episode.56 なんてな ★
剣のプリンセスと男性は去った。
残されたのは謎ばかり。
炎のような影があの男性になったのか? でもそんなことがあるのだろうか? いや、彼らは普通の人間ではないから、姿を変えるくらいよくあることなのかもしれないが。でも、本人の言葉をそのまま信じていいのだろうか? 敵の言葉をそのまま信じるというのは素直すぎやしないだろうか? けれども情報はそれだけなわけで。参考になりそうな情報が限られているこの状況では何が真実かなんて判断するのは簡単でない。
……そんな風に考えることは色々あったけれど。
取り敢えず今回の件についても皆に報告しておくこととなった。
この件について皆に話してみたところ、誰もが戸惑っているようだった。が、引き続き警戒を続けるということで話はまとまった。そのため、報告はそれほど長引かなかった。
きっと誰もがいろんなことを考えていただろうけど。
そこは他者が踏み込むべき領域ではないだろうから。
「ではそろそろ帰る」
「はい。お気をつけて」
報告の後、盾のプリンスは自身のキャッスルへと戻った。
◆
同時刻、時のキャッスル。
あれ以来そこに滞在しているアオは一人動揺していた。
「信じられません……あの方のあのお姿が偽りのものだったなんて……」
炎のような影が男性になったという話を聞いてしまったアオは、これまで最大に近いと言ってもおかしくはないくらい衝撃を受けていた。
「しかも……口調まで変えていたなんて……私の恋心は何だったのですか!?」
いろんな意味で激しく取り乱すアオ。
しかし時のプリンスはというとさほど動じておらず、何もなかったかのような涼しい顔でティーカップを傾けている。
ちなみに、今彼が座っているのは、座ではなく椅子である。
「もう……がっかりです……」
肩を落として分かりやすくがっかりするアオを見た時のプリンスはふっと小さく笑みをこぼす――もちろん、失礼な笑みである。
「みたか。だから言ったであろう? 紳士的な輩なんぞおらん、と」
馬鹿にされたと感じたらしく、アオは頬を豪快に膨らませ不満を表現していた。
「も、もう! 結構です! もう夢なんてみませんから!」
アオが不満を抱えて身を縮めつつぷるぷる震えていたその時、時のプリンスはティーカップをソーサーに置いた。
その音に気づいたアオがちらりと彼の方を見ると立ち上がっているのが見えて。
「まぁそう怒るな。茶でも淹れてきてやろう、機嫌は直せ」
「え……」
「いいな、絶対に余計なことはするなよ」
「分かりました」
しかしアオの好奇心はとどまるところを知らず。
彼女は見られていないことを確認してから、先ほどまで時のプリンスが座っていた椅子にこっそり腰をかけてみた。
もちろん無許可である。
アオも馬鹿ではないから一応時のプリンスの行動を目で追ってはいる。恐らく見られていないだろう、という推測――その前提があっての勝手な行動なのだ。
しかし、そういうことをするにあたって厄介なのは、時のプリンスの視線が完全には読み取れないこと。裸眼か眼鏡程度であれば視線は読めるが、目もとを黒いもので覆われてしまうとさすがに外から視線を読み取ることはできない。
けれども、その時のアオにとっては、そんなことは些細なことだった。
――しかし。
「なぜそこに座る!」
アオの想定より早く時のプリンスが戻ってきたことで、彼女の勝手な行動はばれた。
「余計なことはするなと言ったはずだが」
時のプリンスは大きめのカップを手にしたまま溜め息をついた。
「す、すみません……でも……その、誰かが座っていた椅子に、座ってみたくて……」
「そういうことならもう十分であろう。いつまで座っているつもりだ」
そこまで言われて、アオはやっと椅子から離れた。
「これで良いですか」
「最初からそうしていれば何も言わぬというのに」
言ってから、時のプリンスはアオにカップを手渡す。
「ではこれを」
「ありがとうございます……」
「気をつけよ、こぼすな」
アオは両手でカップを受け取ってから少しおろおろしていたが、何とかきちんと持て、そこで落ち着く。
「……優しいのですね」
「ま、飲めば分かる」
「そうですか。ではいただきま――」
少しだけ口に含んで。
アオは愕然とした。
閉じた唇を震わせつつ目を大きく開き停止する。
「苦!!」
数秒の停止の後、彼女は叫ぶ。
「何ですかこれ!! 苦い、苦いです!! 何なんですか!?」
「実は貰い物でな」
時のプリンスは愉快そうに椅子に腰掛ける。
「しかしあまりに口に合わぬのでな、放置していた茶よ。名前は思い出せんが、ま、毒ではないわな」
「だ、騙しましたね……」
アオはまたしても身体をぷるぷる震わせて怒る。
「優しいなんて嘘! 言わなかったこと! しかもこんな大きなカップで……こんなの、こんなの……許せませんっ!!」
ぷんすか怒るアオを眺めつつ、時のプリンスは再びティーカップを手にする。
「本当に感情が分かりやすいな、お主は」
「貴方のせいです!」
「ふ。見ていて飽きぬわ」
言うだけ言って、彼は優雅に茶を飲むことを再開していた。
そのうちに今度は悲しくなってくるアオ。
今の彼女はまるで情緒不安定な人のようである。
「ですが……感情的なのは事実です。それは問題ですね。そもそも、私は本来感情など抱くべきではなかった……。そうすれば切り捨てられることはなく……貴方に迷惑をかけることも……」
「何を言う」
「え……」
「べつにそのままでよかろう、お主はお主なのだから」
さらりとそんなことを言われたアオは、時のプリンスの面に視線を向けたまま数秒停止した後、ゆっくりと俯いて顔面に恥じらいを滲ませる。それから、少し躊躇いつつも、「今さらそのような良さげなことを言われても困ります」と小さく発した。しかしながらその表情は明らかに喜んでいるようで、感情を隠しきれていない。
「私、分かっています。貴方は一般論を言っているだけなのだと。貴方の言葉に特別な意味なんてないのだと……。でも、だからこそ、決意したのです」
アオは椅子に座ったままの時のプリンスに接近した。
そしてはっきり告げる。
「いつか必ず、特別な意味で、貴方に同じことを言わせてみせましょう」
その時の彼女はひたすら前向きな意味で挑戦的な笑みを浮かべていた。
「絶対惚れさせますから」
「……面白い」
「こうなったら本気で参りますので! 覚悟してください!」
「よかろう。後悔するなよ」
まるで恋愛猛者であるかのような言葉を交わす二人。
しかし実際のところは両者共に素人である。
「なんてな。乗らぬわ」
「ええ……」
「そんなことに付き合っている暇はない」
「言い方!」
結局相変わらずなやり取りに落ち着くわけだが。
ティーカップを持ったままそっぽを向いた彼が「とうに負けておるわ」と小さくこぼしていたことにはまったく気づかないアオであった。




