潤いの紙風船
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うー、なんだか喉がいがらっぽいなあ。そろそろ今年も、マスクのお世話になる時かも……。ん? のど飴? ありがたく頂戴します。
冬の朝、目が覚めた時の喉の乾きっぷりほど、怖いものはないね。しばらくは唾を飲み込むことが痛くてかなわない。身体を動かし始めて、多少でも潤いがもたらされれば楽になるんだけど、行きつくまでが地獄だよねえ。
かと思ったら、今度はびっくりするくらい声が出なかったりする。声帯を震わせるだけで、無数のイソギンチャクが口の奥より、ぞわぞわせり上がっているかのようなくすぐったさ。気持ち悪さ……うう、想像しただけで鳥肌が立ってこないかい?
人は健康を害して、ようやく身体が普段、どれだけ使われているかを知るケースが多い。呼吸だってそのひとつ。健康な時は当たり前すぎて気にしないのに、こうして器官に異状が見られて初めて、異様なきつさを思い知るもの。その酷使具合、実は僕たちがまだ知らない効果さえ含んでいるかもしれない。
――へ? 話を振ったんだから、何かしら面白い話があるんだろうって?
面白いかどうかは分からないけど、まあ、あるよ。でも、喉痛い人間に促すかい、普通? こーちゃんってこうなると強情だからなあ。それじゃ、ちょっとだけだよ。
喉が痛い時の対処法としては、こーちゃんのくれたのど飴以外にもいくつかある。先に出たマスクもそうだし、加湿器で湿度を増すのもあり。いざとなれば薬の出番だろうけど、僕が小学生の時は違った。
当時、僕のクラスを担当してくれたおばさん先生は、冬が近づくと学級文庫の本棚の上に、あるものを用意してくれる。
クラス全員分の紙風船だ。以前に学活の時間でめいめいが折ったもので、空気をまだ入れず、ぺしゃんこの状態になっていた。そして喉が痛くなると、自分の紙風船を取って中に空気を入れることが許される。そうして吹き込んだ息を、今度は風船を潰しながら吸いなおすんだ。
これが不思議な感覚でさ。吹き込んだのは自分の生温かい息なのに、風船から絞り出されるのは、扇風機から送られてきたばかりのような涼しいものなんだ。それで喉の奥にあたると、じんわりと水気が広がっていく。
前に話した、ものを飲み込む時に喉が痛いのも、こいつでばっちり治る。水を飲んだり、飴をなめたりして改善しようとしても、その経過での痛みは避けがたい。こいつが我慢できないほど辛いっていう子はクラスに何人もいたから、この紙風船は大助かりだった。
ひとつ難点を挙げるとすると、この紙風船は使い切りであること。一度膨らんだものを、ぎゅうぎゅう潰しつつ使うわけだから、紙が破けるケースは多々あった。でも破損があろうとなかろうと、使った日の放課後は先生の用意した折り紙で、紙風船を作るように義務付けられていたよ。
僕自身も何度か紙風船のお世話になって、そのつど折り直した記憶がある。折り紙そのものはさほど得意じゃなかったから、先生がそばについて見本の折り方を見せてくれたよ。
先生の趣味なのか、用意される折り紙はいずれも和柄のものだった。今回、僕が手にしているのも、半月型の青い縞模様をいくつも連ねた青海波の表面だ。
この喉を治療する紙風船のからくりを知るべく、折る時に何度も紙を丹念に調べたけれど、ネタはさっぱり分からなかった。試しに家で別の紙を使い、風船を作ったことはあったものの、やはり望んだような効果は得られない。
率直に先生へ尋ねてみると、「ギブアンドテイクで、ウィンウィンな関係だから」とぼやかされてしまう。僕たちの吐いた息が、何かしらプラスになっているのだとは思うけど。
この紙風船が置かれるのは、だいたい11月から2月の終わりまで。3月に入ると、先生が自主的に回収してしまい、それからまた11月まではお預け。クラス替えもあるし、別におかしい話じゃなかったね。
時期的に花粉症で喉をやられる人の助けになりそうだけど、先生はあまり奨めてはくれなかった。実際に試した子もいたけど、不思議と紙風船は役立たなかったんだ。
試した子の話によれば、戻ってきたのは、自分が吐いた時と同じような温い空気。これまで自分たちを助けてくれた癒しある潤いとは、程遠いものだったとか。
件の紙風船について疑問を持ち続けていた僕が、その片鱗に出くわしたのは夏休みに入った時のことだった。
