episode.2 心の支え ★
お湯を注げば湯気が立つ。湯と茶葉の匂いは混じり、独特の香りを作り出す。そして器へ注ぐ時、その水面の言葉を見つけられないような美しさに心を奪われる。永遠を映し出す鏡のような水面に吸い込まれそうになる。
「どうぞ」
「ありがとう」
茶を注ぎ込んだカップを渡すと、剣のプリンセスは軽やかな笑みを浮かべながら受け取った。
「それで何だっけ、あたしたちの話?」
「あ、はい。よければ聞いてみたいな、と」
「物好きね」
「そうかもしれません。人に会えたら何だか嬉しくて」
小さなことでもどうでもいいようなことでもいい。話していれば気はまぎれる。誰かが近くにいる、それだけのことが、寂しさという名の心の穴を埋めてくれる。
「逃げてきたの、あたしたち。こんな話信じてもらえないかもしれないけど」
「……もしかして、さっきのあの黒っぽいものから、ですか?」
「分かってくれる? そうなの」
何となくそんな気はしていた。
無関係ではないのだろう、と。
「そちらの男性が意識不明なのもその理由で?」
「うん、そういうこと」
「そうだったのですね……」
何と言えば良いものか。相応しい返答が思いつかない。色々難しすぎて。言葉を返すには触れないわけにはいかず、しかしながら、深いところに触れるのは恐ろしさもあって。
「あの、何と言えばいいか……」
そんな時だ、ベッドに横たわっていた男性の目もとが動いた。
半ば無意識のうちに視線がそちらへと向く。
不安を抱きつつ見つめていると、瞼が開いた。現れた瞳は琥珀のような色。瞳の色を意外に思いつつもそちらを見つめ続ける。そうしているうちに、視線がぴたりと重なってしまった。
彼の目つきはまだぼんやりとしたもの。しかしながら、いざ視線が重なると、ただならぬ圧のようなものを感じる。心に圧をかけられるような感覚。
「大丈夫、ですか?」
「……何者」
刹那、剣のプリンセスが「失礼なこと言うんじゃない!」と鋭く発する。
だが彼が戸惑うのは仕方ないことだと思う。気がついて知らないところにいたら、誰だって、戸惑わずにはいられないだろう。知らない人が覗き込んできたら警戒するのも何らおかしな話ではない。
「今は匿ってもらってるの!」
「……負けたか」
それから剣のプリンセスは盾のプリンスにここまでのことを説明していた。
自分が危機的状態にあった彼を助け、人の世に降り、隠れる場所を探したこと。そしてここを見つけたこと。それから、住んでいた人間に頼み、寝かせていたこと。
どうやら彼女たちはこの世の者ではないらしい。
そんなこと、普通であれば信じられないことだろう。自分をこの世の人間でないように語る者なんて、どうかしていると思われるのが関の山。一般人がそんな非現実的な話を理解するなんて不可能に近いのだ。
だが、この時の私は、なぜかすんなり受け入れることができた。
それは多分彼女たちの言動に演技感がなかったから。
「我がキャッスルは?」
剣のプリンセスも大概物珍しい服装だが、盾のプリンスも彼は彼で独特の格好をしている。
グレーがかった髪は男性にしては長め。うなじのあたりで一つに結んでいるようだが、房の先は肩甲骨くらいにまで達している。また、両側頭部には鉄板のような飾りがついている。ちなみに、その鉄板のような飾りは、両肩にもあった。
ひし形の金ボタンがついたブルーグレーのジャケットを着ている。そして、その下には、黒っぽい肌着か何かを着用しているようだ。もっとも、その黒いものは首のあたりでのみしか視認できず、その他の部分がどういう仕様なのかや袖の長さは確認できないのだが。
そして、手には、これまた黒っぽい手袋をはめている。
下半身に着用しているのは手袋や肌着のようなものと同じ色の長いズボン。脚のラインに真っ直ぐ沿うもの。ちなみに、このズボンは最初、ほとんど見えない状態になっていた。というのも、太もものあたりまでのロングブーツを履いていたのである。
「多分もう駄目」
剣のプリンセスが悲しそうな顔をすると、盾のプリンスもまた目を細めた。
「そうか……」
私に何かできることがあればいいのに。
つい情が湧いてしまいそんなことを思うも、何も言えない。
「それで。君が手を貸してくれたのだな」
「え。あ……は、はい……」
盾のプリンスからいきなり話を振られ、情けない返ししかできない。
こんなことならもう少し練習しておくべきだった。喋ったことのある異性は祖父だけ、なんて生き方をしてこなければ良かった。そうすれば今だって、少しはまともに言葉を返せただろうに。
「協力感謝する」
表情と言葉が合っていない。
感謝を述べているわりに、凄まじく冷めた心境になっている人のような表情だ。
「いえ、そんな」
取り敢えず作り笑いでごまかす。
私も人のことは言えないか……。
「ところで」
「はい?」
「先ほどから気になっているのだが」
「何でしょう?」
「首から下げている、それ、について」
盾のプリンスの瞳は私の胸もとをじっと見つめていた。と言っても、胸そのものを見ているわけではなくて。琥珀のような瞳が捉えているのは、コンパクト。
「それは何か」
容赦無く切り込んでくる。
剣のプリンセスは少し焦ったように「ちょ、いきなり踏み込み過ぎ——」と言っているが、彼はというと完全に無視して話を進めていく。
「えっ。あ、これですか。これはですね、祖母から貰った大切なものなんです。何でも母が遺したものとかで……と言っても、祖母も母ももう亡くなってしまったんですけど。それでもずっと宝物なんです。心の支えなんですよ」