猛毒となる解毒剤《其の壱》
「はい。これで発注していた帯、全部預かりました」
そう言って小芳様は四本の帯を木箱へ丁寧にしまう。尚儀局長である彼女が最終的に納品の確認をするのが決まりとなっている。
「今回もどれも素晴らしい出来栄えだわ」
感嘆するような口ぶりでそう言ってもらえると、例えお世辞だとしても嬉しくなる。こういう細かな気づかいができるからこそ、小芳様は尚儀局の長になれたのかもしれない。
「それでね……。大変申し訳ないのだけど、個人的な仕事を一つお願いできるかしら?」
それは意外な申し出だった。
私ができる仕事は残念ながら限られてくる。おそらく帯を織って欲しいということなのだろうが、それを私的に小芳様から依頼されることに少なからず驚いていた。
「構いませんが……どういったご依頼で?」
驚きはするものの、これまで母親のように優しく接してきてくれた小芳様だ。力になれることがあれば協力はしたかった。
「知っているかもしれないけど、私の姪が正三品の后妃として後宮に入宮しているんだけどね……」
「雪梅様でございますね。存じ上げております」
各局の長に就任した宮女の親戚は、後宮や外宮で活躍するのが一般的だ。しかし小芳様はそれをあまり良しとしていない。
そのため姪の雪梅様の入宮話が持ち上がった際、本来ならば従二品以上の后妃になることも可能だったが、正三品の后妃の地位に留まった。そのことで小芳様の清廉潔白さが後宮で再認識されることになった。だからこそ雪梅様の存在は記憶に新しい。
「その雪梅の調子が悪くてね。誰かに毒を盛られているのかもしれないと心配になって――」
話の内容はかなり深刻な話だが自分の気持ちがパッと明るくなるのを感じた。小芳様から『帯を織れ』と言われ、落胆しなくて済んだからだ。
「雪梅の乳母に当たる人物が宮女頭を務めているんだけど、彼女は薬にも詳しいことでも知られているの。そんな彼女が付きっ切りで看病しているけど全く良くならなくてね」
「薬に詳しい――。珍しいですね」
後宮の医師は宮医と呼ばれている。その助手を務める宮女もおり、彼女達が薬や医療の知識があるのは自然だが、地方貴族の令嬢の乳母を務める人物がそんな知識を持ち合わせているというのは不思議な話だ。
「医師の妻だったのよ。夫に先立たれたこともあって、雪梅が後宮に入ると分かった時、一緒についてきてくれたの」
なるほど、と感心している私を他所に小芳様は、さらにその乳母の人物について語る。
「本当の娘みたいに可愛がってくれてね。一年前、雪梅が体調を壊した時も献身的に看病してくれてね。それがきっかけで宮女頭にもなったのよ」
后妃一人に対して数人の宮女が侍女として配属されるが、それをまとめる人物を後宮では“宮女頭”と呼ばれている。その后妃の部屋の中だけだが他の宮女に対する采配権を持つことができ、給金の額も高くなる。『宮女頭』となることを一つの目標としている宮女も多い。
「一年前にも体調を壊されているんですね」
「ええ。ただその時は半月もしないで体調が回復してね。慣れない環境のせいだったのかと、ホッとしていたんだけど……」
独特の文化を持つ後宮での生活に音を上げる后妃や宮女は多い。后妃の場合は「やっぱり後宮の生活は嫌です」となっても実家へ帰ることはできない。そのため多くの后妃は現実と折り合いをつけるわけだが、中にはそのまま体調を崩し、亡くなる――という事例もあるらしい。
「半年前に倒れた時も乳母がいるから大丈夫だろう。いつか回復するだろうって思っていたんだけど未だに床に伏していているのよ」
適切な薬を与え続けているにも関わらず半年も病状が改善しない――ということは、不治の病か小芳様が懸念されているように毒を誰かに盛られている可能性が出てくる。
「ちなみに宮医はなんと診断しているのですか?」
私には医療的知識がないため、専門家以上の診断ができる自信はない。
「それが毒を盛られている可能性があると言うのよ」
「ならば毒見役をつければいいだけではございませんか?」
身分の高い后妃様にしか毒見役を付けることはないが、それでも正三品の后妃でさらには小芳様の姪ならば毒見役を付けることも可能なはずだ。直ぐに死ぬわけではないにしても、毒見役がつくことで料理を提供される過程で毒が盛られる可能性は減少する。
「実は……つけているのよ」
「え!?」
予想外の反応に思わず驚きの声を上げる。
「最初に毒の可能性が浮上した際に毒見を付けるように申し付けたんだけど、誰も体調不良を訴えていないの」
半年も病床にいることを踏まえると直ぐに死ぬような毒ではないか、ごく少量を与え続けているのだろうが、それでも毒見役に体調の変化が出ないのは不思議だ。
「それでは明日の昼にでもお見舞いに伺わせていただきます」
私がそう言うと、小芳様は「ありがとう」と高い声を上げて私の手を握った。姪の体調を心から心配していたのだろう。
「忙しいのにごめんなさいね」
私は微笑みながらゆっくりと首を振る。
「四本の帯を同時に仕上げることを考えれば、全然忙しくありませんよ」
私の明らかな嫌味に対して小芳様は苦笑しながら、「じゃあ、よろしくね」と木箱を抱えて私の部屋を後にした。





