傷だらけの勇者A
青井春久は公園でうなだれていた。今日の事を思い出し、長い溜息がでる。
「本当にすまない」
そう言って社長は従業員に頭を下げていた。勤めていた会社が業績不振で倒産したのだ。社員4人とパート3人で切り盛りする零細企業だった。大学卒業後、バンド活動の傍らフリーターをしていた時、飲み屋で知り合った社員に誘われて入社した。革小物を加工製造する会社で、春久が初めて楽しいと思えた仕事だった。それがこんなに唐突に終わりを迎えるとは。
知美にはなんと言おう。二人の同棲生活もそんなに余裕のある方ではない。
アパートに帰って笑顔で迎える知美を見ると、なんだか言い出せなかった。余計な心配をかけたくない。暫く黙ったまま次の仕事を探して、決まってから打ち明けよう。春久は何事もなかったように明るく振る舞った。
明くる日、いつものように朝8時前に家を出た。最寄り駅に着き、本当ならそこから2駅程電車に乗るのだが、改札の前を素通りし、駅の反対側を進んだところにある、昨日も訪れた公園で時間をつぶすことにした。
西側のベンチに腰掛け、スマホを取り出す。いくつかの転職サイトに登録した。希望の職種があれば知らせてくれるシステムも利用することにした。求人欄から場所と職種を絞り込み、何百と出てくる会社を一つ一つ閲覧していくことにした。
あっと言う間に2時間ほどが経ち、昼も近づいてきたところで小腹が空いてきた。駅前まで戻り、喫茶店で時間を腹ごしらえをしようと決めた。
5分ほどで店につく。喫茶マーリーと言う名のその店には何度となく来ていた。アイスコーヒーとサンドイッチを頼み、前がガラス張りで道路を見渡せるカウンター席に座った。前を見ると、車道を隔てた向こうの歩道に、家族連れが楽しそうに駅の方に向っている。小さな子供が親の周りをふざけながら歩いて、母親にたしなめられたりしているようだ。いいな子供は、無邪気で悩みも無さそうだ。
そんな弱気な事を思った瞬間、その後ろにカップルに目が行った。春久はフリーズしてしまった。薄手のグレーのコートを来た女性が、艶めいた革ジャンを来た男性の腕に寄りかかって歩いている。デートが楽しくてしょうがないと言った風なカップル。遠目で見ても確かだった。知美だった。見たこともない男の腕に捕まった知美の姿を、小さくなるまで春久は呆然と眺めていた。
その夜、春久は知美と別れ話をした。今日の事を問い詰めて、知美の口ぶりからあの男とは深い仲にあることがわかった。2年も付き合っていて、二人とも涙も流さないあっさりしたものだった。春久は怒りに任せて出て行ってくれと言ったものの、すがりつく知美をどこかで期待していた。しかし現実は二言でけりが付いた。
知美は次の日の昼、荷物をまとめて出て行った。
それから3日ほど経った。無職でも、もう取り繕う必要のなくなった春久の生活は緩んでしまった。夜遅くに寝て、朝遅くに起きるリズムになった。インスタントで昼ご飯をとろうとしていた時、電話が鳴った。姉の幸恵からだ。めずらしく思いながら電話を取る。
「もしもし」
電話の内容は、不運続きの春久に追い打ちをかける内容だった。
「ああ、春久、久しぶり。今ちょっといい?」
「いいよ、どうしたの」
「ありがとう、あのね、突然で悪いんだけど、近々実家に帰ってこれない?」
実家に?どういう用件だろうと問い返した。
「どうしたんだよ急に」
姉は本題を説明しだした。
「いやあのね、父さんと母さんなんだけど、ちょっと困ったことになったのよ」
「困ったこと?」
「それがね、よくわからない団体からお水とか壺とかを買ってくるのよ最近」
「なんだって?」
聞き捨てならない話だ。その団体とは新興宗教のようなものらしく、ここ1~2ケ月でその団体の話が出るようになり、よくよく聞くと高額な商品を買っているらしかった。姉が言っても聞く耳を持たないので、説得して欲しいとの頼みだった。今は自由な身なので、早速明くる日に実家を訪れることにした。
片道30分をかけて実家に戻った。居間で両親と向かいあう。
「あんたは疑うかもしれないけどねえ」と母が切り出した。何か話があると中心となって話すのはいつも母だ。父は非常に大人しい人で、言葉はいつも少ない。
「やっぱり神様の近くに行くには、現世で務めを果たさないといけなのよ」
父が「うんうん」と頷いている。
「それとこの水とどう関係があるんだよ」
春久が棚の最下段に置かれたペットボトルの固まりを指さす。
「大河内先生がパワーを注入してくれる奇跡の水なのよ」
