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episode.81 怒らず耐えているだけで凄い

 人の世、街中。

 徐々に日が傾き出し空が僅かに赤みを帯び始める頃、住宅街を歩く一人の女性がいた。


 身体に密着した珍しい服装を着ていて、黒めの長い髪をなびかせながら誰と関わるでもなく淡々と歩いている――ミクニである。

 ミクニもまた人の世へ来ていた。意識が途切れ、しばらくして気づけば、街の外れに移動していたのだ。だが今のところ誰とも合流できていない。

 辺りには民家が並んでいるが、その多くには灯りはなく、街全体が薄暗くなっている。


「あなた! やめて!」


 突如響く悲鳴。

 警戒するミクニの視界に入ったのは、暴れる男性と成人女性と子ども。


「お願い、落ち着いて……きゃっ!」

「怖いよぉ」


 子どもを庇おうとした成人女性が男性に殴られるのを見たミクニは、どうしても無視できず近寄っていく。


「何してるのかしら」


 声をかけるミクニ。

 成人女性は子どもを抱き締め震えていた。

 男性は間に入ったミクニにでも躊躇なく殴りかかる。が、その拳をミクニは片手で受け止めた。そして鋭く睨み低い声を出す。


「暴力はやめてちょうだい」


 だが男性はまともに意志疎通しようとはしない。否、できないのかもしれないが。男性は言葉が聞き取れないような曖昧な発音で何やら怒鳴るだけ。


 その様子を目にしたミクニは男性をどうにかするというのは諦めたようで、子を守りつつも怯えている成人女性に「一旦逃げましょう」と声をかけた。


 成人女性は恐怖に顔面を染め上げながらもこくこくと頷いて子を抱き上げる。


 そうして三人はその場から離れた。



「すみません、ありがとうございました……」


 男性から逃げきってから、成人女性は複数回頭を下げて礼を述べた。

 ミクニが怪訝な顔で「何があったの?」と尋ねると、女性は「実は、家族で避難しようと話していたのですが……」と話し出す。

 成人女性の話は、ここのところ近所で喧嘩やら何やら不気味な事件が多発しているため家族で避難しようと相談していたがその時になって夫が急に暴れ出して、というものであった。


「では今から避難所へ?」

「はい。夫とは行けませんが……子を守らねばなりませんので、行きます」


 それを聞いたミクニは問う。


「同行しても良いかしら」


 すると成人女性は少し明るい顔つきになる。


「ぜひ……!」


 こうしてミクニは成人女性とその子どもと共に避難所と呼ばれる場所へ向かうこととなった。



 ◆



 盾のプリンスがいなくなってから二週間ほどが過ぎた。


 剣と杖のプリンセスが復帰したことで心理的にはかなり余裕ができたように思う。戦闘に長けた剣のプリンセスと幅広い術が使える杖のプリンセス、二人が味方に戻ってくれたというのは大きなことだ。


 私はあれからも物を運んだり配ったりという用事をこなしてきた。たまに掃除もする。係員の女性やウィリーと同じ仕事にあたっている。それらは戦闘能力は高くなくともできることだ。私は与えられた役割に集中することを選んだ。それが最善だろうと判断して。


 だが今日はその仕事から少し抜けている。

 今はアオと共に地下へと続く通路を歩いているところ。


「気にかけてくださってありがとうございます、フレイヤちゃんさん」

「いえ。こちらこそ急にすみません」


 アオと時のプリンスはあの後子ども部屋の担当に移った。それまで子ども部屋に出入りしていたフローラと海のプリンスが疲れきっていたこともあったが、時のプリンスが体調を崩していたこともまた一つの理由だ。加えて、戦闘要員が増えたので彼を無理に戦わせる理由がなくなったというのもある。


 もっとも、子ども部屋の担当でも戦闘がない保証はないのだが。


「謝らないでください、私は嬉しく思っています」

「ありがとうございます。それで、調子はどうですか? 時のプリンスさんもアオさんも」

「まぁ……そうですね、そこそこ上手くやっています」


 話しているうちに扉の前に到着。

 アオは「ここです、開けますね」と言ってからスライド式の扉の凹みに手をかける。

 ガラ、と音を立てて扉を開けると、その先には想像していたより広い部屋が存在していた。入ってすぐのところは通路と同じ素材の床なのだが、数歩先の辺りからは青いマットが敷かれている。が、木製のパーテーションが置かれていて奥の様子ははっきりとは見えない。


「ここで靴を脱ぐのです」

「靴を脱ぐ?」

「お願いします」

「あ、はい」


 アオに言われるままに靴を脱ぐ。


「ではどうぞ、こちらへ」

「ありがとうございます」


 靴を脱いでマットに上がりそのまま前進。右側には子どもがたくさんいる広い部屋があり、左側には机や棚が置かれている狭めのスペースがあった。


「時のプリンス、フレイヤちゃんさんが来てくれましたよ」


 アオがそんな風に声をかける相手――時のプリンスはというと、子どもがたくさんいる部屋の方にいたのだが、四つん這いにされたうえ数人の子どもに乗っかられていた。

 完全におもちゃにされている。

 部屋の角で一人じっとしているものかと思っていたので、こんな風に子どもたちに引っ付かれているというのは正直意外だ。人付き合いが好きでない彼がまともに子どもの相手をしているとは思わなかった。


「えっと……お、お疲れ様です」


 子どもに乗られている彼と目が合ったので軽くお辞儀をする、が、特に何も返してもらえなかった。


「時のプリンス! 何か言ってください!」

「我に期待するな」

「もう……せっかくフレイヤちゃんさんが来てくださったのに……」


 アオは苦笑しつつ謝る。

 私は頭を左右に振って「いえいえ。忙しいんですよね、見れば分かります」とだけ返した。

 それから私はしばらくその部屋にいることにした。特に何かをするわけではないけれど、アオがそれを望んでくれていたから。

 子どもがあまり得意でない私でも、短時間眺めるだけならさすがに問題はない。


「こんな感じの場所なんですね」

「そうなんです。いつもとても賑やかで」


 壁に軽くもたれるようにして部屋の端に座り、室内の様子を眺める。


 時のプリンスはあれからも子どもたち――主に男子のおもちゃになっていて、肩に手を掛けるようにしてぶらさがられたり積み木をぐりぐり押し付けられたりしている。


 もはや『怒らず耐えているだけで凄い』と思えてくるような状況だ。


 それでも時のプリンスは落ち着いて対応している。時折僅かに口もとをぴくぴくさせてはいるけれど、暴れたり叫んだり手を出したりはしない。


「時のプリンスさん頑張ってますね」


 隣で座るアオに視線を向けつつ言ってみる。

 すると彼女はまた苦笑。


「最初はもっと混乱している様子でしたが、さすがにもう慣れてきたようです」

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