第一章 2.
2.
野上康弘は、ホテルの一室から宝石のように煌めく街を繁華街の様子をホテルの一室から眺めていた。野上は端正な顔立ちの男で、幼さを残した所謂、ベビーフェイスといった顔をしていた。
この日は、会議に出席する為、室伏と共にすめらぎ市にやって来ていた。
室伏は用事があるらしく、会議が終わった後、野上に荷物を預けて何処かに行っていた。
「お、帰って来たな」
部屋のドアが開く音がしたので振り返ると室伏は大きな包みを抱えていた。
「なんだよ?それ」
野上は、室伏の抱えている包みを見るなりそう言った。
室伏は、何処にでもありそうな無個性なスーツを着ていた。大して上等でもないそれは、彼らが勤務するワールドルービックコーポレーションからの支給品だった。
「絵さ。それも先週のオークションで落札したばかりの。
長谷川利行の〇号で、大したことのない小品なんだが五十万もしてしまったよ」
室伏はため息まじりにそう言うと持って来た包みを丁寧に開け始めた。
「立派な箱だな」
小豆色の布が貼られた箱を見ながら野上はそう言った。
蓋は紐で縛るタイプのようで、側面には数字の書かれた紙と作者と思しき名前の書かれた紙が貼られていた。
関心のない野上でさえ一目で高級感のあるものだとわかるほどのものだった。
「立派なのは箱だけじゃないんだ。
額も立派なものだよ」
そう言うと室伏は箱を開け、中から鬱金色の布に包まれた額縁を丁寧に取り出して椅子の上にそっと置いた。
布は袋状になっているようで、室伏は袋の口から中に手を入れて黒い額縁を取り出した。
「どうだい?」
室伏はそう言うと額縁を野上の方に向けた。
額縁は丸い棒が三つ重なったような意匠が施され黒い塗装の下から赤みを帯びた下地がうっすらと見えていて、絵の周りは金色のデコラティブと臙脂色の布で縁取られている上品な感じの額だった。
その額に収まっているのは茶色い紙に描かれた赤い服を着た人物のポートレートだった。
ヴァーミリオンとブラックを基調にしていて、背景は補色であるカドミウムグリーンで塗られ、所々に置かれたホワイトが画面全体を引き締めていた。
絵の下の方にはT.HASEKAWAとヴァーミリオンで作者の名前が記されていた。
「本当に五十万の価値があるのか?
俺にはそうは見えないが…」
正直な感想だった。
なぜなら野上には、これが五十万もするような絵には見えなかったからだ。
「それは半分正しいね」
室伏は軽く笑いながらそう言った。
「五十万はほとんど鑑定書の価格だよ。
絵は無価値に等しい」
「あんたは、無価値なものに五十万も払ったのか?
恵子が聞いたら怒るぞ?」
野上は呆れ笑いを浮かべながらそう言った。
「いや、価値のある鑑定書を五十万で買ったのさ。絵はオマケみたいなものだよ」
室伏は絵を椅子に立てかけると離れた位置から目を細めて眺めた。
「うん。やはり、いい」
室伏は頷きながらそう言った。
「矛盾してるぞ?」
「いい絵だからいいというんだ。
おかしいことじゃないだろ?」
「あんたは、さっきその絵を無価値って言ったじゃないか?」
「無価値だよ。
なぜなら、これは僕が描いた贋作だからさ」
室伏の予想外の答えに野上は驚いた。
「ただし、鑑定書は本物だ。
僕の描いた贋作を真作と鑑定委員会が認めたんだよ」
「あんたは他人を騙すようなことをしてなんとも思わないのか?」
「カスみたいな作品を名画と持て囃して法外な値段で売るような奴らや質の悪い贋作にも平気で鑑定書を出している鑑定委員会に比べたら可愛いものさ」
室伏はそう言うと額縁を袋にいれ、箱の中にしまった。
「むしろ僕の描いた贋作の方が真作よりも出来が良いかもしれない。
なあ、知ってるか?
鑑定委員会では鑑定書発行の是非は多数決で決まるんだ。
おそらく、科学鑑定なんてしていないんだろうな。
この前なんて、南仏の農村を描いた風景画が三岸好太郎の作品とし出ていたが、あれには正直、驚いたよ。利行のサーカスを描いた絵は酷かったな。色が汚くてさ。あと、浅草のなんちゃら通りを描いた絵も酷かったな。遠近感がめちゃくちゃでさ、多分、同名の大きな絵の模写なんだろうな。あと、燐二郎も酷かったな。パリの風景って言うけどさ、あれは荻須っぽいからそっちの方が合うのにさ。はは。あとは、村山槐多もなんだかねって、思うんだよな。子供のクレパス画にサインを入れたんだろうな」
「それもあんたが描いたのか?」
「いや、違うよ。僕ならもっと上手くやる。さあ、もう寝よう。明日は早いんだ」
室伏がそう言うと、野上は不満そうな顔をした。
「……明日で出張は終わりなんだ。その時に可愛がってやるよ」
室伏はそう言うと、にこりと微笑んだ。それを見た野上は顔を赤らめながら布団を乱暴に引っ被った。