神子は想いに蓋をする
さて、わたしがアルズヴェールの中の人を好きだと自覚してからも、状況としては特別、何も変わることはなかった。
いつものように午前中に書物庫へ向かって、他愛ない雑談を交わし合うところまで同じ。
当然だ。
わたしは、彼にこの気持ちを伝える気は一切ない。
だから、気持ちが溢れ出ないように、ちゃんと隠し通すつもりでいた。
大体、彼のことを好きになるのは実に不毛な話なのだ。
まず、彼がわたしに好意を向けてくれるのは、わたしの外見が彼の「理想の女性」だからだ。
中身については、嫌われてはいないだろうけど……、それは恋愛感情とはちょっと違う気がしている。
どちらかというと、こんな状況に巻き込まれてしまっても、変わらずにいる仲間意識の方が強いだろう。
そして、彼は元々、元の世界に「彼女」がいたのだ。
全てが終わった後に、わたしたちが元の世界に戻れるかはともかく、他に好きな人がいる状況の人間に、玉砕覚悟の体当たりアタックなんてぶちかましたところで、無残な結果になることは目に見えているだろう。
想いが受け入れられずに砕け散った後も、この状況は続いてしまうのだ。
それなら、傷は少しでも浅い方が良いだろう。
何より、わたしたちはこの世界の人間ではない。
元の世界に戻ってしまったら、互いの本当の姿も朧気で、二度と会えるかどうかも分からないのだ。
連絡先を交換した所で、そのメモ用紙を持って帰れるという保証もなく、その連絡先も、ずっと頭の中に記憶していられるかも分からない。
そして……、全てが終わった後、関係者の記憶は全て何もなかったかのように消されてしまうと言うのは、異世界転移された人たちのお約束の一つでもある。
強い想いがあれば、元の世界でも絶対に巡り会える! ……なんて頭がお花畑な楽観主義にはとてもなれない。
だから、わたしはこの気持ちを彼には伝えず、しっかりと封印することに決めた。
心のずっと奥底に蓋をして、鍵をかけて重しをしっかりと載せて、誰もこの心を動かせないように。
本来は、会うはずもなかった人に、出会うことができた奇跡に心から感謝しながら。
「どうした? ラシアレス」
宮本陽菜ではなく、ラシアレスに向けられた彼の優しい言葉と柔らかい表情。
これだけで、幸せを感じてしまうわたしは、お手軽な人間なのだろう。
だけど、今まで、こんな想いも知らなかったのだ。
だから……。
「あなたとこうして会話できるのはどんな奇跡なんだろうね? と思って……」
わたしがそう言うと、アルズヴェールはその綺麗な瞳を丸くした。
「こんな不思議な世界で、信用できる味方を得られたことは、本当にありがたい話だと思っているよ」
想いは伝えられなくても、感謝だけは伝えよう。
その気持ちも本当にあることだから。
あの時、「手を組まないか? 」と誘って来た時は、「何考えてるんだ? この男」と思ったが、あの言葉で救われたし、今では本当に彼のことを信頼している。
彼がいて、毎日、こんな場所で実のある会話も、無意味な雑談も受け入れてくれるから、わたしは安心してこの世界で数年過ごせてきたのだ。
「言われてみれば確かに奇跡ではあるな。年齢も違うし、恐らくは住んでいる場所も違っただろう」
わたしの言葉に嬉しそうに彼は答えてくれた。
その笑顔はアルズヴェールではなく、中の人の笑みなのだろう。
そんなことをうっかり考えてしまうわたしは既に重症なのかもしれない。
「住んでいる場所の詳細については、個人情報だから聞く気はないけど……、ヒカルは訛りが少ないから、関東圏?」
なんとなくそんな気はしている。
「いや、オレ、地方出身。でも、大学は関東だから、訛りについては……、大学デビューするために努力した」
「ほほう。あの焦げ茶色の髪は、大学デビューの結果なのか……」
「実家にいた時は、妹はともかく、親と姉がうるさかったからな。髪色も変えられなかった。独り暮らしをして、ようやく、念願の自由を手に入れたんだよ」
「わたしは就職をきっかけに、一人暮らしを始めた。大学は実家暮らしだったよ」
