Chapter4:とある人形遣いの恋物語〈ポールの話〉(15)
「こんにちは。こんな雨の日にもやってるのね。お客さん、こないでしょう?」
ポールは人形を操る手を止めて、顔を上げた。常連ではない、初めての客だ。少しかしげた小首に、ふわりとパーマのボブがかかる、可愛らしい女性だった。
「こんな天気だからこそ、うんざりした気持ちを晴らしてもらいたいからさ。……それに、雨に打たれてダンスなんて、ロマンチックだろう?」
雨の日はいつも以上にいいパフォーマンスをしたいと思ったから、今日はセシルを連れてきていた。セシルはポールの自信作だ。
「そうだね。」
彼女は黒い雨傘を肩に掛けてしゃがみこんだ。
ポールはたった一人のお客さんの為に、雨に濡れるのも厭わず、精一杯のパフォーマンスをした。
それから彼女は、しばしばサレム橋に現われるようになった。
でも控えめな性格なのか、いつも少し離れたところから遠巻きに見ているだけで、人形劇が終わるとそそくさと帰ってしまうのだった。
だからポールもはじめは、彼女のことを特に気にしてはいなかった。
それが、いつだったか、サレム橋に向かう途中の大通りで、偶然彼女にばったり会ったことがあった。
「あれ、きみは……」
ポールは街中で常連客にあった時にするように、普通に彼女に話し掛けた。
彼女はなぜか慌てふためいて顔を真っ赤にしながら、
「あっ、私、イヴっていいます!イヴリン・ウォルターです」
と、早口に言った。
ポールは思わず笑いそうになりながら答えた。
「ああ、いつも、人形劇を見にきてくれる子だよね?」
「私のこと、覚えててくれたの?」
「そりゃ、きみぐらい熱心に来てくれるお客さんのことはちゃんと覚えてるよ」
当然だ。大事な大事なお客さんのことはちゃんと見ていたし、なるべくみんなの顔は覚えようと思っている。
「そうか、おれの名前も知らないよね、ポールって言うんだ。今更だけど、よろしく」
「これから、サレム橋へ行くの?」
「そうだよ。イヴももしかして……」
「うん!もちろん、サレム橋に行こうと思ってたの」
イヴは大きくうなづいて答えた。
「それは……?今日のお昼?」
さっきから気になっていたのだが、イヴの右手にはなぜか食べかけのサンドイッチが握られている。
「えっ……?そ、そうなの。お昼なの」
イヴはもはや耳まで真っ赤っかだった。
天然なのか、人見知りなのか分からないが、どっちにしろなんだか可愛らしい女性だと思った。
それから二人は一緒にサレム橋へ行った。
「じゃあ今日は、皆勤賞のイヴちゃんに、ちょっとベンを動かしてもらおうかな!」
いつも遠巻きに観ているだけの彼女に、もっと人形劇を楽しんでもらいたいと思ったから、ポールはイヴにベンジャミンを動かしてもらうことにした。
イヴは子供たちに囲まれて、ポールが心配になるぐらい緊張でガチガチだったけど、すごく楽しそうだった。
それからと言うもの、イヴは人形劇の常連客たちともすっかり打ち解けるようになり、誰より熱心にサレム橋に通ってくれるようになった。
イヴはしょっちゅう差し入れをしてくれて、ポールにはそれがなんだか申し訳なくはあったが、もちろんまったく悪い気はしなかった。
「セシル、聞いてくれよ!今日はイヴちゃんがクッキーを焼いてきてくれたんだ。こんなの初めてだよ!」
ポールは箱いっぱいに詰められた手作りクッキーを自慢げに披露した。
「クッキーですって?」
セシルの表情は変わらなかったが、その声にちらりと不穏な空気が混じる。
「うん……まぁ、おれは食べたって味なんか分かんないんだけどさ」
ポールは自嘲するように言った。箱いっぱいのクッキーは、手付かずのまま、寂しく残っている。
「ポール、浮かれている場合かしら」
「……へ?」
「ポール、それって……、彼女、“本気”なんじゃない?」
「“本気”って……?」
ポールはぽかんとして聞き返す。
「ああもう、どうして男の人ってこうなのかしら。」
セシルは呆れ声で言う。
「だから、彼女、“本気”であなたのこと、好きなんじゃない?」
ポールはクッキーの箱を持ったまま、まだぽかんとしている。
「こう言っては悪いけど、あなたの人形劇がそんな、一大ファンを作るとは思えないし、好きじゃなかったらわざわざクッキーを焼くまでしないと思うわよ?」
「まさか。だっておれだぜ?こんなんだぜ?」
ポールはひょろりと貧相な自分の体を見ながら言った。
「あなたって、自分の魅力にまったく気が付かないのね」
セシルは呆れ顔のままだったが、ポールとしてはそんなこと、到底信じられなかった。