舞わない蝶《其の弐》
私が織る帯の多くは正二品以上の后妃が身に着けるものが多い。だが入宮してすぐに伝統行事、伝説などを伝えるための帯も織るように指示を受けた。
皇帝が代替わりをする度に新しくすることで、確実にその内容を伝えるためだろう。その帯の中には伝統舞踊の楽譜、踊り方なども書かれていた。非常に珍しい柄だったこともあり少し時間をかけて機織りを楽しんだのを覚えている。
「小芳様に伺いましたところ、こちらだといわれました」
依依は私の手のひらに一本の帯を載せてくれる。さらりと触ると手のひらに入宮した当初織った懐かしい柄が伝わってくる。
「そう! これよ。詳細に舞の手順が描かれているの」
私が明るい声を出すのと対照的に林杏は「え~?」と不思議そうな声を上げる。
「これのどこが舞の手順なんですか?」
「確かに見た目は点だけど――」
帯は全部で四本の列で構成されている。一番下が楽譜、その上が足の動かし方、その上が手の動かし方、さらにその上が全員の配置が点で表現されている。一つ一つ説明するが、林杏はあまり理解していないらしく、へぇ~と気の抜けた返事を返す。
「視覚的に舞の方法を帯に全て納めるのは無理があるからね」
おそらく千年近い歴史の中で、最終形態として点で表現するという方法が選択されたに違いない。
「これ……見る人が見れば分かるんですかね」
未だ懐疑的な林杏の様子に私は苦笑する。
「それは当然でしょ。ただ織っただけの私でも踊れるんですもの。舞を得意とする宮女はお手の物じゃないかしら?」
私のように機織りをしたりするなど職人のような宮女が後宮にいるように、舞を得意とする宮女も多く在籍している。宴の場で舞を披露するため皇帝や貴族などの目に留まりやすい。后妃になれたり貴族の側室として下賜されることもあるので、踊りに自信がある人間は積極的に後宮に入りたがるともいわれている。
「舞を踊れる人間は、とりあえず試験を受けさせろ――と言われているぐらいですからね」
依依の言うように、年に一回開催される入宮試験には今年も多くの受験者が押し寄せた。
入宮する際の試験は他の宮女と異なり、その容姿、舞踊の修練度などが厳しく採点される。そのため後宮に入れなかった人間も最終試験に残ったということが経歴となり、大きな舞台に立つことも夢ではないのだ。経歴作りのために受験する人も少なくないといわれている。
「そういえば我が国一の踊り子と言われていた美女も舞の宮女として数年前に入宮していますよね」
「確か……二年前だったかしら?」
我が国で最も権威がある劇場の専属の踊り子が後宮に入宮したと話題になったこともある。
「そうです! あれは絶対、后妃になるのを狙って入宮したって話題になりましたよね!」
噂では絶世の美女らしく、平民だが正二品以上の后妃になれるのではないか、と後宮中が話題になった。新たに帯を作らなければいけないのではないか、と林杏に情報を集めてもらったのは記憶に新しい。
「でも現在も宮女のままですよね? 何か失態でもあったんですか?」
依依は不思議そうにそうつぶやく。
「二年前には正二品以上の后妃の座が空いていなかったのよ」
たまたま空いていなかったという体で説明したが、瑛庚様はこれまで個人的な好みで后妃を即位させたことはない。
特に正二品以上の后妃の場合、その存在は政治的意味合いが強いため、各貴族や諸外国との関係を考慮して選定されている。その座が空いた場合、すぐに有力貴族が自分の娘……娘がいなかった場合は遠縁の娘を連れてきてでも即位させているのがこれまでの流れになっている。平民上がりの踊り子には入り込むことができなかったのだろう。
「何、言ってんですか。陛下には運命のお相手が誰か分かっていたんですよ!」
林杏は自慢げにそういうが私は小さくため息をつく。彼らが本当の運命の相手を知ることができたら、どれほど私は楽だっただろう。
「その絶世の美女の踊り子が問題を起こしているんですよ」
私達の一連のやり取りを聞いていたであろう皇后様付きの宮女がボソリとそう漏らした。
「え? どういうことですか!?」
その言葉に誰よりも早く食いついたのは林杏だった。確かに彼女が好きそうな話題だ。
「本番前になって実は伝統舞踊の踊り方が違うって言い出したんです」
彼女の話をまとめるとこうだ。
その絶世の美女の踊り子は実力もあることから今回の中心で踊る役を勝ち取ったらしい。ところが指導係が教える踊り方は自分が見たことがある踊り方とは違うと主張したのだという。
「練習一つでも何十人が関わっているんだから、黙って指導係の言う通りにしていればいいものを……」
今回の宴は皇后様が主催するということもあり、そのお付の宮女である彼女もその踊り子の主張のせいで仕事が増えているのだろう。
「それで帯を持ってきて欲しいと皇后様がおっしゃられたわけですね」
ようやく薇瑜様の意図することが分かり少しホッとする。陛下達のお渡りがあるようになってから薇瑜様の用事は常に問題や事件が付きまとうようになっていたからだ。
「それでは皆様のためにも急ぎましょう!」
私は意気揚々と帯を抱えて練習場へ向かうことにしたが、数刻もしないうちにそれは浅はかな考えだったことに気付かされる。





