episode.59 気づき勘づき
アザリケは分かりやすくちっと舌打ちをして刃物を取り出す。が、次の瞬間、立ち上がっていた時のプリンスに後ろから殴られる。想定外の方向からの打撃に重量のないアザリケは飛んだ。アザリケは愕然としたまま宙を舞い、地面へ落ちる。
しかしそれで終わりではない。
時のプリンスは首もとの生地を掴んでアザリケの身体を持ち上げる。
「二度とアオに近づくな」
低い声で圧をかけてから、時のプリンスはアザリケを放り投げ、即座に取り出した棒で真下から突く。突き上げられたアザリケは勢いよく真上に飛び上がり、キャッスルの一番上の部分に激突して塵と化した。また、それと同時に、操られているプリンセスたちは姿を消した。
刹那、アオは時のプリンスの方へと駆け出す。
時のプリンスに飛びつこうとして、彼もそれを分かっているようだったのだが、受け止める瞬間にバランスを崩してしまい――結果、二人まとめて転倒する形となった。
「……災難」
溜め息混じりに発する時のプリンス。
「良かったです、生きていて……」
アオは彼に身を寄せて絞り出すように言った。
「迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした」
「愚かな。……つまらぬことを気にするな」
「お、愚か、って! ちょっと失礼ですよ!」
「知らぬわ」
「むうううう……」
言い合いつつもどこか嬉しげな二人を、森のプリンセスは微笑んで見守る。
そうしているうちに二人とも立ち上がっていた。
時のプリンスは面を森のプリンセスの方へ向ける。目は隠れているもののこちらを見ていると察した森のプリンセスは怪訝な顔になる。珍しいことだから、である。
「……助かった」
時のプリンスは小さく口を開く。
「あら何のことかしらー。わたしはアオちゃんを助けただけよー」
「そうか」
「でも、手当てならできるわ」
時のプリンスとアオは疑問符を描いたような顔をする。
「足首、痛めているでしょう」
そう言って、森のプリンセスは僅かに口角を持ち上げた。
だが時のプリンスは素直には対応せず「……要らぬわ」と小さく吐き出してくるりと身体の向きを反転させる。
しかし近くにいたアオが彼の手首を掴んだ。
「本当なのですか。本当なのなら手当てしてもらう方が良いですよ」
アオは目の前の彼を見上げたまま真面目な面持ちで意見を述べた。
暫しの沈黙の後、彼は少し困ったように息を吐き出して、森のプリンセスに対して「では、お願いしたい」と告げる。森のプリンセスは少し意地悪な笑みを浮かべつつ「アオちゃんには弱いのね」と冗談を言って、数秒後、静かに「座ってちょうだい」と続けた。
森のプリンセスは、床に座っている時のプリンスのズボンの裾を上へずらし、右足首を露出させる。僅かに腫れたそこへ、プリンセスは手のひらから出現させた薄黄色の粘液を塗り込む。
アオはその様子を心配そうに見つめていた。
「……よく気づいたな」
「気づくわよー、転け方が不自然だったもの」
「そういうところ、か」
「あれで隠せていると思っている方がどうかしているわー」
手は動かし続けている森のプリンセスだが、その表情は無に近い。
「あの、森のプリンセスさん」
「アオちゃん? 何かしらー?」
急に柔らかな笑顔になる森のプリンセス。
相手による対応の差を一切隠さない。
「できれば背中も診てください。踏まれていたので……」
「確かにそうねー」
「お願いします」
「でもー……わたし、男の服を脱がせる趣味はないのよねー。だからほら、そこは、アオちゃんが手当てしてあげて。後でこの塗り薬だけ届けるわねー」
喋りつつも作業を継続していたこともあって、粘液を塗る行程は終了した。
しかしまだ終わりではなく。
今度は深緑の細長い葉を出現させ、それを、足首に巻き付けていく。
「ま、こんなところねー」
時のプリンスの足首に葉が綺麗に巻き付いたところで作業は終わりを迎える。
「すまぬ」
「いいのよー。アオちゃんが不安になったら可哀想だものー」
「……恩を売られたくはなかったが」
「余計なことを言えるということは元気そうね」
手当てのために上げていたズボンの裾を下ろして元通りにしてから、森のプリンセスは立ち上がる。
「でも、あまり無理はしないようにしなさい」
「……急に何を言う」
「貴方の命はもう貴方だけのものではないのだから、これからはなおさら慎重に行動するべきよ。くれぐれもアオちゃんを悲しませないように」
森のプリンセスはそう言ってやや乱れた薄い色の髪を整える。
「意味が分からぬ」
「ま、今はそうでしょうね。それでもいいわ。わたしが言いたいのはただ――アオちゃんを遺して逝くようなことは絶対にしないで、ということだけよ」
「そう易々と死なぬわ」
「そうね。じゃ、わたしはこれで」
それを最後に、森のプリンセスは去った。
時のキャッスルに残されたのは時のプリンスとアオだけ。
戦いの後も時のキャッスルは静かに佇むのみ。二人だけを包み込み、決して止まることのない時を音もなく刻む。
「最後の……何だったのでしょうか」
静寂を破ったのはアオだった。
彼女は何かおかしなものを見たような顔をしていた。
「何を言っておるのだ」
「遺して逝くようなことは絶対にしないで、とは……まるでそんな経験をしたかのような言い方でした。時のプリンスは何か知っているのですか」
「知らぬ」
時のプリンスは立ち上がると歩き出す。
テーブルの近くまでたどり着くと、付近に置かれていたやや厚みのある布を手に取り、しゃがみ込んだ。
「それは何を?」
「拭いておるのだ、こぼれた茶を」
「こぼしたのですか?」
「……敵にかけた」
「ああ……そういうことですか……」
アオはもうそれ以上踏み込まないことにしたようで、話題を先ほどのものへ戻す。
「ところで先ほどの件ですが、森のプリンセスさんは何かそういった経験をなさったことがあるのでしょうか」
「言っておるだろう、知らぬと」
「ですが仲間でしょう? 何か聞いたことくらいはあるのでは?」
「我は周囲との交流は避けてきた。それゆえ、ほぼ何も知らぬ。そういうことを知りたいなら他の誰かに聞け」




