episode.96 どう足掻こうとも
時のキャッスルへついに帰ることができた時のプリンスとアオ。
二人はキャッスル内の様子に変化がないことを確認すると安堵する。
「帰ってくることができ、とても嬉しいです」
アオはご機嫌でその場でくるくる回ってみせる。
一方時のプリンスはというと、背もたれに背をあてがいながら椅子に浅く座り、少し離れたところにいるアオの様子を見守っていた。
「貴方も嬉しいのでしょう、時のプリンス」
振り返れば青い艶やかな前髪がさらりと流れる。
澄んだ青の瞳に見つめられた彼はハッとしたような顔をして――ある種の気まずさゆえか、すぐに視線を逸らした。
もっとも、仮面があるので外からは目は見えないのだが。
「ま、喜ばぬ理由はないわな」
愛想なく呟く。
「またそのような曖昧な言い方をして」
対するアオはそんなことを口にしながら軽やかな足取りで彼の方へと進む。彼のすぐ傍まで行くと、腹を折って、上半身を軽めに前へ倒す。後ろ髪が前へ垂れそうなのも気にせず、彼女は椅子に座る時のプリンスの顔を覗き込んだ。
「素直に嬉しいと言えば良いではないですか」
「余計なことを言うな、アオ」
時のプリンスは圧をかけるような言い方をしたがアオはまったく気にしない。
むしろ躊躇いなく距離を詰めていく。
「……何のつもりだ?」
不自然なほど近寄られたうえ真っ直ぐ見つめられた時のプリンスは怪訝な顔をする。
アオは両方の手のひらを彼の太ももの上へ置く。そして背を反らすようにして彼を下側から見上げた。今、二人の顔の位置は、互いの息がかかるほどに近い。
「嫌ですか」
囁くように発するアオ。
「いや、特に何も思わん」
これは即答だった。
「ではもう少し近づいても問題ないでしょうか」
「……お主、何を企んでおる?」
「問いに答えてください」
「近づくくらいなら好きにすれば良いが、何がしたいのか分からぬわ」
時のプリンスは視線を上へ向けて溜め息に似た息の吐き出し方をする。
「二人きりは久々です」
「何が言いたい」
「言わせるのですね。しかし構いません、言いましょう」
数秒間を空けて。
「距離を縮めたいのです」
言いたいことをはっきりと述べた。
「子どもや人間がいるところではこういうことはできません。しかし私は接近することに興味があります。無理にとは言いませんが、できるのならば、こうして傍にいたいのです」
アオは本心を明かす。
恥じらってしまいそうなことを言っているものの、現時点では真面目な面持ちを保っている。
「今さら何を。ずっと一緒におるだろうが」
「いえ、それだけでは不足です」
言って、アオは片手を伸ばした。
青く塗られた爪のついた細い指先が触れるのは時のプリンスの側頭部に存在する三つ編みになっている部分。
「……なぜそこを触る」
触れられたことより触れられた部位に困惑する時のプリンス。
「髪型個性的ですよね」
アオは微かに笑みを浮かべながら頭部のラインにおおよそ沿うように存在する三つ編みを指で揉んでいる。
「個性的、か……それは悪口か?」
「いえ、そういうわけでは」
「では何なのだ。……そもそもお主はなぜここまで我に近づくのか。べたべたしおって。出ていけとは言わぬのだから、普通にその辺におれば良いだろう」
愚痴を言うような言い方で発する時のプリンスを見たアオは、ふふ、と、笑みをこぼした。その笑みは先ほどのうっすらと浮かぶ笑みとも少々異なった種の笑みだ。今の笑みというのは、可愛いものを目にした時に自然とこぼれるようなそれに似ている。
目の前にある愛おしいものを大切にしたい。
そんな想いを抱え込んだ笑み。
「素直でないですね」
アオとて愚か者ではないのでさすがに無理なことはしない。相手の反応を見つつ動いている。これらの動きは仲良しでいたいしできればさらに仲を深めたいという気持ちでしていること、だからこそ、目の前の彼の反応を確認している。当然、相手が嫌がるところまで踏み込んでは逆効果だということも理解している。もっとも、許される範囲内ではかなり踏み込んだことに挑戦しているのだが。
「……馬鹿にしておるのだな」
「まさか! 馬鹿になんてするはずがないでしょう。ここははっきり言います、私は貴方を尊敬しています!」
「これまた嘘臭いことを……」
「嘘ではありません。貴方はいつも私に特別なものをくれます。それに恩人です。なんせ、貴方と出会わなければ今はなかったのですから」
長文を一気に吐き出してから、アオは高めの位置で目の前の彼を抱き締めた。
「貴方といるだけでたくさんの初めてを学ぶことができます」
何気なく発した一言。
それが空気を変える。
直前までは好きなようにさせていた時のプリンスだったが、急にアオの身体を自身から引き離した。
「……時のプリンス?」
今度はアオが困惑することとなる。
急に床へ戻された彼女はきょとんとすることしかできない。
「あの、どうして……」
アオの声は不安に揺れる。
「あまりそういうことをするな」
「もしかして……嫌でした? もしそうだったとしたら……すみません」
しょんぼりするアオ。
「すみません……」
「他者をおもちゃにするのはほどほどにせよ」
時のプリンスは椅子から立ち上がってから「……余計なことを言うのも、な」と小さく付け加えた。
アオは目を大きく開く。
「それはどういうことですか?」
訪れる沈黙は重苦しい。
彼はすぐには答えなかったけれど、数十秒ほど黙ったその果てに、ようやく口を動かす。
「悲しいことよな、どう足掻こうとも――」
一旦言葉を止めかける、が。
「我がお主の一人目になることはない」
彼はそこまで言いきった。
意味が理解できないアオはただ棒立ちでいるしかなった。




