episode.48 海辺にて
果てしなく広がる絵画のように壮大かつ美しい海。壁は少なく開放的で空のようなものも見える。さらには、海辺であることを強調するかのように木々も植わっている。また、時折ながら、ほんのり潮の香りをはらんだ風が吹き抜けてゆく。
そんなところで石にもたれくつろぐ少年が一人。
そう、彼は海のプリンスだ。
彼は今日も砂浜でやや大きさのある石にもたれながら空と海を眺めている。
海のプリンスにとってその光景は何より心を穏やかにしてくれるもので。それゆえ彼は、今も、何をするでもなくそんな風にして寛いでいるのだ。
雲が流れ、陽が降り注ぎ――彼は僅かに目を細める。
その時。
彼の真上、遥か上空より、何者かが垂直落下してくる。
しかしその程度で仕留められるほど弱い海のプリンスではない。彼は咄嗟にその場から飛び退き、大きめ二歩分ほど横に着地した。と、それとほぼ同時に垂直落下してきていた人物が地面に降り立った。
「剣の……!」
黒く染まりきった剣のプリンセスは海風に長い髪を揺らしている。
「噂の、だな? いいぜ、なら受けてたってやる。来いよ!」
敵と化した剣のプリンセスを目にしても海のプリンスは怯んでいない。いや、むしろ、好戦的な輝きを瞳に宿している。いつでも戦える、いつでも相手する、そう言っているような目の色と顔つきだ。
「聖なる海の力よ、我に力を!」
海のプリンスが唱えれば、下から上へ、重力に逆らうように無数の水の粒が現れる。
「穢れし者を洗い流せ!」
彼はそう叫び右手を前方へ向ける。すると、直前に出現していた大量の水の粒が、一斉に剣のプリンセスの方へ飛んだ。
剣のプリンセスは黒いもやがまとわりついた愛剣で粒を防ぐ。
が、その隙に海のプリンスが接近していた。
「くっだらねーことばっかしやがって! いい加減にしろよ!」
至近距離、プリンスは右手のひらを剣のプリンセスの顔面に当てる。
「はぁっ!」
プリンスの男性にしてはそこまで大きくない手のひらから、勢いよく水が噴き出す。剣のプリンセスは意識がない中でも驚きはしたようで数歩後退。そうして生まれた隙にもう一撃叩き込む――が、その瞬間どこからともなく駆けてきた黒い稲妻がプリンスに命中した。
「なっ!?」
海のプリンスは咄嗟に辺りを見回す。
そして彼はすぐに見つけた。
砂浜に生えた木の上に女性が座っていたのだ。
その女性が初めて会う人かというとそうではなかった。年を重ねたことによって品と深みを帯びた容姿のその人を、プリンスは知っていた。
「今度は杖のババアかよ……」
不快そうな顔つきで漏らす海のプリンス。
「また操られてるのか?」
「…………」
「無視とか! 最低だな、おい!」
木の上に腰を下ろす杖のプリンセスは感情が完全に消え去ったような目つきをしている。瞳に光はなく、表情も無に近い。なんならどこを見ているのか何を考えているのかさえ分からないような顔つき。
正気でないことは誰の目にも明らかだ。
ちなみに手には長い杖を持っている――その杖からは、やはりまた、黒ずんだものが湧き出てきていた。
「正気じゃねーなこりゃ」
面倒臭いなぁ、とでも言いたげな溜め息をついてから、海のプリンスは両手を左右に広げる。
すると、彼の両方の手のひらから透明な水が噴き出す。彼はそのままの位置で回転。彼の周囲に水の壁ができる。こうなってしまえば剣のプリンセスはプリンスには近づけない。
そこへ、私はできると言わんばかりに杖のプリンセスが飛び降りてくる。
だが海のプリンスはその時を待っていた。
「……来たな!」
飛び降りてくる軌道を確かに捉え、彼は一気に水を放った。
塊のようになった大量の水が宙を飛ぶという珍しい光景。
杖のプリンセスは咄嗟に杖を前へ出す。黒いバリアを張ったのだ。しかしバリアの強度はそれほどでなく。凄まじい水流はバリアを容易く砕いた。杖のプリンセスはもはや抵抗できず、水の攻撃をまともに受けることとなった。
何もなせず後ろ向きに吹き飛ばされる杖のプリンセス。
だが交代するかのようなタイミングで剣のプリンセスが接近する。彼女は無を絵に描いたような表情のままで剣を振る。が、プリンスはそれを察知していて。瞬間的に飛び退き、即座に渦巻く水の柱を放つ。
剣の刃部分と水の柱がぶつかり合い、豪快に弾けた。
しかし。
次の瞬間、二人のプリンセスは姿を消していた。
「逃げられた……」
呟く海のプリンスであった。
突如一人になった彼はその後、はぁあ、とゆっくりめかつわざとらしい溜め息をつく。そして、腰を砂に覆われた地面に下ろす。人の気配のない空間に、じゃり、と擦れるような音が小さくこだまする。
「何だよ、逃げやがってー……」
海のプリンスは不満げな顔。
寄せては引くような穏やかな波の音が、そっと空気を揺らしている。
◆
海のプリンスのところに剣と杖のプリンセスが現れたと報告を受けた。
「そんな……杖のプリンセスさんまで……」
今はプリンセスプリンスら含め皆で通信をしている。
海のプリンスは自身のキャッスルから。森のプリンセスは、盾のプリンスと共に森のキャッスルから。私はクイーンズキャッスルから。
その通信の中で、海のプリンスから、彼のキャッスルに起きたことを聞いた――二人から攻撃された、ということを。私は驚きを隠せずにいる。
『ミクニとかいうやつが味方になったのはまぁいいけどさぁ……結局敵増えてんじゃねーか!』
「そう、ですよね……」
海のプリンスが無事だったのはとても喜ばしいことだが、悩みは尽きない。
『あらあらー、偉そうなことを言うわりには倒せなかったのねー?』
『森のババアうるせー!』
『そう怒らないでー、冗談よー。って、怒るってことは、本当は倒せなかったことを悔やんでるのかしらー?』
『うっせぇ黙れ!』
森のプリンセスはおちょくっているようだった。
「ところで、愛のプリンセスさんはどうなったのでしょうか?」
ふと思い立ち尋ねる。
『あぁそのことね! 伝えるのが遅くなってごめんなさいねー。彼女は今は寝ているのー』
「大丈夫ですか……?」
『えぇ大丈夫よー。でも、もう少しゆっくりした方が良いかもー』




