神子たちは落ち合う
「みこ」生活、3日目。
わたしは、アイルに案内してもらって、「図書室」まで来ていた。
「ラシアレス様、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。アイルはアイルの仕事があるでしょう?」
心配そうに尋ねるアイルに対して、わたしは気楽に答える。
「ラシアレス様をお守りすることが一番大事なお仕事です!」
「昨日も、朝も言ったように、今のところ、神子の中で、わたしに対して分かりやすく敵意を持っていないのはアルズヴェール様だけだから」
傍にいるアイルにそう返事をする。
昨日、手紙の内容……というほどのものではなかったが、呼び出しされたことをアイルに伝えたら、彼女は「危険だ! 」と言った。
その反応を見る限り、この世界って……人口減少以外の危険もあるらしい。
何でも、「他大陸の人間は野蛮で信用がおけない」そうだ。
それだけ、他大陸との交流も少ないってことなのだろう。
昨日、見た鏡面の映像からも、人間たちは今の生活に満足しているっぽいし。
「では、少しの間だけ! 僅かな時間だけでも神子様たちのお傍に控えることをお許しください」
そう言って、アイルは食い下がった。
案内されなくても困るので、少しの間だけと条件を付けて、その後にアルズヴェールに了承の返事を出したのだった。
そうして……日付が変わった本日。
朝食を終えた後、アイルと二人で「図書室」まで来たわけだが……、予想外の事態に、わたしは圧倒されたのだった。
なんだ、これ?
本が壁のようだ。
部屋の広さは、県立図書館並み?
いや、奥行きを考えると、絶対、もっとある!
これは本当に、部屋という括りで良いものか?
しかし、それだけ大量の蔵書の割に、机が少ない。
そして、わたしたち以外の人間がいなかった。
勿論、誘い出した当人であるアルズヴェールの姿も。
「この書物の間を利用できる人間は、神子様たちと、それにお仕えする人間だけですから」
「なんという……無駄遣い……」
思わず、そう口にしていた。
いや、だって、これだけの本だよ?
知識は宝だよ?
思い切って、一般開放すべきじゃないの?!
「この狭間界に来ることができる人間がいないので、そこは仕方がありませんね」
わたしの大きな独り言が聞こえていたのか、アイルは苦笑しながらそう答えた。
ああ、それは……確かに。
「不思議な結界が張られているようですね。空間には、人間が使う魔法の完全無効化……、そして、書棚には、時間停止の効果まであるようです」
アイルは、書物と書棚を確認しながらそう言った。
「時間停止……劣化防止のためということかな?」
「恐らくは……。書物は今も昔も貴重なものですから。」
この世界には恐らく、PCやプリンターという素敵な文明はないだろう。
それに製本機や活版印刷機というものがなければ、本の増刷は難しい。
異世界のお約束でもある「紙がなくて困る」というイベントなかっただけ、マシだと考えるべきかな。
「書物が貴重ってことは、紙も貴重ってこと?」
わたしが望んだから、アイルはどこからか出してくれた。
でも、それが貴重なら、記録は重要なことしかできなくなる。
試し書きとか言いながら、落書きとかしている場合ではなかった!
「紙は……原材料が豊富にありますから、いくらでも複製できます。風の大陸が自然豊かなおかげですよ」
「原材料?」
「紙の素材はいろいろとありますが、最初にお出ししたのは、丸い根菜と、蔓性植物の繊維を絡めて、漉き上げて、乾燥させたものですね」
繊維ってことは、植物性だよね?
奇をてらって、まさか、動物性繊維とかいうオチはないよね?
わたしは「羊皮紙」にも抵抗がある人間なのだ。
ファンタジー好きな人たちの中に存在する「羊皮紙」という言葉に心をときめかすことができる人種が信じられない。
その原材料にヒツジやヤギなどの皮を使っていると知って以来、本当にダメなのだ。
いや、字を考えれば分かることなのだけど、そのために皮を剥がれる動物たちが本当に気の毒に思えてしまう。
はっきり言ってしまうと、たかが記録のために犠牲になる命っておかしくはないか?!
人間が犠牲になっていないから良いってか?
そんな考え方に賛同できなかったのだ。
植物紙、バンザイ!
古代エジプト、古代中国の賢人たちに心からの感謝を!
「書簡紙は、材料が違うの?」
「はい。書簡紙は少し高価で、我が大陸で使われているものは、『海鳥』の羽と『大きな毒蜘蛛』の糸が使われております」
「……羽と糸?」
ど、動物性?
もしかして、その紙のために羽をムシムシっとむしり取ったり、「お蚕さま」のように熱して殺しちゃうとか?!
