episode.100 暗闇は砕ける
「なぁ、ちょっといいか?」
海のキャッスルは今日も穏やか。いつもと何も変わらない海岸が広がっている。そんな中で過ごしている海のプリンスは、退屈さを感じ、ふと思い立って愛のプリンセスに連絡した。
『ふぁ! 海プリさん!』
「暇じゃね?」
『え……っと、その……暇、ですか?』
「そうなのか違うのかはっきりしろよ!」
『ぴええ……怒られるのは嫌いですー……』
泣き出しそうな愛のプリンセスを見て溜め息をつく海のプリンス。
「そっちも特に何もないんだろ?」
『はい! 平和そのものっです!』
愛のプリンセスは急に元気になってそんなことを返した。
彼女の不自然なほどくるくる変わる表情に疲れを感じつつも海のプリンスは話を続ける。
「戦いがないことはまぁ悪いことではないんだろうけど、暇だよな」
『アイアイは戦いたくありません』
真面目な顔で言葉を返す愛のプリンセス。
「はぁ……ま、愛のガキに分かるはずもねぇか……」
通信で、とはいえ、二人が二人きりで会話するのは比較的珍しいことだ。というのも、海のプリンスが暇潰しに愛のプリンセスに連絡する、なんてことは、これまではほぼなかったのである。基本自キャッスルにこもっている盾のプリンスや他者との交流を好まない時のプリンスに比べれば海のプリンスはまだ周囲と関わる方ではあったが、それでも、仲間と喋ることを積極的に楽しむかというとそうでもなかった。
『海プリさんは戦いが好きなんですねー』
「ま、暇潰しにはなるって感じだろ。そもそも、それしかすることねーんだよ、俺らは」
『人の世へ行ってきますかー?』
「はぁ!? ふざけんな!!」
『むぅ。提案じゃないですかー、そんなに怒らないでくださいー』
その時、海のキャッスル内に敵襲を報せる旋律が流れた。
海のプリンスは「わり! ちょっと切る!」とだけ言って通信を切る。
通信が切れた瞬間、彼の視界は暗闇に変わった。それだけでも困惑する海のプリンス。だがそれだけで終わりではなくて。脳へ奇妙な刺激が送られるような感覚、彼はその場にへたり込んだ。
「何だ、これ……」
海のプリンスは片手で額を押さえる。
目眩のようなものを感じて立ち上がれない。
そんな状態の彼だが、背後から何かが近づいてくるような気配を感じて背筋をぴくりと震わせる。
「ねーぇ、自由になりたくなーぃ?」
闇から伸びる黒い手が海のプリンスの肩に触れる。
「っ!?」
「プリンスなんてやめちゃわなーぃ?」
「はぁ!?」
海のプリンスは黒い手を強く払い除けた。
だが今度は背中側から二本の腕に絡みつかれる。
包み込むように抱かれた海のプリンスは逃れようと動くが、二本の腕の力は強く、多少暴れたくらいでは逃れられない。
「無駄よ、戦い続けても」
「おい! 離せって!」
「それはむーり。……でもね、方法ならあるんだよ?」
海のプリンスが不機嫌そうな顔で「何だよ! さっさとはっきり言えよ!」と発すると、囁く声の主は「ふふ、ふふ」と高めの笑い声をこぼした。
「戦いから降りる」
闇から伸びる両手が海のプリンスの顔面の塗り潰す。
「……そうすれば、ぜーんぶ解決」
「お、おい、顔とか触んな」
「怖がらなくていいってば。……大丈夫、すぐに良くなるから」
黒い手のひらに顔を押さえられた海のプリンスは発生源不明の眠気のようなものに襲われる。
日頃基本的には眠らない彼にとっては強い眠気を感じるのは珍しいことだ。彼自身そのことを理解していて、珍しいことに驚いている。
「じっとしていて」
片方の耳もとで誰かが囁いた。
直後。
「こんな状況で寝るかよ!!」
海のプリンスは眠気を吹き飛ばすような勢いで大声を発する。
すると暗闇は砕け散った。
海のプリンスは座ったままだ。しかし彼が見ている世界は海のキャッスルの本来の姿に戻った。彼は突如現れた闇から逃れることに成功したのだ。
眠気と目眩は落ち着いている。
多少の頭痛だけが残った状態。
「あららー、破られちゃったかー」
声がして、海のプリンスは振り返る。
するとそこには女性のような形をした黒いものが立っていた。
「アタシの術を破るとはねー、やるじゃん。これはちょーっとびっくりかなー」
「キモいことしやがって!」
海のプリンスは女性のような黒いものを鋭く睨む。敵意剥き出しで。
「襲うならまともに襲えよババア!」
「……はぁ?」
「あーそーか、分かった分かった。さては、俺が怖いんだな?」
わざと挑発的な言葉を並べる海のプリンス。
女性のような黒いものは手を震わせている――かと思いきや、突如黒いエネルギー弾を放った。
海のプリンスの全身と同じかそれより少し大きいくらいの大きさのエネルギー弾。それは凄まじい勢いで海のプリンスの方へと向かっていく。
発動のワードを口にする間はない。
海のプリンスは片手を前に出して宙に薄い水の層を発生させるとエネルギー弾の威力を弱めつつ払い除けた。
砂ぼこりが舞い上がる。
「そういう戦いなら受けてたってやる」
海のプリンスは片側の口角を持ち上げにやりと笑みを浮かべる。
「アタシそーいう野蛮な戦いって嫌いなんだよねー。血まみれのやつ見るより絶望した顔してるやつ見る方が好きだし、術使ってる方が合ってんのー」
「ババアのくせに何でも選べると思ってんじゃねーよ」
「あーあ、嫌だ嫌だ。アタシ、アンタみたいなやつだいーっきらい」
刹那、女性のような形の黒いものは姿を消した。
波が揺れる音だけが響く。
はぁ、と大きめに息を吐き出すと、海のプリンスはその場に腰を下ろした。
「ぶちのめしてーけど……頭イタ」
座った海のプリンスは空を仰ぐ。
海からの匂いをまとった風が吹き抜ける。