「誰だよ大河内先生って」
「大河内先生は唯一、神様とお話できるお方」
母が大真面目な口調で説明する。
「春久、お前も集会に来るか?」
父が口をはさんできた。
「誰が行くかよ、もう勘弁してくれよ」
説得できる状態ではなかった。両親はいかにその先生が素晴らしいかを説き、いかに傾倒しているかがわかった。結局その日はこれ以上商品を買いこまないように強く注意だけして、自宅のアパートに戻った。
両親の考えを改めるには、理論と知識が必要だった。次の日に春久は図書館で新興宗教についての書籍を借り、勉強する場所に喫茶マーリーを選んだ。
平日と言うこともあり客は5人程と少なく、今日は女性の店員さん1名だけだった。いつものカウンタ―席で、耽読する。勉強をするなんて久しぶりのことだ。なんとか説得の材料を得ようと、夢中になって読み進める。
時を忘れるほど集中していて、気づけばコーヒーも底をついていた。もう一杯頼もうかな、なんて考えている時、黒いマスクに黒いサングラスをした男が入店してきた。男は入口でぐるりと店内の様子を伺うように見渡し、注文カウンターの前に立った。すると胸ポケットに手を突っ込んで、刃渡り20cmほどのナイフを取り出した。それに気づいた店員さんが小さく悲鳴を上げる。
「金を出せ!」
怒鳴りつけられ顔を真っ青にした店員さんが、レジを開けて札を掴んで渡した。強盗はひったくるようにして、自分の背負っていたリュックに詰め込む。すると強盗はくるりと客の方に向き、大声て叫んだ。
「お前ら、財布を出してテーブルの上に置け!」
突然のことに固まる客たち。ななめ後ろの席に座る女性は、がくがくと体を振るわせいた。
「早くしろ!」その強盗の怒号を聞いた瞬間、春久の中で何かがプチンと切れた。
「あのさあ」立ち上げって、強盗の方に詰め寄る春久。
「生活に困ってるんだかなんだか知らないけどさあ、みんな我慢して生きてんだよ」
いきなり客に話しかけられて予想外の展開なのか、強盗はたじろぐ。
「何だオマエ、ぶっ殺すぞ!」
そういわれて春久は、益々頭に血が上った。
「殺す?ふざけんじゃねえよ!こっちは信頼してた彼女に裏切られて、両親は宗教にハマって聞かないわ、おまけに会社は倒産して無職なんだよ!その上にぶっ殺すだと?なめんじゃねやってみろよ!」
完全にその迫力に気圧された強盗は、二三歩ふらつくように後ずさると
「な、なんだこのイカレ野郎」
と捨て台詞を残して、転がるように逃げて行った。
客たちが唖然と見つめる中、春久は「ふん!」と腰に手をあて仁王立ちで強盗の背中を睨みつけていた。
事件はすぐに解決した。防犯カメラの映像と目撃者の証言で、2日後に強盗は逮捕された。春久の行動は、「危険を顧みない勇気ある一般客の反撃」として、ちょっとしたニュースになった。
両親からも連絡があり、なんだかこそばゆいくらいの誉め言葉をもらった。また、流れで宗教の話になると、なんだかしおらしく「そうねえ、少し先生とも距離を置いてみようかしら」と素直に助言を受け入れた。それは宗教の先生よりも、今は春久の言葉の方が重みを持ち、信頼されるようになった証だった。ひとつの行動でこうも評価が変わるのは、面白いものだ。
晴れた日曜日、春久は駅近くのあの公園でベンチに座っていた。さて、そろそろ本腰を入れて就職活動をしなくちゃならない。やっぱり好きな革小物の仕事がしたかった。しかし中途入社で斜陽産業の仕事では、一筋縄ではいかないだろうとも思えた。まあやるだけやってみよう。本気でぶつかれば何か道が開けるだろう。春久は前向きな気持ちになっている自分に気づいた。
背伸びをして、ふと歩道に目をやると、小ぶりの犬を連れた若い女性が、足を止めてこちらを見ているのに気づいた。女性は恐る恐るという風にこちらに近づいてきて、声をかけてきた。
「あの、もしかしてこの前の喫茶マーリーの事件の方ですか?」
「あ、はい、そうですが」軽く頭を下げて返した。
「やっぱり。私実はあの時客でいたんです。とっても怖くて。でもおかげで助かりました」
「あ、いえいえ、そんな大した事…」
春久は頭を掻いた。
「それじゃ」
と言い女性は一度女性は行きかけて止まり、髪を宙に舞わせて振り向いた。
「またマーリーでお会いしましょうね」
わずかに赤らんだ顔をほころばせてそう言うと、犬に引っ張られるように去っていった。春久は立ち上がり、彼女の背に向けて手を振った。
「はい、また会いましょう」
春を知らせる風を受けて、何かが始りそうな予感で胸が膨らんだ。