神子は異文化に触れる
さて、わたしは乙女ゲーム「すくみこ! 」のシステムを思い出してみることにした。
そのためにはまず、記録!
「アイル、紙と鉛筆はない?」
わたしは傍にいるお世話係に声をかける。
「紙はともかく、『エンピツ』とは何でしょうか? 申し訳ございません。不勉強で……」
そう言いながら、深々と謝られた。
なんと!?
この世界には「鉛筆」がない!?
いや、さすがに「シャープペンシル」はないと思っていた。
でも、「鉛筆」がないなら、「ペン」という言葉も怪しいかもしれない。
え? 何?
この世界ってどうやって紙に文字を書くの?
木炭? 筆? それとも付けペン?
「えっと……筆記具はない?」
確認のために言葉を変えてみた。
「筆記具? ああ、それなら分かります。今、ご準備しますね」
そう言うと、アイルは机に紙とインクと羽のようなものを準備してくれた。
だけど……、それより、驚くべきことがあった。
今、どこから出したの?
本当に何もないところから出してくれた気がするよ?
これって、ゲームではよくある表現だと思うけど、現実に見せられるとかなりビックリする。
「どうかされましたか?」
わたしが固まっている姿を見て、アイルは不思議そうな顔をした。
どうやら、彼女にとっては普通のことらしい。
「何もない所から出てきたので驚いた」
思わず正直に答えてしまう。
「ああ、ラシアレス様は、『魔法』についてまだご存じないのですね」
アイルはにっこりと笑う。
「魔法」……だと?
いや、確かに「魔力」とかそんな話はあったけど……、いや、あったから「魔法」の存在に思い至らなかったわたしの方がおかしいのか。
「誰でも使えるものなの?」
「はい。契約する必要はありますが……」
さらには契約……だと?
「私は、この場所に来る前に、『神子』様であるラシアレス様のために様々な魔法を契約して参りましたが……。この場所でも契約ができるかは分かりません」
「な、なんで!?」
せっかく便利そうなのに!?
「契約の文言が書かれた魔法書はかなり貴重なものです。私は王より直々にお借りいたしましたが、この世界にその魔法書があるかどうか分からないのです」
な、なるほど……?
この世界は人の世とは違う場所にある。
この辺り、ズィード様に伺ってみる必要があるかな。
「分かった。でも……、アイルは大丈夫? 魔法を使うことで何かいろいろ無理をすることはない?」
わたしがそう言うと、アイルは目を丸くした。
そして、口に手を当てて震えるような声でこんなことを口にする。
「なんて、恐れ多い」
はい?
声に出さなかったわたしを誰か褒めてくださいませんか?
「私の身はラシアレス様に捧げられたもの。ですから、遠慮なく私をお使いくださいませ!」
「……いや、無理をするかどうか聞いただけなのだけど?」
「大丈夫です! 問題などあろうはずがございません!」
うん。問題があるような気がする。
必要以上に彼女を頼ってはいけない。
多分、倒れるまで頑張ってしまうタイプだ。
「アイル。気持ちはありがたいけれど、無理だけはしないでね。あなたに倒れられては、わたしは何もできなくなってしまうから」
わたしはそう言った。
少なくとも、その言葉に間違いはない。
昨日、今日とアイルが食事の世話をしてくれているのだが……、見たこともない食材と文字通り「格闘」している彼女の姿を見て、わたしは思ったのだ。
この世界の料理、わたしには無理だと。
料理の手順がよく分からないだけではなく、料理風景がおかしい。
食材を鍋に入れた後、アイルがなんかカウント取っていると思ったら、鍋から青い煙が出てきたのだ。
異常事態かと思ってわたしは慌てたけれど、アイルは落ち着いたもので、すぐに蓋をあけて、中身を皿に移した。
そのお皿には、どこにも青いものはなく、白いシチューに似たものができていたという不思議。
なんでも、アイルが言うには、この世界の料理は選ばれたものしかできないそうだ。
彼女が言うことが本当ならば、わたしは恐らく選ばれないだろう。
元の世界では、一人暮らしを数年していたが、凝った料理などほとんどせずに、安い総菜を買って済ませることが多かった。
菓子パンだけで一日を過ごしたこともある。
数少ない自炊も、レンジで簡単調理というような、ネットで失敗の少ない調理法を調べたものしか作っていなかった。
女子力? 知らんな。
彼氏がいない女子の力など、この程度だよ。
「大丈夫です! ラシアレス様。私は、頑丈さだけが取り柄ですので!」
胸を張ってそう言う彼女。
でも、わたしは、そう言いながら体調を崩していった上司や同僚を数人、見てきた。
だから、余計に不安になってしまうのだ。
だけど、今の彼女にそれを伝えても無駄なのだろう。
自信がある人間は、失敗するまで自分の過ちに気付くことはない。
でも、できれば彼女は体調を崩す前に、頑張りすぎは良くないと、気付いてくれると良いのだけど。
「筆記具の準備、ありがとう」
そう言いながら、わたしはインクの蓋を開ける。
羽ペン……か。
こんなものを使ったことはない。
そもそも、シャープペンシルやボールペンを使うことも減っていた。
仕事で文書を作るのも、記録をするのも、ほとんどPC。
筆記具の出番は、電話応対時にメモするぐらいである。
私生活ではスマホのメモ帳機能が主だった。
果たして、そんなわたしに使えるものだろうか?
