私的な警察機能を果たすものとして現れたものだ。ハンディマンは実に多種多様な仕事を請負うが、どれも広く浅くという感じで、少なくとも「殺し」は専門外だった。そういう意味で、ディドウはあくまでアマチュアなのだ。
「すごーいっ、最高っすー!スイートルームじゃないですか!」
なんでスイートルームなのだ。ディドウは心のなかでフィクサーに毒づいた。
レスリーは大はしゃぎでベッドに腰掛け、ばふばふ跳ねている。
「わたし今夜、社長の隣りで死んでも本望かも……!」
レスリーは金の刺繍がたっぷり入った豪華なクッションを抱きながらうっとりと言った。
「縁起でもないことを言うな。」
ディドウは思わず突っ込む。
「でも、こんなことしてたらマウラさんに怒られちゃいますね。」
レスリーはジャケットを脱ぎながら、にやりと笑って言った。マウラとはディドウの妻のことだ。
「お子さん、出来たんですってね?」
「ああ。もうすぐ、二人目が生まれる。上の子はもう4つだ。」
子どものこととなると、さすがのディドウも自然に笑みがこぼれる。
長男はもう口も達者で、どうしようもないやんちゃ坊主だったが、可愛い盛りだった。
“願わくば彼女がこの先、悪の道に足を踏み入れることの無いように”
不意に、リネイの手紙の文句が頭に浮かぶ。
リネイの娘、今年十三になると言う。いったいどんな少女なのだろうか。
「せっかくだから、ルームサービスとか頼んじゃいます?」
「おいおい、それをいったい誰が払うんだよ。……ったくお前らはそうやっていつも無駄な経費をついやしてんのか?」
「ひゃーっ、す、すみません……っ!」
レスリーは首をすくめて謝った。
「じゃあお水で我慢しようっと。社長もどうぞー」
レスリーはすっかりくつろぎモードで、綺麗にカットされた脚付きグラスに水を注いでいる。せっかくめかし込んでいるのに言動が全くそぐわっていない。
「ほんとにお前は、緊張感のないヤツだな。リネイ・ロットに襲われるかもしれないってのに。」
「何言ってるんですかー社長がいればリネイ・ロットなんてメじゃないですよー!」
能天気なヤツめ。いったい誰だ、レスリーなんか連れてけって言ったのは。ディドウは心の中で再び相棒に毒づいた。
しかしリネイ・ロットは現われないまま、ゆっくりと夜は更けていった。
「せっかくだから、何か面白い話を聞かせてくださいよ。」
レスリーは水の入ったグラスを片手に言う。
「面白い話?」
「たとえばー社長と奥さんの馴れ初めとか!……奥さんって、どんな人なんですか?」
「それなー、言っとくが全然面白い話じゃないぞ。」
「いやいや、社長の恋バナとか、それだけで面白いですよ!」
レスリーは目を輝かせて身を乗り出す。さっきからこいつのこのテンションはなんなのだ。自分で言うのもなんだが、社長の威信や威厳ってやつはいったいどこへ消えた?
「あー、」
ディドウは困ったなぁと思いながら、首の後ろで腕を組んでソファに寄り掛かった。
「アイツとは、俺がイタン狩りに参加してた頃に出会ったんだ。」
「イタン狩りっすか……」
レスリーの声のトーンが心持ち落ちる。
「ああ。俺も昔はとことん貧乏だったから、なりふり構わず色んな仕事を点々としてたんだ。」
身を乗り出していたレスリーが静かになってグラスから水を飲んだ。夜も更けて、その氷の音が響くくらい部屋は静かだった。
あの混沌とした時代、急ごしらえで立ち上がったばかりのパレット政府はまだまだてんやわんやの状態で、インフラや魔法監視体制の整備、頻発する内紛への対処――いわゆるイタン狩り、さまざまな仕事を民間に依頼していた。選ばなければ、そして命さえ惜しまなければ仕事はいくらでもあった。
「俺が参加したのは、ローヤルフーシャのシエルホードの一派……戦後、政府を相手にかなり過激な行動をしてた奴らだな、そいつらを一斉摘発するっていう大規模な作戦だった。」
ディドウは十年近く昔のことを、思い出しながらゆっくりと語った。若者相手に昔話をするのも悪くない、そんな気分になっていた。
「その過激派集団に、アイツがいたんだ。いっぱしに立派なデバイスを使いこなしてたよ……まだたった16歳だった。」
「すごい出会い。」
「ああ、ドラマだろ?だが、アイツ自身はあんまりそういうレジスタンス的な行動に興味はなかったみたいだ。自分がそういう家に生まれついたからしょうがなく参加してるみたいな、一歩引いた、言ってしまえば醒めたような目で見ている節があった。……不思議だよな、シエルホードなんてバリバリの“イタン”家系に生まれて、そういう考えに染まらずにいられたってのは。戦争を知ってるか知らないか、そこに違いがあったのかもしれないが。」
ディドウはそこで一度言葉を切り、冷水を口にしながら当時のことを思い出そうとした。
絹糸みたいに綺麗な金髪を撫で付けながら、無神経なぐらい穏やかな口調で言っていたっけ、“世の中で起きていること、なんにも興味を持てないの。”。ディドウは死ぬか生きるかという、あの極限の情況で、あんな風なセリフを吐ける人間が存在することに驚いた。たぶん、完全に世の中に絶望――もとい、見離していたのだろう。
「それでまぁ……いろいろごちゃごちゃあって……、俺は困ったことにその冷めた少女のことが……あー、」
「好きになっちゃったってワケですか??」
言葉を濁すディドウに、ここぞとばかり嬉々として突っ込むレスリー。
「まぁ、かいつまんで言えばそういうわけだ。シエルホードの一派の連中が一網打尽にされていく中、俺は作戦なんてそっちのけで、アイツを逃がすことだけに命掛けたんだ。」
「ひゃー、社長カッコ良い!」
「カッコ良いなんてもんじゃねーよ。どっろどろのぐっちゃぐちゃ、もう必死だよな。俺もアイツも捕まったら確実に殺されるって思って、命からがらだった。」
「いやぁドラマチック過ぎでしょうそれ。ヤバいっすよ……!!」
レスリーのテンションが再びうなぎ登りに上昇してしまった。
「その、“いろいろごちゃごちゃあって”のくだりをはしょんないでちゃんと詳しく説明してくださいよー!」
「ここまで喋ったら充分だろ、お前にそこまで説明する義理は……」
「えー、そんな……」
「しっ!」
ディドウはレスリーの言葉を遮って、耳を済ませた。
五感を研ぎ澄ませた、と言った方が正しいか。
全身に緊張が走る。 今、なにか強い魔力の気配を感じた気がした。