episode.83 愚痴から愚痴まで
敵勢力の基地内の一室にて、床に座った元・剣のプリンスは頬をむくむくと膨らませる勢いで後ろ向きな言葉ばかりを並べている。
「あーあー、ついてねえなー。いいとこまでいったのに握力で逆転されるとか萎えるとしか言えねぇ。ああもう溜め息しかでねぇよ」
首を絞められかねないと感じプリンセスプリンスらを人の世へ返すことを選択した彼は、もう一時間以上こんな様子である。次から次へと不満や愚痴のようなことを発するばかりだ。プリンセスプリンスを帰らせることで命を護った彼だが、自身の状態が少し落ち着いてからというもの、ずっとこのような振る舞いを継続しているのである。
「あいつらをこっちに集める作戦は駄目だったなぁ……ああまたイライラしてきたッ!!」
爆発寸前の彼の手もとに白いものが入ったマグカップが届く。
青髪の女性が持ってきてくれたのだ。
気づくや否や、元・剣のプリンスはそれを奪い取るような勢いで受け取った。
彼は早速カップの縁に口をつける。そして躊躇なくカップを一気に傾けた。するとカップの中の液体が滑り降り口腔内へと飛び込む。彼は一瞬「あっつ」とこぼしたが、そこでやめると負けたようなのが嫌なのかそのまま飲み続ける。カップの中の液体が八割ほどなくなると、ようやく唇を離した。
「なんだこれ」
「ホットミルクといいます、人の世の飲み物だそうです」
「おい! 人の世の飲み物を飲ませるとか嫌がらせかよ!」
「いえ。嫌がらせではありません。得た情報によれば、この飲み物は精神を安定させるのに良いとか。そこでお持ちしてみたのです」
元・剣のプリンスは残り少しをぐっと飲み干し、マグカップを返す。
「何のつもりだ? 精神を安定させよう、なんぞ、ここじゃ一番ない発想だろ。むしろここじゃ情緒不安定の方が評価されるくらいじゃないか」
「それはそうかもしれませんが」
「何だよ?」
「先ほどからの貴方は精神状態が不安定過ぎるようでしたので」
刹那、元・剣のプリンスは女性の首もとの布を掴む。
「はぁ!? 喧嘩売ってるのか!?」
女性は黙って目を少し細める。
「馬鹿にしてるんだろう! なぜ? 俺がプリンスあがりだからか!?」
凄まじい勢いで怒鳴られるが、女性は怯えはせず、それまで同様冷静さを保っている。
「負の感情は強い武器となりますが、強い負の感情を抱えている者を見ていると気の毒にも思えるものです。ということもありホットミルクをお渡ししました。一時的にでも落ち着かれた方が、と思いまして」
淡々と返されて冷めたのか、元・剣のプリンスは女性から手を離した。
「負の感情は力となりますが、ここで爆発させても消耗するのみかと」
「はー。……ま、そうかもなぁ」
暫しの沈黙の後、女性が口を開く。
「実は、良いご報告もあります」
想定外の言葉が発されたからか元・剣のプリンスは素早く女性の方へと視線を向けた。しかも目をいつもより大きく開いている。女性を映す瞳はまるで宝玉の一種のよう。
そんな元・剣のプリンスの前で女性は自身の右腰もとへ手を伸ばし、スカートについたポケットの中から一つの物体を取り出した。
「こちらをご覧ください」
女性は二つの手をくっつけた状態で手のひらを上にし舟のような形を作る。そこに慎ましく乗っているのは黒い水晶のような素材のコンパクト。女性の二つの手のひら内に収まるそれほど目立たないサイズだが、表面には艶があり、光を受けて心なしかきらきらしている。
それは、人の世から集めた負の感情を練り込み製造されたコンパクト。
もっとも、コンパクトの形をしていること自体には特に深い意味はなく、元・剣のプリンスの思いつきでクイーンが持つコンパクトに似せて作られたのである。
「例の件です」
「あー、それか。あまり覚えてないがなぁ」
「コンパクト、完成しました」
元・剣のプリンスは珍しく嬉しそうな顔をする。
「おお!」
彼は瞳を煌めかせて喜びの光を放った後に女性の手のひらにある黒いコンパクトへと片手を伸ばす。
女性は何か言おうとするが、それより早く彼の指先がコンパクトに触れて。
指の先端がコンパクトと触れ合った瞬間黒々とした火花が散る。
「っ!?」
元・剣のプリンスは突然発生した火花に一瞬息を詰まらせる――が、そこで動きをとめることはせず、迷いなくコンパクトをわしづかみにした。
ばちばちと音が鳴るが彼は一切気にしない。
「どうやって使う?」
「難しいことはありません。それを持つだけで力は増幅されるでしょう」
「持っているだけ、かぁ?」
「はい」
元・剣のプリンスはしばらくコンパクトを眺めていたが、やがて立ち上がる。
「いいな、これ。これがあれば俺はいくらでも強くなれそうだ」
不機嫌なことの多い元・剣のプリンスではあるが今は不機嫌さはまったくない。むしろ先への希望に輝いた顔をしている。無論、黒い希望ではあるのだが。
「ここまでは失敗ばかりだったが……これがあれば、俺の夢はまだ終わらない」
彼は独り言を呟くと、コンパクトを手に部屋から出ていく。
女性はその背中を無言で見送った。
やがて室内にいるのが女性だけになると、彼女はその場で真っ直ぐ立ち、右手で本来右耳があるであろう辺りについている黒っぽい機械に触れる。
それから数秒ほどが経過し、薄い唇を淡白に動かし始める。
「お待たせしました、王。例のコンパクトは無事渡すことができました」
女性は何度か「はい、はい」と返事を繰り返す。
そして。
「それでは失礼致します。我らが王の野望、もうじき果たされることでしょう」
そう述べる女性の瞳はとてつもなく深い湖の夜の水面のような色をしていた。