付けすぎると、インクが垂れそうだ。
そもそも、このインクの伸びも分からない。
墨汁みたいにサラサラしているだろうか?
それとも油みたいにねっとり系?
少しだけ、羽の先をインクに付けて様子を見る。
垂れる様子はないので、紙に試し書きをしてみる。
「い」、「ろ」、……すぐにインクが切れた。
付けた量が足りないのか、単純に羽ペンがそう言ったものなのかは分からない。
現代日本で羽ペンを使う人なんて、ファンタジー好きくらいじゃないか?
いや、そもそも売っているのか?
因みに五十音順ではなく、いろは順で書いてみようと思ったのは、単純に「あ」より、「い」の方が書きやすかったからです。
「ラシアレス様、それは何の記号ですか?」
「ほ?」
記号?
不思議そうな顔でアイルが見ているのは、先ほどわたしの書いた文字だった。
そこで、わたしはあることに気付く。
―――― 言葉は通じているけど、まさか、文字は違う?
思い出してみよう、「すくみこ! 」世界を……。
あのゲームに文字は……?
ああ、確かに出てこなかった!
神様たちから渡された手紙も、内容を主人公が音読。
それ以外の場面でも、基本的に主人公が読んで、プレイヤーに伝えてくれる親切設計システムでしたよ。
「えっと……、これは特殊な文字なの。『みこ』たちにしか読めない特別な文字よ」
嘘は言っていない。
「ラシアレス様は『大陸文字』を使われないのですか?」
「アルファベート」?
「アルファベット」ではなく?
「どんな文字?」
わたしがそう尋ねると……。
「このような文字です」
新たに筆記具を出して、アイルが書き始めたのは……。
「A」、「B」、「C」……。
どう見てもアルファベットです、本当にありがとうございました。
「これらは、『A』、『B』、『C』、『D』、『E』、『F』、『G』と読みます」
「……ありがとう、教えてくれて」
見た目アルファベット。
でも、初っ端から発音が違った。
うっかりアホなこと言って不信感を漂わせることになるところだったよ。
これは、どちらかというとローマ字の読み方?
いや、「F」ってなに!?
「ラシアレス様は神子の教育を受けていたと聞きます。私どもが使うような大陸文字を知らないのは、仕方がないでしょう。それより……、その神子文字を知っている方が素晴らしいと思います。そのような文字……。恐らく、他大陸でもないでしょう」
そりゃあ……ないだろうね。
日本語ですもの。
でも、文字は同じ?
「アイル。自分の名前は書ける?」
「はい」
彼女が書いた文字は「Ail」。
割と分かりやすくて良かった。
「ラシアレス様のお名前は、このように書きます」
そう言いながら、彼女は嬉しそうに「Laciares」と書いてくれた。
ああ、うん。
なんかごめんなさい。
しかし……文字かあ……。
思わぬところで障害が発生した気分である。
異世界仕様のためか、会話はちゃんと通じるので油断していた。
これは、早急になんとかしなきゃ!
羽ペンは現代日本でも手に入ります。
興味のある方は、ネット通販をご利用ください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




