Chapter4:とある人形遣いの恋物語〈イヴの話〉(6)
ポールの家は石造りの古めかしいアパートだった。この街はこういう、古くて頑丈な建物が多い。
玄関から中に入り、狭い廊下を抜けると、ダイニングルームだった。
イヴは、呆気に取られてしまった。
食卓に据えられた椅子の上、本来の用途は食器を並べるものだと思われる棚、出窓のカーテンの傍らにも、至る所に人形が並べられていたのだ。
茶色い巻き毛の少年、おさげの女の子、老人、魔法使い……。人形劇でしばしば目にしたものもある。
「すごい……」
大小さまざまなおびただしい人形たち。イヴは正直な話、少し引いてしまった。彼は、こんなにたくさんの人形に囲まれて暮らしているのか。
彼の生活の空間のすべてが、人形に埋め尽くされているみたいだ。
「……こっちへ来て」
ポールは相変わらずいつもの彼とは別人のように硬い顔色をして、イヴを部屋の奥へと案内した。
ダイニングルームの脇には扉で隔てられた部屋が一つあり、そこがポールの寝室らしかった。
イヴはなぜか、緊張した。
狭い寝室の中央には、きちんと整えられた簡素なベッド。その脇に、小さな机と椅子が置かれていた。
「紹介するよ。セシルだ」
そこにきちんと姿勢を正して座って居たのは、いつか雨の中、華麗なダンスを披露をしてくれた美しい人形だった。
ポールの“とっておき”。
けぶるような長いまつ毛に、ポールの目とよく似た空色の瞳。陶器のように滑らかで、透き通るように白く、微かに上気した頬。そしてその薔薇色の薄い唇が、そっと開いて……
「こんにちは、イヴ。ポールからあなたの話はよく聞いているわ。いつも、ポールの人形劇を見にきてくれて、ありがとう」
すらすらとよどみの無い可愛らしい少女の声。正真正銘の、女性の声。そしてこともあろうに人形は、口の端を持ち上げて優雅に微笑みさえした。
イヴは背筋をぞわぞわと冷たい嫌悪感がはい上がるのを感じた。恐らくこの街に生まれ育った者ならば、誰もが感じるであろう嫌悪感と、恐怖。
「イヴ、分かって欲しい。僕にとっては、人形がすべてなんだ。僕には、人形を愛することしか出来ない」
ポールはきっぱりと言う。
「イヴが僕の愛する人形たちと人形劇のことを好きで、応援してくれるのは、すごく嬉しいよ。だけど、もしイヴがそれ以上の気持ちを持っているんだとしたら、悪いけど、……迷惑なんだ」
「ごめんなさいね、イヴ」
セシルの鈴の鳴るような美しい声が、追い討ちをかけるように言った。
イヴはあまりのことに、一言も発することが出来なかった。
体が小刻みに震え始める。突然浴びせられた大きな衝撃と、込み上げる悲しみに、涙をこらえるので精一杯だった。
“迷惑なんだ”――その一言が、イヴの心に深く、ふかく突き刺さった。
バカみたい。なんて、滑稽なんだろう。クッキーを焼いたり、マフラーを編んだり、彼に気に入られたいと、毎週毎週一生懸命やってきたこと、なんて、滑稽だったんだろう。
こんな、こんな結末なんて、少しも考えなかった。
振られても仕方ないと思ってた。
だけど、まさかこんな答えが待っていたなんて。