学校のプールをしばしば利用した僕だが、その日は誘った友達が全滅。黙々とひとりでプールを横断していた。午前中の空いている時間帯を気に入っていて、昼前には帰るのがいつものパターン。思うように泳げなくなって来るや、僕はとっととプールを上がり、更衣室に入っていく。
で、着替えている時だったけど、更衣室の奥の窓が空いていたんだ。位置関係上、飼育小屋とか、先生方が停めている車とかが見える。でも今日みたいに車が少ない時には、校舎に近く、奥まったところにある焼却炉が視界に入るんだ。
当時はまだぎりぎり、焼却炉が学校にあった時期でね。用務員のおじさんが燃せるゴミを放り込んでいる姿を、しばしば見かけたよ。けれど今、炉の前に立っているのは僕たちのクラスの先生だ。
僕たちの学校の焼却炉は、「ろうと」をひっくり返したような、円錐形をしている。天へ伸びる錐の部分が煙突で、炉を使っている時はその先からぼうぼうと、黒い煙が広がっていく。
それが今だと、漏れ出ているのは黄色い煙。中に細かい粒が混じっているのか、煙の先っぽがかする木の葉っぱたちが、一足早い紅葉を迎えていた。
何かまずいことをしているんじゃないか。そう思うと、僕はびびりより、好奇心の方が勝つ。手早く着替えを終えると、あえて飼育小屋の外側を回るカモフラージュをはさみながら、そっと焼却炉へ近づいていく。
先生は焼却炉の蓋を開けっぱなしにしながら、透明なビニール袋の底を掴んで、片方の先を炉の中へ突っ込む形になっている。
目が良くて助かった。さほど近づかなくても、袋の中身が透けて見えたんだ。青海波をはじめ、麻の葉、七宝、豆絞り……。とりどりの和柄を持つ折りたたんだ紙は、間違いなく先生が用意してくれた折り紙群だ。炉の中をじっと見つめ続けている先生は頃合いをはかっているらしく、ときどき袋を揺らして、中身を少しずつ炉内部へ落としている。
おそらく、回収した折り紙を燃やしていた。
出ていく煙に、改めて目を向ける。どこにも触れない煙は高度と共に薄くなり、空の色に溶けてしまうが、やはり葉や校舎の壁にひっついたものの色はそのままだ。「汚いなあ」と顔をしかめていると、ふと僕の耳に新しい音が届く。
ぶぶぶ、と立つ虫の羽音。それがどんどん大きくなったと思うと、僕の頭上を、新たに現れた煙の一団が通り過ぎていく。真っ黒に染まったそれは、絶えず輪郭を乱しながら進み続け、ほどなく煙の残滓がひっつく葉や校舎の壁に取り付いた。黄色い染みはたちまち黒に上書きされ、新たな煙たちはその表面でも、ひっきりなしにうごめき始める。
それで終わりじゃなかった。上がり続ける黄色い煙がまた、葉や壁についた時と同じ軌道で、黒い煙たちをかすめるや、すぐに奴らは動き出した。自分の身体を被せるようにして今度は黄色たちの跡をたどり、どんどん炉の煙突の中を目指していく。
一分も残さず黄色が黒に乗っ取られたそのタイミングで、先生は袋を一気に引き抜いた。炉に隠れていた袋の先は真っ黒だ。もし火を焚いていたならひとたまりもなく溶けているだろうに、先生が表に出していた部分よりよっぽど長い。
先生は折り紙がすっかりなくなり、代わりに黒ずんだものが溜まった袋をひっくり返す。先ほどまで炉の中に突っ込んでいた方を自分の口へ向けると、一気にむしゃぶりついた。袋の口をすっかりくわえこみ、大きくのけぞる。すると、袋にくっついている黒味がどんどん吸い込まれていくんだ。
先生の唇は、まるっきり掃除機の吸い口のようだった。まず袋表面にこびりついた黒が目減りしていき、それに伴って先生はますます背中をのけぞらせる。袋の底が先生の顔より高くなり、中身が先生の喉を目掛けて殺到した。
先生の口元で袋のしわがより、底は先生の両手に押さえつけられて、ほとんど平べったくなっている。目を閉じ、口で釣り上げる動作を見ていると、「すうう」と吸い込む音がこちらまで聞こえてきそうだった。
そうして先生が口を離した時には、袋からすっかり黒が消え失せている。炉はもう煙を吐かず、あちらこちらにこびりついていた黒い奴らもすでにない。葉も壁も、先ほどまでの状態がウソのように、元の色を取り戻している。
ギブアンドテイクで、ウィンウィンな関係。
自分でそう語ったように、先生は僕たちの息を上手く使うべく、紙風船の紙に細工をしていたのかもしれない。先生自身は、焼却炉が撤廃されるタイミングで学校を後にしちゃい、紙の正体は分からずじまいなのだけどね。