Chapter3:弱虫ヴィンスの逃亡劇(2)
男はヴィンス・ノウェルと名乗った。
英語は堪能で、外文化研究所のルルが通訳に来ると、難なく話ができた。
「密入国者か?」
ヴィンスは、私と社長とルル、三人の女性に囲まれて社長室のソファに縮こまるように座っていた。
社長に密入国者か?と問われて、ぶんぶんと首を横に振った。
「じゃあ、佳客居住者かなにか?どうして政府に追われていたんだ?」
ヴィンスはうな垂れて、ことん、と金のバッチをテーブルに置いた。
紛れもなく、パレット政府の金バッチだった。
“私は、パレット政府に拉致されてこの国に来た科学者です。”
「拉致?」
なんだか物騒な話だ。
「なるほど……。それで国に帰りたい、と言うわけか」
「パレットは、海外の科学者を拉致しているんですか?」
私はびっくりしてしまって、社長に聞いた。
「あなたも、公安にいたなら知っているかと思ったけど……?私も詳しくはしらないが、パレットの研究所ならばやりかねない、と思わないか?」
たしかに……パレットなら、やりかねない。
パレットは現在も昔もいわゆる「鎖国体制」にある。
海外との正式な交流はゼロ。外界との交流を一切絶ち、ある意味外界とは独立した別世界として、歴史を紡いできた。なぜかと言えばそれはもちろん、パレットは「世界で唯一魔法の存在する国」という特殊な事情があるからだ。
パレットはずっと、魔法の力だけで生きてきた。
そして、「科学」により世界を解明しようとする外界の人間達を、一段低いものとして見てきた節がある。だが、外界で「科学」が発達し、急速に近代化が進んできた現代、パレットも、「科学」の力を借りるべきなのではないかという流れが、18~19世紀ごろから起こりはじめた。そして大戦終結後、それは本格的に始まる。
いまや私たちに「科学」は必須のもの。現在普及が進み始めたマジック製品のほとんどは、外界の科学技術からヒントを得、魔法を融合させたものなのだ。
しかし、ではどうやってパレットはその「科学の知」を輸入しているのか。……いや、「科学の知」を外界から輸入している手にという事実すら、一般の国民には知らされていない極秘事項だった。政府直属の治安維持組織にいた私にとってさえもそれは同じだった。
政府は海外の科学者を拉致している…?
あくまでそれも、推測にすぎないことだったが、目の前に居る男が、その推測を証明している。
“私は国に帰りたい。研究所の同僚から、アヴェンジャーならばそういう仕事をしてくれると聞いた。”
ヴィンスは必死に訴える。
“どうか、私を助けてください。”
“お金ならほら、たくさんあります。”
ヴィンスはふところから札束を取り出し、ばんっと机の上に置いた。
社長はそれを確かめもせず、眼を伏せて冷たく言った。
「あなたには同情するが、我々は力になれそうにない。科学の研究や外国との問題は、パレットの中でも特にデリケートな部分だ。我々も仕事柄、政府との関係をいたずらに悪化させるようなことに首を突っ込みたくはないのだ。この間、少しばかり問題を起こしたばかりで、政府には目を付けられてしまっているし。そんなはした金をもらっても、とても割りに合わない。……申し訳ないが、お引取り願おう」
社長が口にした言葉を、ルルの通訳で聞いて、ヴィンスは驚いた眼で私たちを見返した。
そしてそのまま、警備の男達に両腕を掴まれ、引っ立てられるように部屋から連れ出されていった。
彼のおびえたような、途方に暮れた、哀れな表情がなんとも言えなかった。
その眼が私を、訴えるようにじっと見ていた。
非情だなぁ……。
今ここを追い出されたら、彼はすぐにさっきの政府の者達に捕まって、研究所に連れ戻されてしまうだけだろう。
だけど私も、ヴィンスが連れ出されていくのを見ていることしかできなかった。
アヴェンジャーがこの世界でこの稼業を続けていくために、政府との関係がすごく大事だというのはよく分かる。そして、そのためにこの女社長がどれだけ苦労しているか、平社員の私には、とても計り知れない。
私は嫌な気分を抱いて、家路に着いた。
こんなことなら、初めから手を出すんじゃなかった。
ネルなら、……どうしたろう?