Chapter3:弱虫ヴィンスの逃亡劇(5)
しかし、これからどうすればよいだろう。
特察にマークされているからには、政府の息のかかったスカイウォーカーは当然使えない。
となると、残るは陸路か……。
しかたがない。“個人タクシー”を使うか。
幸い追っ手の姿は今のところ見えなかったが、私は用心に用心を重ね、市街地から遠く離れた町外れまで逃げて、静かな住宅街の一角で立ち止まった。
白々と夜が明け始める刻限。まだ暗い朝の空気の中を歩く人影は少なく、あたりはしんとしていた。
逃げるときにきちんと部屋から持ち出してきた、ウエストポーチ型の圧縮バックから、真っ黒な切符を取り出す。
これも、会社から支給されたものだ。もっともこれは、めちゃくちゃ値段の張るものだからもったいなくてめったなことがなければ使わない。
使っちゃったってバレたら社長、怒るだろうな……。
「ナ……ニ?」
ヴィンスが不思議そうな顔をして私の手の中の切符を覗き込む。
「これ……?タクシー券。」
私は冗談めかして答えた。
ヴィンスは「?」という顔で私を見返す。
黒い切符を地面にペラリと置くと、足の裏でそれを軽く押さえる。
途端。ざざざーーーっと、怪しげな風が吹き、私が舞い上がる髪を手で押さえつけようとするより早く、何か黒い物体が、薄暗い町並みを高速で突っ切ってきた。
すごい……。
私も実は初めて使うので、ぽかんとしてしまった。
真っ黒な幌付き馬車みたいな(しかしもちろん車輪はついていない)、屋根と座席だけの簡素なつくり。でも、光をすべて吸収しているかのようなつや消しの黒の流線型の機体はなんか、近未来的でかっこいい。
さすがアヴェンジャー、いい運転手と契約しているんだろう。
「どうぞ」
運転手に促され、後部座席に乗り込む。
「すごい。いったいどんな魔法を使ったらあの一瞬で駆けつけられるの……?」
私が感嘆すると、
「それについては企業秘密なもんで。すみませんね……」
と律儀に応える。
機体と同じ真っ黒なハットで半ば顔を隠し、黒い皮手袋をきっちり付けた手で、同じく真っ黒なハンドルを握る運転手。なんだか、物凄く胡散臭い。
「お客さん、どちらまで…?」
「マグノリアまでお願いできるかしら」
「マグノリアまで?」
彼は片眉を吊り上げて聞き返す。
そして後部座席の私たちをちらりと見やると、
「こりゃ、骨の折れる仕事になりそうだな……」
低い声でぼやきつつゆっくりと車を発進させた。
車は徐々に加速を付け、風を切る音を置き去りにしながら走ってゆく。
流れ去るクラウドベリータンの街を眺めながら、私はようやく、一心地ついた思いだった。
真夜中に襲ってきた特察官どものせいで、今夜はほとんど寝ていない。しかし、緊張感から、今のところ疲労はまったく感じていなかった。
「ドコ……行ク?」
ヴィンスは心底不安そうな顔をして車にしがみついている。
「大丈夫。私は、あなたの味方よ。私、あなたを助ける」
私は、哀れな男を勇気づけるように言った。
「マイネームイズ、カレン・サヴァラン」
私は外国風に、右手を差し出した。
「個人契約を結びましょう。国に、帰りたいんでしょ?」
「報酬ハ……?私、オカネ……」
彼は哀れな顔をしたまま私をおずおずと見返す。
“報酬は、社長がはした金って言った20ペレで十分よ。”
私はメモを書いて渡してやった。
それに……。
“大切な人に、「会いたい」って言うあなたの気持ちは、よく分かる゛
ヴィンスは翻訳機を使ってゆっくりその紙を解読する。
「……アリガトウ」
彼はあたあたとメモと私の顔とを見比べながら、泣きそうな顔で言った。
車は黙々と走っていく。
街の途切れた眼下には、広々とした牧草地帯が見渡され、我々の斜め後方、東の空からまさに今朝日が昇ろうとしているところだった。
目指すのは、パレットの西の果て、マグノリアの街。
ネルスターの紹介を受けることはできなかったが、サンドストーンという街にパレット唯一の貿易港があるのは私も知っていた。密出国をしたいのなら、とりあえずそのサンドストーンへ行かなければならない。
しかし、サンドストーンの街には普通の手段で行くことは出来ない。
サンドストーンは地図に載っていない街だ。
世間的には「存在しない」ことになっている街。
もちろんスカイウォーカーの路線も繋がっていない。
地図上では西の端となっているマグノリアという街が、サンドストーンへの唯一の玄関口らしいのだが、そのへんがどうなっているのか、正直なところ私も行ってみなければ分からない。
ネルスターに力を借りることができればよかったのだが。