舞わない蝶《其の六》
「しっかし気合入ってますね~」
宴が開催される日も朝から機織りをする私の横で林杏は呆れたようにそう言った。
彼女が言うように確かに今日は大広間だけでなく、後宮中が騒がしい。おそらく尚儀局の人間の中には不眠不休で準備にあたっている宮女がいるのかもしれない。
「でも林杏が駆り出されないのは珍しいわね」
紅花様、ご出産のお祝いの際には林杏も駆り出されていたように、人手が足りない時は林杏が連れて行かれることも少なくない。現に依依は昨夜から大広間の設営準備に駆り出されている。
「あ……あんたがいても邪魔にしかならないって思われたのかしら」
「酷い! こんなに誠心誠意お仕えしているのに!」
私の侍女としては細やか……とはいいがたいがそれなりに頑張って働いてくれている林杏。だが本人も他の仕事に関しては常にそういうわけではないという認識があるのだろう。あえてその点には触れず、ごめんごめんと形だけ謝る。
「失礼いたします!」
そんな雑談をしていると、部屋の入口から宮女の声が聞こえてきた。
「は~~い!」
林杏がパタパタと入口へ向かうが、私もそれに倣うようにゆっくり後に続く。彼女が、先日私の部屋へ来た薇瑜様付きの宮女だと気付いたからだ。
「本日はどういったご用件でしょうか?」
林杏が口を開く前に私がそう言うと、宮女はサッと膝を床について跪礼の姿勢を取った。
「何も聞かずについてきてくださいませ! 私の命がかかっているのでございます」
「い、命?」
穏やかではない宮女の言葉に耳を疑う。
「薇瑜様から、蓮香様をお連れするように申し付かっております」
「何か問題でもあったのですか?」
宴の当日になって問題が新たに発生したのだろうかと身構えていると、宮女は項垂れるように頷く。
「い、衣装に問題がございまして――ご確認いただけますでしょうか?」
「衣装? 儷様がまた何か問題でも?」
「お願いでございます。時間がございませんので、道中説明させていただけないでしょうか」
私はその宮女の熱意に手を引かれるようにして大広間へ引きずられていく。
「最終的に儷様が中央で舞うことになったのですが、本日になって衣装が地味すぎるとおっしゃられて……」
「でもあの舞は、あえて中央の踊り子だけ真っ白の衣装を着ることに意味があって――」
耀世とも話したが、そもそも下賜する候補を選ぶための舞である。そのため純潔であることを意味することもあり白い衣装となっている。決して派手ではないが普通はおおわれている肩は帔帛を羽織るのみとなっている。
「ですが儷様は自分の肌に合うのは赤だと譲られなくて……。ですので一度、蓮香様が着ていただけないでしょうか?」
ぐいぐいと私の手を引きながら宮女はとんでもないことを提案してきた。
「な、なんで私が!?」
私は思わずその場に立ち止まり、宮女の手を引いて立ち止まらせる。彼女について行ってはろくなことがないような気がしたのだ。
「おそらく儷様は自分以外に舞える人間がいないとタカをくくっていらっしゃるのでございます。そこで代わりに舞える蓮香様が衣装を着て下されば、大人しくなるはずです」
そう言って、早くしろと言わんばかりに宮女は私の手を強く引いた。普段は冷静沈着な薇瑜様付きの宮女がここまで慌てているのだ。着るだけで済むなら力を貸してもバチは当たらないかもしれない。
「蓮香様がお着きになりました!」
宮女がそんな大声と共に扉を開けると、その部屋にいた宮女の視線が一斉に私へ集まるのを感じた。
「裙を持ってきて!」
「髪は後でいいから!」
私が一歩部屋へ踏み入れると、ワラワラと私の周りに宮女が集まる。
「目を閉じていてくださいませ。化粧をいたします」
着替えが終わった瞬間、一人の宮女がそう言って私を椅子に座らせると、別の宮女が駆け寄り無言のうちに結ってあった髪をほどき、これでもかと引っ張りあげる。
「あと二組で出番です!」
別の入口からそう投げかけられた言葉に私の髪を結っていた宮女は小さく舌打ちをする。
「結った跡がついちまっているよ。なんで朝から来ないのかね」
いらだったように文句を言われて初めて宮女の話と大きく違う現実が待っている気がした。
「衣装を――」
衣装を着るだけと聞いていたのだけど――と言いかけて、ふと言葉を飲み込む。私の足元で私を連れてきた宮女が床に額をこすりつけながら「すみません」「すみません」と謝っていたからだ。
「蓮香様をお連れできなければ私の首が飛びます。お助けくださいませ」
震えるような声でそう切望され私は、座っていた椅子に再び深く座りなおす。もし私がここから逃げ出せば物理的に彼女の首が飛んでいく可能性も少なからずあるだろう。
「次出番です!!」
その叫び声と共に髪結いの宮女はパッと私の髪から手を離した。
「私じゃなかったら、こんな短時間で結い上げられなかったよ。感謝しな!」
宮女は「がんばれ」と言わんばかりに私の背中をポンッと押してくれた。口は悪いが悪い人ではないのかもしれない。全てに諦めを付けて私は舞台へ向かう道を歩くことにした。





