episode.85 骨折はさすがに発想が怖い ★
「今日天気良くね?」
「久しぶりだよなー、外行きたくなるわ」
「ちょっと出掛けたいよな」
「なー。ていうかさー、ちょっとでもいいからさー、家帰りてーわ」
避難所内でも一般人の間でそんな会話が行われていた。
どうやら今日は本当に天気が良いようだ。
盾のプリンスに再会できるかもしれないという嬉しさの影響を受けて晴れやかな空に見えているのかとも思ったが、そういうことでもなさそうだ。
いや、もちろん、まったく無関係ではないだろう。
憂鬱な時にはそもそも空なんて見上げない。そういう意味では、気づけていなかった、という可能性もあったように思う。
ただ、他の人たちも今日の空の魅力に気づいているなら、やはり今日の空が特別なのかとも思うし……当然、両方という可能性もある。
「実は持ってこれなかったやつがあってさー」
「何?」
「嫁の写真!」
「うわ、それ、一番大事なやつだろ。何で忘れた」
「うっかり、でさー……」
「駄目だなそれは」
知り合いでもない人間の会話を聞きつつ、荷物を運ぶ。
今私が手にしているその箱には食料が入っている。それほど大きくないように見える箱ではあるが、中には物がびっしり入っているため、重量はそこそこある。ずっしり、と感じるくらいには重い。
一般女性がこれを運ぶとなればかなり努力しなくてはならないだろう。
クイーンの力で物を持ち上げる能力も多少高まっているからこそ、こうしてまともに運べているのだと思う。
夕暮れ時。
日が傾いた頃。
一階廊下で処分する袋の整理をしていると、避難所の入り口のうちの一ヵ所である正面玄関から入ってくる人影が見えた。
「……あ!」
先頭で建物内へ入ってきたのは落ち着いた表情の森のプリンセス。
彼女の片腕には、久々に見る顔――愛のプリンセスがぶらさがるようにしてくっついていた。
「おかえりー。フレイヤちゃん、ちょうど良かったわー」
「合流できたのですね!」
「ええ。少し難航したけれど、上手くいったわ」
愛のプリンセスは私の顔を見るや否や森のプリンセスの腕からぴょんと離れ、それから凄まじい勢いで駆けて迫ってくる。
「フレレフレレフレレ! お久しぶりですぅーっ!」
彼女はその勢いのまま飛びついてきた。
危うく転ぶところだったが何とか耐えられた、身構えていたのが良かったような気がする。
抱き締められた瞬間、彼女のふわりとした赤茶の髪が顔に触れた。甘い香りが漂っているような気さえする。それから頬ですりすりされると愛らしい香りはより一層強まったような気がした。
「愛のプリンセスさん……無事で良かった」
「フレレもですーっ! 無事で無事で無事で……っ、ぼんどおぢよばっだあぁぁぁ!」
突如泣き出す愛のプリンセス。
でもこれは悲しさや辛さからの涙ではないはず。きっと喜びから溢れたものだろう。いや、そうでなければおかしい。もし仮にこれが悲しさや辛さからの涙だったとしたら意味が分からない。
両腕に少し力を加え抱き締め返す。
愛のプリンセスの背中は柔らかくふわりとしている。
そうして彼女と抱き合っていると、少し間を空けて一人男性が入ってきた。今さら言うまでもないが、盾のプリンスであった。抱き締め合う体勢はそのままで、入ってきた彼と目が合って。視線を外せなくなる。
「プリンスさん……」
「……クイーン」
ほぼ同時に互いを呼んで。
「問題なかったようで安心した」
彼は少しだけ表情を柔らかくする。
「しかしやはり……女性同士は羨ましい」
盾のプリンスが控えめに苦笑しつつそう言ったことで正気に戻った愛のプリンセスは、素早く身を離してから「ふえ!? アイアイ何かやらかしました!?」と発して狼狽えていた。
自由の身となったので、彼の方へ身体の全面を向ける。
「おかえりなさい、盾のプリンスさん」
一歩近づき、両手を前へ。
「よければぎゅってします?」
冗談半分で言ってみると、彼は困ってしまったような顔をする。気まずそうというか、恥ずかしそうというか、そんなような表情だ。
横に立っていた森のプリンセスは涼しい顔で「そんなに女性同士が羨ましいなら男性同士で仲良くすればいいじゃないー? 抱き合ったり」などと口を挟む。盾のプリンスはそれに対しては真顔で「無理」と断言していた。
ここで引くべきか否か迷い。
しかし私は思いきってもう一歩前へ。
「しませんか?」
瞳を見つめてもう一度言ってみる――直後、彼は急に抱き締めてきた。
「イタイイタイイタイ!」
凄まじい力で抱き締められ、思わず叫んでしまう。
彼は慌てて腕の力を弱めてくれた。
これでは雰囲気が台無しだ……残念……でも本当にかなり痛かったから仕方がない、我慢なんてそれこそ無理。
「すまない、少しやり過ぎた」
「力、強……」
なんという力強さ。
別のところで発揮してほしい。
その時ふと視界に彼の右腕が入った。灰色の袖には切れ目ができていて、そこから垂れたと思われる赤いものが辺りを濡らしている。いや、厳密には、もうおおよそ乾いているようだが。いずれにせよ赤いものが放たれたことは確かだと思う。
そんなことを思いつつ腕だけを見つめていると。
「どこか痛めたか?」
彼は心配そうに尋ねてきた。
「盾のプリンスさん、腕、怪我してますね」
「ああ……いや、少し切れただけで問題はない」
そこで一旦言葉を切った彼だったが。
「会いたかった」
数秒後、そう続けた。
その日の晩。
今は盾のプリンスの髪を結び終えたところである。
先ほど係員に事情を説明して髪を結ぶのに使えそうな紐を貰ってきた。これであれば問題なく結べるはず、と思い、せっかくなので私が結ぶことにしたのだが……意外と難航した。というのも、私は髪を結ぶことに慣れていなかったのだ。そこに気づいていないところが悪かった、そのせいで時間がかかってしまった。
「できました」
声をかけると、椅子ほどの高さがある段に腰掛けていた彼は振り返る。
「すまない、助かった」
「お待たせしました。……え」
急に抱えられる。
彼の太ももの上側の面に尻が軽く触れるくらいの位置で止まった。
「えと、あの……」
顔と顔が接近すればそれまで気づかなかったことに気づく。一応杖のプリンセスに手当てしてもらっていたのだが、今見ると、彼の頬にはまださりげなく傷が残っていた。その頬に恐る恐る触れてみる。
「どうした?」
「傷がまだ残っていますね」
「たいした傷でない」
そりゃあ腕に比べればね。
「それより、あの時は強く抱き締めてしまってすまなかった。骨折していないか」
骨折、て……。
「大丈夫です」
「だといいのだが」