大学にいた時から、独り立ちするためにお金を貯め、親兄弟の視線に気兼ねなく夜遅くまで、ゲームをするための環境を手にすることができたのは、就職してからだった。
家にいた時から、「すくみこ! 」を始め、自分の部屋でゲーム自体はやっていたのだけど、やはり、夜遅くまで起きていることがバレると、かなり怒られていた。
「実家から大学に通える環境がすげえよ。オレの実家は、バスは一日、数本。電車も通っていない場所だった」
「有名大学は狙っていなかったから。地元の大学で十分、学べたからね」
尤も、学んだことは何一つとして活かせないような職種に就職してしまったから、せっかくとった資格も宙ぶらりん状態なのだけど。
このご時世に、学生時代から思い描いた職業に就ける人って羨ましいと素直に思う。
「でも……、そっか……。ハルナは既に、社会に出て働いているんだな」
「ヒカルとは5歳も違うからね。流石にこの歳になって就職していないのは問題だとは思わない?」
わたしはそう言って笑う。
今は同じ歳の身体に入っているからそこまでの違和感はないかもしれないけれど、実際、わたしたちは5歳も年齢が違うのだ。
元の世界で会ったら、並んで歩くことは難しくなるだろう。
いや、彼と並んで歩くことなんて、絶対にあるはずがないのだけど。
「それもそうだな。ハルナと話していると、つい、年齢差を忘れてしまう」
「それはわたしがガキだとでも?」
こう見えても、年齢の割にしっかりしすぎだと周囲からの評価だというのに。
「言動は割と幼いとオレは思っている」
ぐっ!
それはわたしの本性を知っている人たちからもよく言われる言葉だった。
「……そこは認めるけど、それは、ここがゲームの世界だから、どこか学生時代の感覚に戻っている部分はある」
友人たちの前で少し、言動が若返ってしまうのもそんな感じだ。
気持ちだけがその時代に戻ってしまう。
単純に自分がオタク気質だから、心行くまで好き勝手に話せるような語り場を探しているだけかもしれないのだけど。
「でも……、実際のハルナはどうなんだろうな?」
「実際もこんな感じなのは、ヒカルもよく知っているでしょう?」
「夢の中では、言動はともかく、ハルナの顔ははっきりと見ることができないんだよ」
二年前、初めて彼と夢の中で出会ってから、月に一度ぐらいのペースで夢の中で会っていたりする。
その時期は、月の始めにある定期報告のようにしっかりとその周期が決まっているわけではなく、定期報告の前だったこともあるぐらいなので、基準はよく分からない。
そして、せっかく夢の中で彼と会ったことぐらいは覚えているのだけど、はっきりとわたしはその内容については思い出せない。
だけど、不思議なことに、彼の方はしっかりとその会話の内容まで覚えていてくれているのだ。
その差はなんだろう?
地頭の出来?
でも、そのおかげで、彼と会った日だけは、その夢日記を書き留めることができているのは大助かりだ。
その夢日記を見る限り、最初は互いの容姿について触れていたようだが、最近では、相方の神様の話だったり、仕えてくれているロメリア嬢やアイルの話だったりとその内容のほとんどは、ここでの会話と大差はなかった。
もっと他に有意義なことを話せば良いのに……と思うけれど、わたし自身、内容を覚えていないので仕方ない。
覚えているのは、本当の彼が焦げ茶色のサラサラした髪をしていることぐらいだろう。
そして、黒縁眼鏡は、夢の中ではしてないようだ。
彼のことを、もっと知りたいと思う気持ちに気がついて、わたしは再び、気持ちに蓋をする。
危ない、危ない。
気を抜くと、封印が解けてしまう。
流石に初恋とは言わないけれど……、久しぶりの恋愛感情だ。
少し、柄にもなく浮ついているかもしれない。
だけど、そんなわたしの気持ちに気付いているはずもなく、彼は何故か穏やかな瞳をわたしに向けるのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




