猛毒となる解毒剤《其の参》
「半年も病を患っているならば、病床から起きるのも難しいだろう。私達が参ろう」
少し待っても雪梅様が現れないことに業を煮やしたのか、耀世様はそう言うと、宮女の許可を得ずに部屋の奥へと私の手を引いて向かう。
扉一枚を隔てただけだったが、寝室であろう部屋へ足を踏み入れた瞬間、爽やかな香りに包まれ思わず驚く。てっきり寝たきりの生活が続いているため、空気がこもっているだろうと覚悟していたのだが、そんな様子は全くない。
小芳様も言っていたが、元乳母である宮女頭が小まめに寝具を取り替えたり掃除をしたりしているのだろう。
「も、申し訳ございません。このような見苦しいところを……」
雪梅様は、途切れ途切れにそう言い切ると苦しそうに咳を続ける。ゆっくりと床から起き上がった音が聞こえてきた。
「小芳様の元で働いております宮女の氾蓮香でございます」
私はそう言って床に膝をつき頭を下げる。正三品とはいえ従五品の私よりはるかに身分の高い后妃様だ。
「伯母様の?」
私の自己紹介に不思議そうに雪梅様が首を傾げる音が聞こえてきた。一緒にズルリと髪のずれる音が聞こえてくる。
「はい。雪梅様が何か事件に巻き込まれていらっしゃるのではないか調べるよう言いつかっております」
「じ、事件など……」
少し狼狽しつつ雪梅様は否定されるが、少しして再び苦しそうに咳をされる。想像以上に体調が悪いことに驚かされた。
「触診などしてみては、どうだ?」
雪梅様の咳が収まったのを確認し、耀世様が提案してくださる。確かに咳の音だけではどんな毒物を盛られているのか確認するのは難しい。
「失礼いたします」
雪梅様は耀世様の提案に、渋々といった様子で寝具から腕を出される音がした。私はゆっくりと雪梅様の手があるであろう場所へと向かう。
音から大体の位置を推察することができるが、最初にその“手”に触れた瞬間、自分の触覚を思わず疑った。「これは腕?」と口に出さないのが精一杯だった。まるで棒切れを触ったような感触に思わず手を引っ込める。
細すぎたのだ。
後宮の后妃達は皇帝からの寵愛を受けるために美容に関しては非常に気を使っている。そのため細身の女性が多いがその中でも雪梅様は群を抜いて細い。ほぼ骨と皮しかないのではないかと心配になる。
「お食事は召し上がられているのですか?」
思わず気になって口にしてしまった。
「頂いているけど……ほとんど戻してしまって……」
「なるほど」と私は小さく頷く。これほど細くなるためには食事はほとんど食べていないのだろう。
「でも……、素香が薬を混ぜた重湯を飲ましてくれるので……」
「素香?」
初めて聞く名前に思わず首を傾げると、「私です」と後方から声が投げかけられた。私達を出迎えてくれた宮女の声だ。
「私が宮医と相談して配合した薬を飲んでいただいております。宮医もこれがなければ、とうに亡くなっていてもおかしくないと申しております」
私が雪梅様に触れること自体が気に食わないに違いない。イライラとした様子でそう説明された。おそらく彼女が小芳様の言っていた乳母から宮女頭になった人物なのだろう。
「体のお手入れも素香様が行っていらっしゃるのですか?」
腕を触りながら感じた疑問を口にした。
「手入れ?」
私の疑問に耀世様が不思議そうに聞き返す。
「多くの后妃様方は陛下のお渡りが何時あってもよいように準備をされています。例えば腕の産毛を剃られたりとか……」
「確かに産毛一つないな」
耀世様の言葉に私は頷く。毛の感触がないだけでなく剃った後の感触すらない。おそらく全部抜いているか……抜けてしまっているのだろう。
「も、もうよろしゅうございますか」
耀世様がのぞき込んでいることに恥じらいを感じたのだろうか、雪梅様は慌てて手を引き抜かれる。その瞬間、微かだが爪の先が触れた。
「爪……どうされたんですか?」
深爪しているという次元ではなく、キュッと縮まったような感触がしたのだ。
「あまり栄養を取られないため爪が薄くなってしまわれています。医療の知識もないくせに、興味本位で病床のお体をそんなに見てくださいますな」
私の疑問に答えてくれたのは素香様だった。そう言うと、もうこれ以上この部屋にいてくれるなと言わんばかりに、私達の背中を押して部屋から追いやる。確かに病気の時に体をまじまじとは見られたくないだろう。
「しかし毒見役もいて何故体調が悪くなるのだ?」
部屋から出ると、耀世様は私にそう尋ねた。
「おそらく本当に微量の薬を毎日飲ませられ続けているのでしょう」
「だから毒見の体調に変化が出なかったと?」
ごく自然な論理展開だが、それを私は首を振って否定する。
「毒は食事に盛られているわけではございません」
その推理に耀世様は驚きの声を上げたのは言うまでもない。
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