episode.118 遣いとして ★
意識を取り戻した森のプリンセスは、安堵しながらも不安の色を微かに残しているウィリーの頬を片手でふわと撫でる。
唐突に触れられたウィリーは驚きと照れが入り交じったような表情を浮かべた。
が、彼女が速やかに身体を縦にするのを見て、すぐに表情を固いものに戻した。
主が速やかに動いているのに己だけがいつまでも表情を緩めているわけにはいかない、と思ったようであった。
「ちぇ、もっといい顔見せてよ」
「残念だけれど無駄よ。わたしはあの程度の術には負けないもの」
金髪女性は右手の指先で胸もとへ垂れた髪の房を弄る。
「教えてあげるわ、貴女は……喧嘩を売る相手を間違っているのよ」
ウィリーは今も一本の杖を大事そうに両手で握っている。
「はぁー、うっざい。かっこつけやがってさ」
「あくまでやる気なら付き合ってあげるわよー? ただし、その場合、手加減はしないけれどね。大人しく退くか、わたしと戦うか……貴女に選ばせてあげるわー」
森のプリンセスの言葉を聞き終えた瞬間、女性はニヤリと一方の口角を持ち上げる。
「ま、今日のところは退こっかな」
そして彼女は消えた。
森のキャッスルに平穏が戻る。
直後、気が緩んでか、森のプリンセスはその場で膝から崩れ落ちた。
「プリンセス様!」
駆け寄るウィリー。
彼は人の姿のまま森のプリンセスの背に触れる。
「しっかりなさってください!」
「……平気よ、気にしないで」
今にも泣き出しそうな顔になるウィリーを見て罪悪感のようなものを覚えたのか、森のプリンセスは笑みのような表情を浮かべる。
「どこか悪いのですか!?」
「少し頭痛がするくらいのものよー」
「そ、そ、そそ、そんなっ! ど、どうっ、どうしましょう!? えとえと、か、か、かかか、可愛い女性を呼びますか!?」
ウィリーは混乱している様子だ。
「落ち着いてウィリー」
苦笑する森のプリンセス。
「そんなに慌てなくていいのよ」
「は、ははは、は……はい、そう、ですね」
「敵は去ったわ、問題なしよ」
その頃になってウィリーはようやく落ち着きを取り戻した。
「少し休まれますか?」
「ええ」
「では! お茶をお持ちします!」
勢いよく歩き出すウィリーの背に視線を向け、森のプリンセスはどこか切なげに目を細める。
そして。
「……貴方はもう死んだのよ」
誰にでもなく、ぽつりと呟いた。
「お待たせしました!」
しばらくして、ウィリーがお茶を運んできた。
「ありがとうウィリー」
彼は森のプリンセスの目の前でティーカップにお茶を注いだ。目立つような注ぎ方、しかし慣れた手つきで。そうしてあっという間に注ぎ終える。
「どうぞ!」
「ありがとう」
森のプリンセスは手を伸ばす。
そしてティーカップを口もとへ近づける。
二人きりの森のキャッスルは静か。敵がいないという意味では良い静けさとも言えるわけだが、逆にどこか寂しさも感じさせる静かさがある。
その静けさを破ったのは、人の姿のままのウィリー。
「術で何をご覧になったのですか?」
森のプリンセスは静かに視線を彼へ向ける。
「あっ、いえ! 変な意味では! なくてですね!」
じろと見られたウィリーは少し慌てた様子。
「……興味があるの?」
「は、はい」
「わたしが見たのは、かつて愛していた人間の男性よ」
言ってから、森のプリンセスはふっと切なげな笑みをこぼす。
「懐かしい顔よねー」
彼女はまた一口茶を飲んだ。
長い睫毛が包み込む目を伏せながら。
「あ……も、申し訳ありません……」
「あら、どうして謝るのかしら?」
「あの……その……う、ううう、申し訳ありません……」
お茶から立ち上る湯気と爽やかかつ青っぽい匂いが辺りに満ちる。
「ウィリー。何なの?」
「聞くべきでないことを聞いてしまいすみませんでした」
「馬鹿ね。そんなこと、気にしなくていいのよー。責めてもいないのにそんな風に縮こまらないでちょうだい」
森のプリンセスはカップを持つのとは逆の腕を伸ばし、気まずそうに身を縮めているウィリーの頭をそっと撫でた。
「怖かった?」
「あ、いえ……そ、そのようなことは……」
ふふ、と笑う森のプリンセスとは対照的に、ウィリーは照れで顔を染め上げながら小さくなっている。
「一人にして悪かったわねー」
「い、いえ」
「ほらウィリー、抱き締めてあげるから、こっちへ来なさい」
言われたウィリーは衝撃を受けてかぱっと目を大きく開きそこで一旦停止する。顔が真っ赤だ。照れ顔を絵に描いたような表情。時が一時停止したかのような状態となっている。顔全体の筋肉が強張っていた。
「ウィリー?」
「……そ、そんなそんなそんなっ! 無理ですッ! 自分などが!」
彼は冷静さを欠いている。
あわあわなっていた。
「何を遠慮しているのよー」
両腕を伸ばし迎え入れるような体勢をとる森のプリンセス。
「で、でも! 自分は! 人の姿の時はむさ苦しい男で……!」
「貴方はいいのよ。いらっしゃい」
「し、しかし……」
「なら命令よ。こっちへ来なさい」
「う、うぅ……」
遠慮し続けていたウィリーだが、主たる森のプリンセスから命令と言われれば断ることはできず。ついに諦めて彼女の方へと近づいていく。身体が触れるほどにまで接近すると、森のプリンセスは彼の身をそっと抱く。人の姿で直接抱き締められることには慣れていないからか、ウィリーは、抱き締められている間ずっとぷるぷる震えていた。
「よしよし」
「す、すみません……」
「呼び戻してくれてありがとう、ウィリー」
かけられた感謝の言葉、その声の柔らかさに、ウィリーは複雑な表情を浮かべる。
森のプリンセスは遣いである彼を軽んじてはいない、それは彼も知っている。が、己の姿が彼女が愛した人のそれであることも知っていて。それゆえ、自分を真っ直ぐ見てもらえているとは思いきれず。どうしても、いつも、重ねられているのではないかと思ってしまって。
それゆえ、彼もまた、彼女に対して向き合いきれない。
「いえ……遣いとして当然の仕事です……」




