Chapter3:弱虫ヴィンスの逃亡劇(8)
ウィンターの宣言通り、マグノリアには昼前についてしまった。
「街道は見張られてる可能性がありますから、南の荒地から入りましょう。この車じゃ、逆に目立っちまいますからね」
マグノリアの街の南には、巨大な荒地が広がっている。人も農地も何もない、不毛の土地だ。
マグノリアも、先ほどのマッドストーンの工業地帯も、そうした荒地の一部を工業用地に利用しているにすぎない。人々に忘れられた土地だからこそ、政府が外国との玄関口に選んだのだ。
「マグノリアったって広い街ですから、特察の目を盗むのも可能かもしれませんよ。あんたの腕と、運しだいさな。あんた見かけによらず、タダのお嬢さんじゃないみたいだし」
「…ありがとう。これ、報酬ね。なんだかんだ言ってお世話になっちゃったし、少し多めに差し上げるわ」
私は長距離を走らせた分の差額の小切手を渡した。
ウィンターはそれを改めると、私たちを置き去りに、現れた時と同じぐらいすごい勢いで去っていった。
乾いた風に巻き上がる砂埃だけを残して、私たちはたった二人、荒野にぽつんと取り残されてしまった。
なんだか、急に心細くなる。
「ヴィンス。何があっても、私はあなたを見捨てはしないから」
私は自分自身に言い聞かせるために呟いた。
ヴィンスは意味が分かったのか分からないのか、私の顔を静かに見ていた。
なるほどたしかにマグノリアは大きな街だった。
ほこりにまみれて黄ばんだような印象のある古いがっしりした建物群。その間を整備された広い道路が走り、たくさんの人間や車が盛んに往来している。
こんな西の果ての、地図上では荒地しかないことになっている場所にあるにはあまりに似つかわしくない。つまり、実際にはサンドストーンと東の工業地帯、ひいては首都圏への交易の拠点として栄えた街、というわけだ。
私たちは人ごみに紛れて街をふらふらと歩いた。
「どこへ行けばいいのかしらね。観光案内所に行ったって、教えてくれるわけはないし」
ヴィンスはたぶん理解しないので、私の言葉は半ば一人ごとだった。
マグノリアからサンドストーンへ出ていく輸送船に潜り込むのが一番だと思うのだが、ヒッチハイクして乗せてくれるとも思えない。
と、思ったら、「ア、アノ……」ヴィンスがおどおどと口を開いた。
「なに?」
ヴィンスはナップサックから小さなメモを取り出した。
「ココ……、逃ゲル、助ケ」
小さなメモには、住所が書かれていた。
「逃げる助け?つまり……、ここに行けば海外へ逃げる助けをしてくれるってこと?」
ヴィンスは大きくうなづいた。でもなぜか、目が泳いでいる。
私はメモに言葉を書き付けた。
“これ、どうしたの?”
ヴィンスの翻訳機が通訳をする。
「けんきゅうじょのどうりょうがおしえてくれました。あべんじゃーのことをおしえてくれたひとです。でも、あなたがにげるほうほうをしっているならひつようないとおもいました。だから、あなたにまかせようとおもいました」
「なるほどね。ごめんね、頼りなくて。でも……そうね、正直な話、私もここから先はお手上げだから、そのメモの力を借りてみましょ」
私達は、警官っぽい人影にびくびくしながら、メモに書かれた住所を目指した。
町名と番地を追いながら進んでいくと、あたりはだんだんと寂しい雰囲気になってきた。
戸口を固く締め切った古ぼけた商店や、さびついて傾きかけた看板の掲げられた倉庫が立ち並ぶ。人影もない。
「大丈夫かしら……」
どうやらメモに書かれた住所は、そういった汚い倉庫街の一角の、ほこりっぽい灰色のビルだった。
扉に鍵は掛かっていなかった。中は狭い廊下で、突き当たりにもう一つ、扉がある。
目の高さの位置で四角くはまったガラスには、向こう側から板が打ち付けられているらしく、中の様子は見えなかった。
コンコン……
なんとなく、ノックをしてみたが、返事はない。
でも、中に人の気配はしているような気がする。
私は後ろのヴィンスを思わず振り返った。ヴィンスは不安そうな顔をしてこちらを見ていた。
「行くわよ」
扉を開けた。
中は、ほこりの積もった木箱がごろごろと転がる、殺風景な部屋だった。