Interlude
のんびりとした昼下がりだった。
店内にお客は一組。学生っぽいカップルが仲良くお菓子をつついている。
私がカウンターに寄りかかってぼんやりと窓の外を見ていたら、ちょっとカレン、と義姉に呼ばれた。
「試作品が出来たの。……食べない?」
「試作品??食べる食べる!……カリちゃん、こっち、任せていい?」
ショーケースの中を丹念に整理していたもう一人のウェイトレスにホールを任せ、私は大喜びで厨房へ入った。
兄の作るケーキは最高に美味しいのだ。
「そろそろ、桃の季節だからね。」
桃のゼリーだった。大きな桃の実がピンクのゼリーと牛乳の白いゼリーの間に見え隠れしている。
「おいしいー!」絶妙な甘さ。彩りも良い。
「なんかカレン、最近元気になったみたい。仕事、うまくいってるの?」
私は思わずスプーンを止めて、義姉の顔をまじまじと見てしまった。
やっぱり分かるのだろうか。
多少元気になったのは自分でも分かる。
少なくともこうして二人幸せそうにしている兄夫婦を見ていても平気なぐらいには。
「何事も順調よ。この店も、うまく行ってるみたいで、安心した。」
義姉は嬉しそうに笑った。
兄が独立して、この小さな喫茶店“サフラン”を義姉と二人で始めたのは三年前。
借金だらけで店を始めて、正直うまくいくのか心配だったが、リッチコールドのステーションから徒歩五分と言う立地条件も手伝っているのだろう、客もコンスタントに入っているようだ。
で、私がどうしてこんなところでウエイトレスなんかしているのかって?
別にアヴェンジャーから足を洗ったわけではない。
単に暇だからだ。
仕事柄、そうそう毎日働かなければならないわけではないし、どちらかと言えば暇な時間が多い。
特に今は、相棒のネルスターが前回の仕事でしでかした一大不祥事のツケとして、しばらく停職の処分をくらっているから、私の方にも仕事が回ってこないのだ。
(ちなみにネルスターの二十圧越えは、アヴェンジャーの有能なミルティ社長がコネだの賄賂だの、いろいろ汚い手を使ってうまく処理してくれたらしい。正直私は、そんなこと許されるのか?と驚きつつ、パレット政府や警察の闇の深さを垣間見た気がしたのだが……)
しばらく何もしないで休んでいてもいいのだが、なんとなく体を動かしていたいのが私の性分だった。
そんな私に兄はしょっちゅうりりしい顔をへなっとさせて言う。
「仕事やめて、この店でずっと働いたっていいんだからな。あんまり無理しないでくれよ。」
いつか私が、「中学を卒業したら、警察の専門学校に行く」と言った時も、おんなじようにへなっとした顔で言ってたっけ。
兄ちゃん頑張ってお金稼ぐから、せめて普通化の高校へ行ってくれ。お前は頭もいいんだから。
いろんなことをいってなだめすかされたけど、結局、お兄ちゃんは好きで調理師学校に行って、好きなお菓子作りやってるんじゃない、と言ったら、しぶしぶ承知してくれた。
実際あの時、私たち二人には兄の調理師学校の費用の上に、私が高校に通うお金を出せるほど余裕がなかったのも事実なのだ。警察の学校なら授業料は免除だし、寮では朝晩の食事も付けてくれる。
結局私はこんな状態になりさがってしまっているけど、あの時の選択は間違っていなかったと、今は思える。
「カレンさんカレンさん。」
カリちゃんがホールから私を呼んでいる。
「何?」表へ出ると、カリちゃんが店の外を示す。
ガラス越しに、スプリングコートをまとった長身の男が店先にぼーっと突っ立っているのが見えた。
なっ……。私は思わずたじろいでいた。
そんな私を認めたのか、男はゆっくり店内に入ってきた。
「よぉ。」
「……よくここが分かったわね。」
「いるかなーと思って来てみたらいなかったから、諦めて帰ろうか、それともうまいケーキを買って帰ろうか、迷ってたんだ。」
私はネルスターとサフランのケーキなんていう、場違いな組み合わせがおかしくて思わず笑ってしまった。
「どちらのケーキになさいますか?」
私は声色を変えて言ってやった。
「おすすめは?」
ネルはポケットに手を突っ込んで、ショーケースを覗きながら言った。
「ただいまの季節は、そちらのミックスベリーのタルトがおすすめです。」
私がすらすらと言うと、彼は、くっくっく、と笑いながら「じゃ、それ。」と言って、そばのテーブルによいしょ、っと座った。
結局ケーキを食べていく気らしい。
「あの人、以前も来ましたよね?彼氏なんですか?」
