報告の場
導きの女神ディアグツォープ様に案内されて入った部屋は……、どこまでも真っ白く濃い霧の中だった。
―――― あれ?
わたしは、なんとなくだけど、この場所に来たことがある気がした。
だけど……、よく思い出せない。
頭の中がこの景色と同じように、霧のような靄がかかったみたいで、どうもはっきりしないのだ。
まあ、気のせいだろう。
「すくみこ! 」世界にはこんな場面、なかったはずだし。
『お手をどうぞ』
ディアグツォープ様に白い手を差し出されたため、そのままなんとなく握る。
綺麗な女性の手を握ると言うのは、同性であってもちょっと気恥ずかしい。
しかも、相手は誇張なく「女神」という存在なのだ。
少しだけ恐れ多い気分にもなってしまう。
小市民の感覚なんてそんなものだ。
陶磁器のように滑らかで、毛どころか毛穴すら見当たらない。
化粧水や乳液を使用しているようには見えないのに、少しだけしっとりとしている。
15歳のラシアレスのこの身体もかなりの美肌だと思っていたが、この女神はそれを凌駕していた。
これは赤ちゃん肌というやつだろうか?
かなり水を弾きそうだ。
そして、作り物のようなその白さから、ひんやりとしているかと思えば……、意外と温かかった。
神様も「人肌」……なのか。
そう思うと、なんか不思議な気がする。
それでも、多少、気恥ずかしさと気後れはあるものの、今はなんとなく、この手を離してはいけない気がした。
それだけ、この周囲は真っ白で、1,2メートル先も良く見えないほどだった。
この手を離してしまえば、迷子になってしまうかもしれない。
そう思うと、さらに彼女の手を強く握りたくはなったが……、止めた。
この手を強く握って少しでも色が変わってしまうのは申し訳ない。
でも、結構、歩いた気がする。
どこまで歩くのだろう?
この部屋が、かなり広いってこと?
そんなことを考えていた時だった。
『着きましたよ』
そう言って、ディアグツォープ様が足を止めたので、わたしもそこで止まる。
周囲の風景に変化はない。
わたしとディアグツォープ様の二人だけ……だと思ったけど、違ったようだ。
『「ラシアレス」か……』
周囲に響き渡る声。
思わず、わたしは周りを見渡すが、そこにはやはり導きの女神であるディアグツォープ様がその金色の長い髪を揺らしているだけだった。
だけど……、この声は……、どこかで聞いたことがある。
ああ、でも、それがどこか分からない。
こう、喉元のこの辺まで出てきている感覚があるのに!
何?
わたし、もう呆けちゃった!?
肉体年齢は15歳でも中身はしっかり25歳だから?
『報告を聞く』
そう言われて自分の役目を思い出した。
そうだ!
わたしは報告に来ていたのだった。
……ということは、もしかしなくても、この声の主は、創造神様ってことになるのでしょうか?
でも……、わたしが覚えている声とは違う。
あの……、今でもはっきりと思い出せる声は、怒る声も、驚く声も、戸惑う声もみんな好きだった。
しかも、ヘッドフォンで聞くと、本当に耳元で囁いている気がして、喪女には、破壊力抜群だったのだ。
いや、確かにゲームではプロの声優さんが演じているわけだから、当然と言えば、当然だろう。
乙女ゲームの攻略対象役で喪女を転がすのがお仕事な人たちなのだから。
だけど……、わたしが好きだった創造神様の本物の声が、こんなやる気がなさそうな、男か女かも分からない声なのはあんまりだ!
……って、あれ?
今、何かを……?
『報告はないのか』
阿呆なことを考えていたわたしの思考は聞こえていないように、重ねて尋ねられる。
でも、その声には迫力がなく、苛立っている様子もない。
この方が本当に創造神だと言うのなら、ゲームではもっと気が短い印象だから、本当にいろいろと違和感が強い。
「いいえ。これより、報告させていただきます」
見えない相手に報告するのは、その反応が分かりにくいから、難しい。
だけど、やらなければいけないことに変化があるわけでもないのだ。
そして、緊張もほとんどなかった。
開き直った女に、怖いものなど何もない。
わたしは胸を張って、持っていた資料を基に、報告という名の現状説明を開始した。
できるだけ、感情的にならず、淡々と事実だけを簡潔に伝える。
恐らく、その口調から判断する限りだが、相手はそこまでこの件について、詳細を求めてはいないのだろう。
だから、最後にこう付け加える。
「尚、詳細については、こちらの資料をご確認ください」
時々、見かける「詳しくはwebで」のようなものだ。
限られた時間で全てを伝えることなどできない。
『それは、私がお預かりしましょう』
そう言って、ディアグツォープ様は受け取ってくださった。
良かった。
大事な資料をこの場に置くわけにもいかない。
まさか、こんな形の報告になるとは思っていなかったから、次回の報告は、この点に気を付けよう。
「それでは、報告を終了させていただきます。ご清聴ありがとうございました」
それを結びの言葉とした。
これで、わたしの報告は終わり。
我ながら、乙女ゲームの世界だと言うのに、事務的で色気もないとは思うけど、15歳の愛らしい「ラシアレス」ならともかく、25歳の「宮本陽菜」に少女らしい行動を求められても困るのだ。
やるべきことは、ある程度、私心を押さえてでもしっかりと務める。
それが、社会人ってものでしょう?
「すくみこ! 」の神子たちは攻略対象の神たちの前で、身振り手振りで報告しているようなディフォルメキャラの描写があったけど、あれはまだ若い彼女たちだから許されることだよね。
ふうっと息を吐きたかったが、ここは我慢だ。
この部屋を出るまで気を抜いてはならない。
部屋を出るまでが、報告会なのだ。
何より、相手からの反応もない。
最後まで気を抜けない、と気を張っていた時だった。
『なかなか分かりやすい報告だったぞ、ラシアレス』
「え?」
意外な言葉に、わたしはちょっと驚いて、間抜けな声を漏らしてしまった。
いや、まさか褒められるとは思っていなかったし。
「ありがとうございます」
素直にお礼を言う。
それを期待していたわけではないけど、褒められるというのはやはり嬉しいものなのだ。
「他の神子たちにも見習わせよう。記録か。なかなか良き方法だ」
ああ、なるほど。報告の内容ではなく、手法を褒められたらしい。
確かに神様は記録という行動をとらない気がする。
書物庫にある大量の本は神様が製本したとは思えないものばかりだから。
それでも、良い。
少しでも、今の状態の改善に繋がるなら、これらも決して、悪いことではないだろう。
どんな経緯かは分からないけれど、わたしはこの世界を救うために「救いの神子」として、この身体に意識だけが宿った。
だけど、任された以上はやり遂げたいし……、何より、わたしは少しでも関わってしまったこの世界を見捨てたくないのだ。
勿論、特殊能力もないわたしにできることなど限られていることは分かっている。
それでも知ってしまった以上、放り投げられるほど、人の情を捨てている人間ではなかった。
ゲームと違ってやり直しができない世界。
それでも、この世界を救うためなら、どんなことでもやろう。
それが、例え……、わたしが元いた世界との決別に繋がったとしても……。
だけど、わたしのそんな決意は、はっきり言って、甘かったと言わざるを得ない。
この時点で、既に未来は決定していて、そこに本当の意味での「救い」などどこにもなかったのだ。
でも、この時点のわたしは当然、知る由もない。
そのことを、わたしが知るのは、全てが終わってしまう直前だったのだから。
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