Chapter3:弱虫ヴィンスの逃亡劇(7)
ブルー地区の高級住宅街をすり抜けるように通り過ぎると、まもなく私たちはグレー地区へ入った。
グレー地区とブルー地区の境界は一目瞭然だった。並木の緑と、美しく護岸された川とに囲まれた大邸宅がまばらになると、急に高層ビルがそびえるオフィス街が現れる。
ビルの谷間を走り去ったと思えば、次に現れるのはお化けのような工場群。パレット最大の工業地帯マッドストーンだ。
我々が日々使っているマジック製品のほとんどがここで作られている。
「グレー地区って、はじめて来るわ…」
工場や倉庫は整然と並びその間を碁盤の目状に幅の広い道路が走っている。
行けども行けども同じ風景。ときおり資材や製品を運ぶ車が走り去るが、人影はまばらで、なんだか殺風景でさみしい。まさに灰色の地区だ。
「さて、このあたりで少しばかし、休憩をさせていただけますか?私もさすがに疲れてきましたからね」
「ええ、そうね」
ちょうど、工場に囲まれた小さな町に着いた。
町の一角で車を止める。
ヴィンスはぐっすり眠ってしまっている。あえて起こすまでもないか……。
しかし、車から降りて体を伸ばそうか、と思って外を見たとき、私は異様な光景を目にした。
「え?」
まさか……。
前方から私たちの車と同じような、流線型の機体がいくつも走ってくる。
慌てて周りを見回せば、前後左右、まるで虫のようにざーっと寄せてくる群青色の機体に、我々は囲まれようとしていた。
「ウィンター、追っ手だわ!逃げて!」
私は焦ってウィンターに懇願した。
ここまで順調に来たから、少し油断していたが、やはり警察は私達を追ってきていたのだ。
ところが、ウィンターはまったく慌てたそぶりもみせず、車を停車させたまま冷たく言った。
「お客さん、申し訳ないが、ここでお別れです」
「え?」
「すみませんね、お客さん。なんだか知らないが、パレットに追われてるような方をお乗せするわけにはいかないんですよ。我々もこういう仕事ですから、政府ににらまれちゃあ商売が出来なくなっちまいますんでねぇ……」
私の体からさーっと血の気がひいていった。
「ち、……ちょっと待ちなさいよ!こっちは高いお金払ってチケット買ってんのよ。あなた、天下の黒キャブでしょ?政府が怖くて商売なんてできる?」
私は驚きと焦りに任せて怒鳴っていた。たまったもんじゃない。
今ここで降ろされたら、ひとたまりもない。パトカーは今にも私達を取り囲もうとしている。
私はM・ガンを抜き、身を乗り出して運転席のウィンターのこめかみに銃口を突きつけた。
「死にたくなかったら、今すぐ車を出しなさい」
素人だと思って足元みられたんじゃたまらない。
ウィンターはちらりと私を見返す。
「早く。政府が相手だろうがなんだろうが、“悪漢”に脅迫受けて仕方なくやるなら、許されるんじゃない?」
私は低い早口でまくし立て、車の外へ発砲した。私にとっては大事な一発。マジック弾は工場の壁面に当たり、ゴウンと激しい銃声が当たりに響き渡った。
ウィンターもさすがに少しビビッた様子でようやくハンドルを握った。
「それも、そうですね、“脅迫を受けて仕方なく”なら……」
車は急速発進する。
だが、すでに四方全てが特察のパトカーで埋まっている。相手は手に手に銃を持ち、一斉に発砲してきた。
死ぬ!
思わず目をつぶり、身を屈めたが、マジック弾は滑らかな車体に当たると消滅して行った。
すごい。これが黒キャブとやらの力?
「車体に当たる限りは大丈夫です。魔力吸収性能がありますから、この黒いボディには。窓から直接狙われれば命の保障はありませんがね」
ウィンターの口調は心持ち誇らしげだった。
「そんじゃ、まぁ、お客さん。しっかり掴まっててくださいよ」
車は斜め上方向へぐいんと跳ね上がった。パトカーの斜め上を行こうというのだ。
もちろん相手もこちらの動きに合わせて道を塞いでくる。
そこはそこ。黒キャブは車と車のすきを突進する。
がりがりと激しい衝撃が車を揺らす。パトカーと思いっきりぶつかりながら、激しい衝撃を受けつつも黒いつや消しの機体はびくともしていない。
なんて頑丈にできてる車なんだ。
「ウィンターあなた、なんだか楽しそうね。どっちかっていうと、すすんで犯罪者に協力してるように見えるけど」
思わず口にした私の言葉に、
「まさかまさか。そんなことはありませんよ。脅迫を受けて仕方なくですから、ね」
相変わらず帽子で隠された表情の中で、にやりと笑う口元だけが見える。
明らかに、楽しんでるじゃないか。
三次元のカーチェースだった。
超低空飛空船はある程度の高度までしか飛ぶことは出来ないが、その範囲でも、三次元の方向に逃げ道があれば、敵も全てを塞ぎ切るのは難しい。そしてウィンターは申し分なく最高クラスの腕前のタクシードライバーだった。
このままこれが続いたら確実に黒大豆を全部戻す……、と、思っている間に相手を振り切っていた。
「すごい……。黒キャブって、ほんとに、プロなのね。」
おそらく、こういうの、慣れっこなのだろう。
ウィンターはなおも追いすがってくる特察たちのパトカーを巻くために、灰色の工場群の隙間をすごい速さで駆け回った。そしてじばらくそれを繰り返すうちに敵を完全に引き離してしまった。
「このまま、マグノリアまで飛んでくれる?」
「分かりました。その代わり、マグノリアでさよならですよ。密出国だの、そう言った方面には私だって詳しくない。脅されたってお力にはなれませんよ」
どうやらこれは本心らしい。
「分かったわ。はじめからマグノリアまでってことだったしね」
「じゃあそろそろその物騒なシロモンを下ろしていただけやしないでしょうか?ひやひやしてしょうがねぇ」
「ああ、そうね。ごめんなさい」
私は銃を突きつけたままだったことに気づき、ホルスターにしまった。
「だいじょうぶなのですか?」
この期に及んでゆったりとした翻訳機の声が言うものだから、私はつい噴き出してしまった。
「オーケーオーケー。私がなんとかする」
とは言え、現状はあまり芳しくない。
先ほどの一団を振り切ったからと言って、私たちの目的地がサンドストーンであることは相手にバレバレなのだ。特察官たちはマグノリアやサンドストーンでも、網張って待ち構えていることだろう。
さて、これからどうするか。