舞わない蝶《其の八》
儷様の手には剣が握られており、それをズルズルと引きずりながら私達へ一歩一歩近づいてくる。
「それの何が悪い」
しかし薇瑜様は気にした様子もなくバッサリと切り捨てた。おそらく手に持っている剣は小道具の模造刀と思っているのだろう。
「私一人では妹・瑞季という確信を得ることはできなかった。それ故、瑞季を特に気にかけていた兄上をお呼びした」
「皇子の目についたものは異国の歌劇場で主演を張れるというのは――」
公になっているわけではなかったが、宮女の間では儷様の言うような認識だったのは確かだ。
「兄上がそれと見込んだものがおれば――だがな。そなた程面倒な踊り子はいらぬ」
「面倒――!?」
「舞だけではない。衣装一つ、小道具一つにあれこれ文句をつけ、その度に妾まで巻き込み問題にする――。今回だけならいざ知らず、毎回となれば振り回される周囲も大変じゃろ」
同意を求めるように薇瑜様が皇子へ「そうでございますよね?」と振り返る。
「まぁ、舞を見ていないから何とも言えないけど……」
「その舞を披露する機会をこんなくだらない再会のために潰されたのですか!?」
儷様の言い分はもっともだ。確かに劇的な再会にはなったが、彼女の人生の選択肢を狭めたのは確かだ。今回のように毎回皇子が我が国へ来るわけではない。今までだって薇瑜様が後宮に入って五年以上が経つがそれでも、今回が初めての公式訪問となる。
「私がどれほどこの機会を待っていたかご存知でございますか? 後宮に宮女として入ったのだって、皇后陛下が異国の姫だと聞いたからです。その国で踊ることだけを夢見ていたのに――」
「うちの国は芸事には力を注いでいるからな。中には踊り子から本人自身が貴族になった人物や劇場を任された人間もいる」
踊り子が貴族に見初められ貴族の愛妾になる踊り子は我が国でも少なくないが、本人が貴族になるという事例はない。さらに基本的に劇場も貴族が運営をするのが決まりとなっている。
「誰にも指図されない私だけの舞を披露できる劇場を持ちたかった。そのためには皇子に見初められる必要があったのに――」
儷様は吐き捨てるようにそう言う。彼女の気性の粗さは常に舞に関することだった。より良いものを追求した結果なのだろう。
「それを……それをこの小娘が無駄にしたのだな!?」
“小娘”という言葉が自分に対しての言葉だったことに気付き思わず身構える。
「なんじゃ、その模造刀で蓮香を斬るつもりか?」
儷様の気迫に動じた風もない薇瑜様は、やってみろと言わんばかりにそう言って持っていた扇を自らの手に打ち付ける。
「この者がいなくなれば私が舞を踊れるのなら!」
儷様は引きずるようにしながら剣を持って走り出す。それに最初に反応したのは皇子だった。やはり握っていた扇でそれを受けるがあっさりと切り捨てられ、その場に倒れ込む。
「模造刀じゃない!?」
瑛庚様は焦ったようにそう言い、私へ駆け寄ろうとするが薇瑜様がサッとそれを制する。
「皇族に手を出してタダで済むと思うてか!」
代わりに儷様に牽制するようにそう言い放った。あまりの声の大きさに儷様の動きが止まるのを感じた。その隙に私も逃げようとするが、儷様はそれを見逃しはしなかった。
私へ追いすがると髪の毛の端を掴み引き戻す。頭皮全体に体重がかかり何本かが抜ける音と共に強烈な痛みが走る。思わず「ぐぐっ」とうめき声を漏らしてしまう。
「逃がさないよ!」
そう言いながら儷様が剣を振り下ろした瞬間、体全体に何かが飛び込んできたのを感じた。髪の毛が切られる音と共にその“何か”が私の代わりに剣を受ける音がした。
「薇瑜!!」
瑛庚様の叫び声によって、ようやく“何か”が薇瑜様だったことに気付かされた。
「こ、皇后さ……ま?」
儷様も想定外の出来事に唖然として剣を握ったまま立ちすくんでいる。そんな彼女を衛兵が見逃すはずもなく、即座にとらえられる音が聞こえてきた。慌てて薇瑜様の元へ駆け寄ろうとしたが、それよりも早く彼女へ駆け寄ったのは瑛庚様だった。
「な、なにをしている」
瑛庚様の声は珍しく焦っており、薇瑜様の容態が想像以上に悪いことを語っていた。
「私がこうせねば……陛下がこうされていたでは……ございませんか」
そう言って薇瑜様は小さく笑うが、直ぐに咳き込む。
「もう話すな。直ぐに宮医が参る」
「陛下に……抱かれて……死ねるならば、妾は……本望でございます……」
途切れ途切れになる薇瑜様の言葉から、どんどん力が失われていくのが伝わってきた。
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