「どうされました?」
わたしが固まったためか、アイルは心配そうに確認してくれる。
「その羽と糸は……どうやって取り出すの?」
「こちらにある書物からも分かると思いますが、僭越ながら、説明させていただきましょう。どちらも敵に回すと面倒な魔鳥と、魔蟲なので、巣が空っぽの時を狙って、回収すると聞いております」
そ、それなら少しは救われる気がする。
いちいち殺しはしないのか。
しかし、敵に回すと面倒な「マチョウ」とか「マチュウ」とか……。
字は分からないけれど、嫌な予感しかしない。
深く突っ込まない方が良いかも?
「ところで……、アルズヴェール様はいないようですね」
「そうだね。少し、早かったみたい」
特に時間指定されていなかったので、わたしは返答に「午前九時」と指定して書いたが、もしかして、伝わらなかっただろうか?
この世界にも時間の概念はあるし、時を刻む時計の役割をするものはある。
一年の長さは数日、違うようだけど、一日が二十四時間というところは同じらしい。
そして、この世界の時間表記……というより、数字の表記はちょっと斜体になっているけど、ローマ数字によく似ていた。
全然知らない文字ではないので、そこは助かる。
でも、「0」を「OR」と表記する点は多分、違うと思う。
でも、ローマ数字の「0」って何故か、思い出せないから絶対に違うと言い切れないのだ。
時計になかったっけ?
そんな風に考えていた時だった。
「ラシアレス様、アルズヴェール様がお見えになりました」
図書室の扉が開くよりも先に、アイルが言葉をかけてくれたので、背筋を伸ばして、扉の方向へ身体を向ける。
数秒後、その扉が開かれ、そこには、なんとなく久し振りに会うような気がするアルズヴェールが息を弾ませていた。
まさか……、走ってきたのだろうか?
金髪の美少女が通路を全力疾走する様は見応えがあるかもしれない。
それにしても相も変わらぬ完璧な美少女っぷりにホッとする。
いや、一日会わなかったぐらいで変化が見られたら、問題ではあるのだけど。
花が綻ぶような笑顔とはこういう顔を言うのだろう。
わたしを見た途端、どこか引き締められていたような顔が、笑みの形に崩れた。
その顔に、わたしだけではなく、傍にいたアイルまで目を丸くする。
「主人がお待たせして、申し訳ありません」
そう言って深々と頭を下げたのは、アルズヴェールに付き添っていた女性だった。
わたしにとって、アイルみたいなものかな?
でも、その表情は全然、違う。
にこやかでくるくると表情が変わるアイルと違って、眼鏡の奥にあるキリッとした鋭く紅い瞳はわたしをまっすぐ見据えている。
そして、謝罪をした後、その口は結ばれたままだった。
髪の色も紅く、いかにも火の大陸出身という印象で少し、激しさを感じる。
まあ……、髪や瞳の色はともかく、社会に出たらこんな人はどこにでもいるけどね。
「ロメリアは謝らなくて良いって言ってるのに。遅刻したのは私でしょう?」
どうやら、女性の名は「ロメリア」というらしい。
「主人の不作法は、使用人の過失です。貴女は黙っていてくださいませ」
ぴしゃりと言い切る。
絵にかいたような堅物のメイドさん……って感じだ。
少し、わたしの好感度が上昇した。
お約束に忠実なのは良い所でしょう?
そう思ったので、素直にわたしは口元に笑みを浮かべると、一瞬だけ、ロメリアは鼻白んだ顔を見せた。
若いな……。
アルズヴェールより、年上だが、わたしの実年齢よりは若く見える。
そのためか、まだ不測の事態に対応できないようだ。
それでも……、その表情の隠し方は、アイルよりマシだとは思う。
彼女は取り繕った顔をしていても、どうしても我慢できないようだ。
不機嫌そうな雰囲気がすぐ傍から漂っているから。
「わたしの方は気にしていないので謝罪は不要です」
わたしはロメリアに向かってそう言った。
「それより、アルズヴェール様。お誘い、いただきありがとうございます」
遅刻ぐらい、大した問題ではないのだ。
わたしは、彼女と連絡が取りたかったのだから。
わたしが動くよりも先に、向こうから連絡してきてくれたことも、嬉しかったしね。
「ロメリア、場を外せる?」
わたしの言葉を聞き、アルズヴェールがロメリアにそう言うが……。
「お断りします」
彼女は、はっきりと断ったのだった。
参考までに、ローマ数字に「ゼロ」に該当する記号はありません。
さらに、一般的には3999までしか表記できないようになっています。
※記号はあるけど、統一されていないようです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




