舞わない蝶《其の四》
「儷様、いかがでございましたか?」
私は儷様がいた場所に振り返りそう尋ねる。私が踊っている間、彼女は衣擦れ一つ起こすことなかった。おそらく食い入るように見ていたのだろう。
「……」
反論が無いことを肯定ととり私はさらに言葉を続けた。
「儷様が一度見て踊りを覚えるように私も一度図面を見れば、その柄は絶対忘れません。ましてや図案を間違えて織り込むことなどありません。舐めないでくださいませ」
これまで様々な嫌がらせを私は受けてきたが、ここだけはどうしても譲れない。というより千年以上続く我が国の伝統を自分の間違えで途絶えさせてしまう……と考えるとゾッとさせられる。
「それと足の怪我をかばっていらっしゃるならば、固定をされた方がいいですよ」
ほんの微かだったが儷様が歩く時、右足をかばいながら歩いている音がした。おそらく踊りの手順でもめていたのも儷様本人も分かっていてのことだろう。練習中は右足をかばう形で踊り、当日は本来通りの手順で踊るつもりだったに違いない。
「足が悪いのか?」
心から心配したような瑛庚様の声に静かに感心する。おそらく本能的に出している言葉なのだろうが、こんな声をかけられたならば勘違いする宮女が出てきてもおかしくない。
「大げさでございます。ただ少しひねっただけで……」
「なるほど。それで足をかばっておったか」
儷様の言葉に相槌を打ったのは薇瑜様だった。瑛庚様同様、非常に優しい声だが、それゆえに思わず背中の毛が逆立つような錯覚を感じた。
「我が国一の踊り子じゃ。大切にせねばな……。そうじゃ、本番まで一週間ある。練習はせずにゆっくり休むとよい」
「で、ですが!」
さすがにこれは体の良い降板だと気付いたのだろう儷様は慌てた様子で薇瑜様に食らいつく。
「それ以上練習をして足を痛めては元も子もないであろ? な?」
慌てた様子の儷様に対して薇瑜様は一貫して優しい口調が続いている。これまでのことを考えると、ろくなことはないだろうな……と思いながらもあえて口を挟むまいと心に決めた。下手に口を出したら巻き込まれかねない。
そのためにもと私は音を立てないように部屋の隅へと移動する。できるだけ気配を消して頃合いを見計らって部屋から出るつもりだ。
だがそんな私の思惑を裏切る形で部屋の隅に向かってパタパタと駆け寄る足音が聞こえてくる。どうやら儷様と薇瑜様のやり取りに飽きた瑛庚様のものだろう。
「忙しい中すまぬな」
少し肩で息をしている瑛庚様は、まるで子犬のようだと冷めた気持ちで考えていたが、ここには宮女だけでなく薇瑜様もいらっしゃる。私は袖に顔を押し付ける形で礼をする。
「お呼びいただきありがとうございます。お見苦しいものをお見せいたしました」
ここではあくまでも彼と私は、皇帝と宮女でしかない。本来ならば直接言葉を交わしていいような相手ではないのだ。
「せっかく話せたのに……」
それはとても小さな声だが“皇帝”ではなく“瑛庚様”としての本音が漏れていた。
「何時もいらしているではございませんか」
私は袖に顔を付けたままの体勢を崩さず、そっと囁き返す。周囲からすれば皇帝から労いの言葉をかけられている宮女――に見えるに違いない。
「今朝からずっとあの調子なんだ。蓮香の顔を見れてホッとしたよ」
朝からあの怒鳴り声の応酬が続いていたかと思うと、むしろ儷様の根気にも感心させられる。未だに薇瑜様に対して大声で反論している。
「あい分かった!」
そう言った薇瑜様の声が部屋中に響き渡る。
「もうよい。この者を小道具係にせよ」
「わ、私が!?」
「時には人を支える役を担ってこそ大役を担う人間の自覚が芽生えるのではないのかえ?」
おそらく薇瑜様にはそんな思惑はなく、もうこの不毛な争いを終わらせたかっただけに違いない。
「しかし私が抜ければ誰が中央で舞うんですか!? あと一週間しかないんですよ?」
確かに表裏合わせて帯二反分の舞を一週間で覚えろというのは難しい話かもしれない。儷様がいる以上、他の宮女達も自分にその役目が回ってくる――とは考えていなかっただろう。
「なに――おるではないか」
その言葉の指す意味を理解し、思わずビクリと体が震えた。反論の言葉を口にしようとした瞬間、瑛庚様が素早く薇瑜様に振り返った。
「蓮香はダメだ」
「なぜでございます? ここにいる誰よりも上手に踊れていたではございませんか」
「こんな肌が露出した衣装を蓮香に着せるわけにはいかない」
この伝統舞踊は、踊り子の衣装まで細かく指定してある。本来ならば、肩がざっくり開いた衣装を着用する。
「玉のように白い肌――見せてもいいではございませぬか」
不思議そうにそういう薇瑜様の言葉に瑛庚様はギリギリと歯ぎしりをする音が聞こえてくる。
「そなたの兄が来る」
「ええ参りますわ。ですから万全の準備を――」
「だからだ! 側室を探しに来るというではないか。もし万が一蓮香が目に留まったら――」
確かに今回踊る宮女達もそれを目的としているといっても過言ではない。
「まぁまぁ――仲がよろしいことで」
コロコロと笑いながらそう言った薇瑜様の表情が見えなくて本当によかったと、この時ほど思ったことはなかった。
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