カリちゃんがにやにやしながらささやく。
「ち、違うわよ。」
私はとっさに言っていた。なんでもないのにちょっぴり恥ずかしいのが腹立たしい。
「ゆっくり話してください。こっちは大丈夫ですから。」
私は仕方なく、タルトとコーヒーを持って、ネルの席へ向かった。
「お似合いのカップルだって。」
ネルスターまで妙に嬉しそうににやにやしている。
「そんなこと誰も言ってません。」
私はぴしゃりと言い返してやった。
「それより、シエナとロンはどうしてる?」
「シエナは結局、M・ラボの研究員になることにしたらしい。もともとロンと所長は知り合いだったしね。住む場所も無事決まって、ようやく落ち着いたというところかな。」
「そう。」
私はそれを聞いて安心した。
この間の仕事の後、政府に追われる身となってしまった二人の身の振り方を、アヴェンジャー社長のミルティが世話してやったのだった。
M・ラボの所長が、彼女をぜひアヴェンジャーの研究員にと切望したため、あとは彼女の返答次第という話になっていたのだが。
「いや実の話、ミルティのヤツも汚くてさ、今回ティナが持ち帰ったプロナの回路をどうするか……って話な、シエナが研究員になるなら処分はシエナに任せると匂わせたんだそうだ。」
「ひー、社長ってやっぱり、酷い人だわ。」
ティナが持ち帰ったプロナの迷路の地図――つまり回路の設計図になるものだが、処分をどうするか相当もめていたのだ。
M・ラボとしては嬉々としてその分析と研究に取り掛かるつもりだったのだが、シエナは当然、民間の研究所が勝手にプロナの分析することを許すはずがない。
しかしそれを条件に持ってくるなんて。社長もずるい人だ。したたかと言おうか。
「あっ、ごめんね、カリちゃん!」
私が立ち話をしていたら、カリちゃんが私の分もコーヒーを持ってきてくれてしまった。
「いいんですよ、お店も混んでないし。その代わり、給料はちゃんと天引きしとくってお兄さんが。」
カリちゃんがニッコリしてそう言うので、お言葉に甘えて少しネルの向かいに座ることにした。
「ネル、……あんたは今回の件、どう思う?私、あのミカヤって人のこと、あながち間違ってるとも思えないのよね。」
ミカヤ・ファーレンもまた、今回のことでお尋ね者になってしまったわけだが、彼は何も言わずに消えてしまった。
私は正直彼の今後が一番心配だ。
「オマエもお人よしだなー!」
ネルはおかしそうに笑った。
「“魔法の自由”……?どっちにしてもどうせオマエは魔法使えないんだから関係ないと思うけどねぇ?」
「失礼ね!そりゃ魔法は苦手だけど、使えないわけじゃないんだから。」
私はむっとして言い返した。
「まぁオレ的にも?二十圧っていう制限が無くなったらどんだけラクになるかなーとは、思うけどね。」
ネルスターが冗談めかして言う言葉に私はぎょっとした。
「や……やっぱり無理だわそんなの!」
私は慌てて手を振って取り消した。
二十圧のリミッターが無かったとしたら……。
こいつ一人でもきっとやりたい放題で大変なことになる。
世の中にそれを思ってる人間がいったいどれだけいるのか……想像するだけで空恐ろしい話だ。
世界にはマジックによる犯罪が溢れ、政府の力では抑えられないぐらい、世界の秩序はガタガタになってしまうだろう。
「だろ?」ネルがくすりと笑って言う。
「多少の監視はしょうがないんだよ。もちろん、今のパレットの体制が最良策かどうかは分からないけどな。まぁあのミカヤとか言うヤツ、こっからどうにかうまくやってくれるんじゃないかとオレは思うよ。シエナちゃんが命懸けてまで言わんとしたことが、ちゃんと理解出来たんならな。」
「そうね……。」
そうであることを願うばかりだ。そして、彼がいつか、シエナのもとに戻って来てくれたらいいな。
「それよりホラ、新しい仕事だ。」
ネルは大判の茶封筒を出した。
「……ってことは、ネルスター、もう停職は解けたの?」
さすがに今回の件はかなりヤバかったらしく(「魔法法」関係の犯罪は特にデリケートな問題なのだ。)、社長はほんとにブチ切れてて、しばらくネルスターには仕事を回さないと言っていたはずなのだが。
「いや?」
ネルは意地悪そうににやりと笑った。
ネルスターという人は、自分があれだけ大変なことをしたと言うのに、全く懲りてないんだから……。
「今回は、お前一人でやってみろって。」
「私ひとりで!?」
「ああ。……その代わり、けっこう難しそうな仕事だから、十分、気をつけるように。」