猛毒となる解毒剤《其の弐》
「それで……なぜ耀世様が同行されるのでしょうか」
雪梅様の部屋へ向かう準備をしている時、私の部屋に宦官の姿をした耀世様が現れた。率直に尋ねてみるが、耀世様は気にした風もなく入口で私の準備を待っている。
「後宮で体調が悪い人間がいると聞いたからな」
確かに宦官時の耀世様は後宮を統括するような立場にいる人間だ。正三品の后妃様の体調が悪いと聞けば、その容態を見に行くというのは自然な気もする。
「今まで行かれていなかったんですか?」
耀世様に手を引かれつつ廊下を歩きながら、そっとそう尋ねてみる。体調が悪くなったのは半年前だ。本当に雪梅様の症状を確認に行くならば、もう少し早く行っていてもおかしくない。
「一年前、体調を壊した時に瑛庚が見舞いに行ったようだが……。体調が悪いという后妃の様子を毎度伺いに行っては後宮中で謎の病が蔓延するだろ」
後宮の皇帝を担当する瑛庚様は、各国や貴族間の対立を防ぐために基本的には正二品以上の后妃の元にしか渡られない。もし「病気になれば陛下のお渡りがある」というような噂が流れれば、本当に謎の流行病が後宮を脅かすだろう。
結果として后妃様方は体調を崩されないかもしれないが、全部の部屋に行く瑛庚様が体調を壊しかねない。
「それにな……正三品の部屋の側の庭は見事と聞いてな。蓮香と一緒に行きたかったんだ」
なるほど……。それが本心かと軽く呆れる。
「雪梅様はお名前に梅が入っていらっしゃるにも関わらず、鈴蘭の君と呼ばれていますものね」
従一品の后妃様方には一つの宮を用意されているが、正三品の后妃様方には『部屋』が用意されている。それでも宮女の部屋のようにミッチリと部屋と部屋が密集しているのではなく、その間に通路のような小さな庭が存在する。
雪梅様の部屋は角部屋ということもあり、少し広い面積があるようだがその庭一面に鈴蘭を植えているという。春先には白い敷物を敷いたようになることから、後宮内のちょっとした名所になっている。
「蓮香は行ったことがあるのか?」
少しがっかりしたような口調の耀世様に思わず苦笑する。
「鈴蘭の噂を聞きつけて林杏が昨年、連れて行ってくれました」
残念ながら『白い敷物を敷いたような景色』を見ることはできなかったが、その庭に足を踏み入れた瞬間、緑の香りに包まれたような錯覚を覚えた。その奥に微かに華やかですっきりとした鈴蘭らしい香りが漂ってきた。
宮女らが多数出入りすることを知っていても決して怒ることもなく、それを眺めることもなく部屋の奥にいる雪梅様らしい花だと感じたのを覚えている。
「ですので、おそらく今日訪れても花は咲いていないと思いますよ。花が見られるのは、あと一月か……二月後のことでございます」
今度はさらに落胆するかな……と遠慮しつつ、そう伝えたが意外にも耀世から返ってきた言葉は明るかった。
「何、その時もう一度行けばいい」
なるほど……と感心しながらも、それは難しいだろうと心の中で思っていたがあえて口にはしなかった。
後宮では特定の宦官と宮女が恋愛関係になることを禁止している。后妃だけでなく宮女も建前上、『皇帝のもの』だからだ。万が一宦官との関係が発覚した際は、死罪になることもある。
そのため今回のように大義名分がなければ宦官であっても耀世様と一緒に鈴蘭の庭を訪れることは難しいだろう。そう考えると、少し寂しい気もしてくるから私も現金なものだ。
◇◇◇◇
案の定、雪梅様の庭の鈴蘭が出迎えてくれることはなく、微かな緑の香りだけを楽しむだけになってしまった。しかし雪梅様付きの宮女は歓喜しながら私達の来訪を歓迎してくれた。
「耀世様っ!?」
最初に迎えてくれた宮女は叫ぶようにして、そう言った。
「雪梅様! 雪梅様! 宦官の耀世様がお見舞いに来てくださいました!!」
その宮女は慌てたように部屋の奥へと入っていく。決して広くはないが、入口から入って一部屋、その奥にさらに寝室があるのだろう。
少しするとバタバタと最初の宮女が戻ってくる足音が聞こえた。
「今、雪梅様は仕度をしておりますので、今しばらくお待ちくださいませ。いつ陛下がいらしていただいても問題ございません」
「いや、私はこの者の供で参っただけだ」
耀世様の言葉に、宮女は「えっ」と明らかに落胆した声をあげる。おそらく陛下直属の宦官である耀世様が見舞いにくる、ということは近々陛下からのお渡りがあると勘違いしたのだろうか……。
「尚儀局の氾蓮香でございます。小芳様から毒を盛られている可能性があると伺いました。その解決にあたって欲しいと依頼がありましたので――」
「尚儀局の者に何ができるのです」
先ほどまでの浮かれていた声とは打って変わり、呆れつつも怒りを帯びたような声が返された。確かに医療の知識もない尚儀局の人間に何ができるのだろう……と不満に思う気持ちは分からなくもない。
「蓮香には医療の知識はないが、これまで様々な謎を解いてきている」
「左様でございますか……」
耀世様の援護ににわかに宮女の態度は変わるが、それでも私に対して警戒心を解いていないのは伝わってくる。
もしかするとこれが耀世様の本当の目的なのかもしれない。私の読みもまだまだなぁ……と反省させられた。





