episode.1 謎の訪問者 ★
その日は晴れだった。光が強く、室内から外へ視線を向けても眩しいくらい。空は青く澄みわたっている。日差しがかなり強いので外へ出て過ごすのは厳しいだろう、なんて考えつつ、家の中で過ごすことにする。
缶の中に詰まった茶葉を取り出して、お茶を淹れようとする。
けれども、何をしても、亡くなった祖母のことを思い出してしまう。
どこにいても何をしていてもこの寂しさは消えない。罪や呪いであるかのように、四六時中、この心にまとわりついている。楽しかった日々、幸せだった日々。その輝きは時が経つほどに増し、一方で、胸の内にできた陰も濃くなってゆく。
ポットに湯を注ごうとした刹那。
玄関のベルが鳴った。
「え……」
朝から玄関のベルが鳴るのは珍しい。いや、朝に限ったことではない。玄関のベルが鳴ること自体が珍しいのだ。私だけになった家へやって来る者なんてほとんどいないと言っても過言ではない。
「おかしいな。誰も来るはずないのに」
不審に思いつつも、玄関へ向かう。
入り口の扉についている覗き穴から様子を窺う。万が一ということがあってはならないから。そうして視界に入ったのは、誰かを抱く女性の姿。
これは何だ。何が起こったのだろう。人を抱く女性が訪ねてきたことなんて、これまで一度もない。ここは病院ではないから、負傷者を連れてくるようなところではないはずだし。だが、物乞いにしてはきちんとした整った身形。
どう対処すべきなのだろう。
無視しておくのが良いのか、あるいは、扉を開けて誠実に対応した方が良いのか。
祖母がいれば一緒に考えてくれただろうか。良い答えを贈ってくれただろうか。どうするか決めてくれたのだろうか。
……もはや無駄だ、こんなことを考えても。
私は思いきって扉を開けることにした。
「どちら様でしょうか」
真正面に立っていたのは、二十代くらいに見える女性だ。
燃えるような朱色の長い髪を後頭部の高い位置で一つに束ねていて、前髪は真ん中で分かれているがぴったり整えられている。瞳は赤みを帯びた茶色、凛々しい目つきだ。耳には雫型の耳飾りが一つ煌めいている。
「ごめんなさい、突然」
茶色いフリンジがついた上下分かれた衣装を身にまとい、上側に同じフリンジがついたブーティを履いている。腰には二本の革ベルトを交差するようにつけていて、両腕には二の腕のあたりまで包む長い手袋をはめている。
「あ、いえ。それで、何の御用でしょうか」
「ちょっと匿ってほしいのだけれど」
いきなり過ぎやしないだろうか。
事情の説明もなく匿ってほしいなんて言われても。
「何なのですか?」
女性が両手を使って抱いているのはどうやら男性のようだ。しかし、その瞼は閉じられていて、身体や肌も心なしか汚れている。健康な状態ではない、ということは、少し目にすれば分かる。が、だからといって油断はできない。
「事情は後で説明します。入れてください」
「待って! それは無理です。こちらも身を守らなくてはいけませんから」
「……それもそうですね、すみません」
女性が何か言おうとした刹那——彼女の背後に黒いもやのような何かが現れる。
人ではなく、動物でもなく、虫というわけでもない。黒いこと以外すべてが謎に包まれた何かが、女性に迫る。が、数秒後、その黒いもやのようなものを女性は払っていた。
「っ……!」
思わず詰まるような声を漏らしてしまった。
女性は抱いていた男性を一瞬にして地面に置き、剣を手にしている。
再び迫りくる黒いもやのようなものは、コウモリの翼のような刃のような形へと変化している。が、女性は怯まず、それもまた切り払った。それを最後に、黒いものは消滅する。
「失礼しました」
女性は言いながらくるりと振り返りこちらへ視線を向ける。
「今のようなものに追われているのです。すみませんが、少しで構いませんので、匿っていただけないでしょうか」
「そうでしたか……分かりました、どうぞ」
彼女の狙いが何なのかは知らないが、悪人ではなさそうだ。
私が手を家の中へと向けて入ることを許すと、女性はホッとしたような表情を浮かべた。それから柔らかめの声で「ありがとうございます」と言って、地面に置いていた男性を再び抱き上げる。
こうして私は得体の知れない女性を招き入れることとなった。
◆
「唐突で失礼しました」
「いえ……」
後頭部の高い位置で髪を一つに束ねた女性は『剣のプリンセス』と名乗った。
その名の意味はよく分からないが、不審な点は特にない。
ちなみに、彼女——剣のプリンセスが抱いていた気を失っていると思われる男性は『盾のプリンス』と呼ばれているそうだ。
これまたよく分からない。
何かの組織の人か、あるいは、有名人か。呼ばれるための名があるということはそんなところだろうか。
「しかし、剣のプリンセスさんは、なぜここへ?」
「実は、近所の方から聞いたのです。あの家には女性が一人で暮らしている、と」
「女性が一人で暮らしているから何か都合が良かったのですか?」
「いえ。特に希望があったわけでは。……ただ、騒ぎになっては困るので。騒ぎになりそうにないところへ行って頼んでみようと思いまして」
剣のプリンセスは普通に話してくれる。私が理解できる言語を話すし、私が話していることもすべて理解できている様子だ。取り敢えず、意思疎通に問題はない。
「いきなり訪ねたり、申し訳ないことをしてしまって。……すみません」
「いえ! 大丈夫です! でも、彼、本当にこのままで良いのですか?」
盾のプリンスは意識を取り戻しそうになかったので、ひとまず、空いていた客室に置かれていた古臭いベッドに寝かせている。
剣のプリンセスが言うには、放っておいたら次第に回復するそうなのだが。
「このままで構いません。必要なのは時間だけです」
真剣な顔をしている剣のプリンセスだが、こちらへ視線を向けることはしない。僅かに目を伏せ、じっと、どこか分からないところを見つめている。
その横顔を見ていたら、何を考えているのだろう、などと、少しばかり気になったりもする。
「あの……」
私はふと思い立ち口を開いた。
「何でしょう」
「お茶でもどうですか? よければお持ちします」
彼女のことはよく分からない。それでも一人でいるよりかは寂しさはまし。友達でも家族でもないとしても、誰かがいてくれるだけで多少は気がまぎれる。
「それと、よければ聞かせてくださいませんか」
「え」
「剣のプリンセスさんのこと」
きっとこれも何かの縁。
話くらいは聞いてみたい。