episode.93 態度、改めよ ★
黒いものが抜けてゆけば、元・剣のプリンスの瞳は僅かに澄んだ。
しかし彼は横たわったまま静かに瞼を閉じる。
傍らに置かれていた剣と黒い水晶のような欠片はいつの間にか無となっていた。
「どうか安らかに」
元・剣のプリンスの肉体から柔らかな光が放たれ、やがてその光に飲み込まれてゆくかのように消えてゆく――そしてやがて数枚の白い羽根となって散っていった。
触れていた手さえも残りはしなかった。
残されたのは穏やかな人の世だけ。
確かに触れていたものが消えると、どこか寂しさを感じるものだ。たとえその相手が敵だったとしても。
「フレイヤさん」
上から声が降ってくる。
座ったまま面を上げれば、剣のプリンセスが視線を下ろしてきていた。
「びっくりしたわ。危険なことをしちゃ駄目よ」
手を差し出してくれる剣のプリンセス。
私はその手を取って立ち上がった。
「すみません、なんというか……いきなり入っていってしまって」
思えばあの時私は勝手に入っていってしまった。剣のプリンセスがとどめを刺そうとしていたのに、私はそれを邪魔した。迷惑なことをしてしまっただろうか。一人そんなことを考えて少しもやもやする。
が、彼女はというとまったく気にしていないようで爽やかな表情を浮かべていた。
「え? 責めてない責めてない。気にしないで! それよりフレイヤさんが無事で良かった!」
剣のプリンセスの表情は、顔を上げれば見える明るく晴れやかな空と同じようなもので。
「クイーン、あのような勝手な行動をしては危険極まりな――」
「フレイヤちゃんー! 愛してるわー!」
盾のプリンスの声を遮り抱き締めてきたのは森のプリンセス。
胸もとがめりこんでさりげなく柔らかい。
空気を読んでか剣のプリンセスは一歩下がる。
「森のプリンセスさん……」
「上手くいったわねー、嬉しいわー」
「ご機嫌ですね」
「そう? うふふ、そうかもしれないわねー。でも当たり前でしょう? だって、あの男をついに倒せたみたいなのよ? 機嫌も良くなるわよー」
彼女は頬で頬をすりすりしてくる。
触れる肌は滑らかかつ柔らかでとても気持ち良い。
「きゃー! 密着する森プリとフレレ! 仲良し以上仲良し未満ですぅーっ!」
「何言ってんだ愛のガキ」
と、その時。
「では我は帰る」
時のプリンスは建物の正面玄関の方へと歩き出した。
「ちょっと! 待ちなさいよ、協調性なさすぎ!」
「……黙れ」
勝手に帰ろうとする時のプリンスに向けて、眉間にしわを寄せつつ声を発した剣のプリンセス。しかしその言い方が悪かったようで、時のプリンスは不快そうに口角に力を加えている。
「お主だけには言われとうないわ、操り人形の裏切り者め」
「ちょ……そんな言い方ないでしょ!?」
「態度、改めよ」
時のプリンスは建物に入っていってしまう。
今にも飛びかかりそうになっていた剣のプリンセスを制止したのは、いつの間にか傍に寄っていた杖のプリンセスだった。
「落ち着いて。感情的になってはいけません」
「でも!」
杖のプリンセスは首を横に振る。
「それに、ああなっていたことが事実である以上、こちらには返せる言葉がありません」
剣のプリンセスは悔しそうに俯く。
「そうかもしれません、でも……」
「ここは堪えるしかないのです」
数秒の沈黙の後、剣のプリンセスは不満の色を残しつつも一度だけ頷いた。
空は今も澄んでいる。その美しさに変わりはない。穏やかな風が吹き抜けてゆくこの世界はとても綺麗で、爽やかという言葉がよく似合う。
……にも関わらず、漂う空気は何とも言えないものだった。
「ま、取り敢えず帰りましょうかー」
そんな空気に穴を空けるかのように明るく発する森のプリンセス。
彼女はさりげなく私の片手を握っていた。
「ね? フレイヤちゃん」
敢えて一歩前へ出てから振り返り微笑みかけてくる彼女は、まるで無垢な少女のよう。
「そうですね」
「ふふー」
元・剣のプリンスは倒された。
ひとまず平穏が戻るだろう。
ここにも慣れてきたが、世に平穏が戻ればこの避難所もいずれ閉まるだろう。あくまで被害から逃れるための場所だから。それはつまり、いつまでもここにいることはできないということで。私たちはまた次の居場所を見つけなくてはならなくなるかもしれない。
キャッスルへ戻れれば一番良いのだが。
クイーンズキャッスルの球を斬った彼が消えたことによって何らかの良い変化が起きる、なんてことがあれば嬉しいのだが……それはさすがに都合の良い展開を望み過ぎだろうか。
◆
敵基地内部のとある一室にて、元・剣のプリンスの消滅を確認した青髪の女性は主たる者と連絡を取る。
「王、例の件ですが、あの男は失敗し終わったようです」
その室内はやや薄暗い。そこにある光は間接照明のみ。壁も天井も限りなく黒寄りの灰色で、どことなくゴム臭がふわと漂っている。並んだ銀色のデスクには複数のモニターが横並びに置かれている。
「コンパクトも破壊されたようです」
ちなみに、青髪女性が立っているのは、複数あるモニターのうちの一つの正面である。
彼女は無表情だ。
青く僅かに発光するような瞳でモニターを確認しつつ言葉を交わしている。
「……はい、はい、そうです。恐らく。……脱走した個体ですが、はい……現時点ではまだ……はい、その通りです、処分が完了しておりません。……その通りで……申し訳ありません」
室内には音がない――否、厳密には、女性が言葉を発する声以外には何一つとして音がない。
いくつもの機械が運び込まれたその部屋には、いろんな色の光があり、点灯し続けたり点滅したりするようなランプがある。が、それとは対照的に、音と呼べるようなものは無であった。
「承知しました。……それでは」




