神の乙女《其の参》
「后妃様に激昂されるなど珍しいですわね」
乱暴に掴まれた手に引きずられるように廊下を歩きながら私はそう尋ねた。
瑛庚様は基本的に女性に対しては誰に対しても平等に優しい。彼女達が欲しい言葉や行動を誰よりも知っていて、それをすんなりと与える機転もある。おそらく皇帝でなかったとしても女泣かせな男になっていたに違いない。だから今回の彼の反応は意外だったのだ。
「そんなに神託に左右されるのが嫌でございましたか?」
かつては各地にある神殿が権力を持っていた時期もあった。それこそ政治に口を出す神殿も現れ政治が乱れた時期もあったという。その時代を反省し、現在は神殿の総本山は都から少し離れた場所に位置するようになった。
「それもあるけど――、蓮香が『禍』であってたまるか」
大股でズンズンと歩く瑛庚様に小走りについて行くのがやっとだったが、私は思わず足を止めて吹き出す。
「そんなことで怒っていらっしゃったのですか?」
「蓮香は腹が立たないのか?!」
瑛庚様も数歩先で立ち止まると、勢いよくそう言って私に振り返った。
「腹なんて立ちませんよ。正直、『後宮の禍』と言われれば否定しませんよ」
『神の乙女』の言い分は納得できる。これまで後宮で起きた事件が全て私のせいだと言われれば否定するが、今後については否定はできない。
皇帝からの寵愛――もしそれが耀世様からだけのものだったならば、何も問題はなかっただろう。瑛庚様が後宮担当として他の后妃にも均等に愛を振りまいてくだされば、後宮では問題は生じないに違いない。
だが現実は違う。
「新たに后妃様が選定されていますが、その后妃様方の元へお渡りになられましたか?おそらく今まで以上に問題は出てくるでしょう」
「蓮香は俺が他の女の所へ行って欲しいの?」
行って欲しいか欲しくないか――と聞かれると正直、『行って欲しくない』というのが素直な感想だ。だがそれは私が決して口にしていい言葉ではない。その言葉を口にしてしまえば、それこそ本当に禍になってしまう。
「それが陛下のお仕事ではございませんか?」
私の言葉を瑛庚様は、ふんと鼻で笑い
「そんなに唇を噛んで、何が『仕事』だよ……。分かりやすいな」
と言う。その段になり、自分が初めて下唇を噛んでいたことに気付かされた。
「これでも我慢しているんだ。後宮なんていらない。后妃だって蓮香がいてくれれば、それでいい」
瑛庚様はそっと私の頬に手を添えて絞り出すように、そう言った。
「本当にすまなかった!!」
次の日、昼間に現れた耀世様は頭を長椅子に擦りつけんばかりに下げて、そう謝罪した。
「やめてください耀世様。瑛庚様が連れ出してくださったので大丈夫でございますよ。それより昼間にこちらに来て大丈夫でございましたか?」
政務を担当している耀世様は、昼間後宮に来ることはほぼない。夜になれば会えるにも関わらずこうして訪れたのは、『神の乙女』とのやり取りを瑛庚様から聞かされたのだろう。
「大丈夫だ。それより『神の乙女』の言葉を鵜呑みにした者が現れないか心配で――」
「あれは――『予言』ではございませんよ」
私は林杏が入れてくれたお茶を耀世様に差し出しながら、静かにそう伝える。人払いはしているが、誰かに聞かれたら大問題だ。
「しかし、そなたの目のことも当てたではないか――」
「そうですね……。ただ私の目が見えない理由は私自身も分かっておりません。気づいたら失明しておりましたので。ただこの事実は隠しておらず、一部では有名な話でございます」
おそらく『神の乙女』は陛下が毎夜渡っている宮女について徹底的に調べたに違いない。そして調べがついた時点で陛下に「会いたい」と伝えたのだろう。
「陛下が毎夜、私の元へ渡られているのは周知の事実ですので、寵愛していると勘違いなさったのでしょう」
「寵愛しているではないか!」
よく分からない方向性で激怒され、私は小さくため息をつく。
「一番気になりますのは『予言』が、かなり漠然としていたことでございます。ああ言えば聞き手が勝手に足りない単語を補って自分にいいように解釈できます。誰でも当てることはできますよ」
「その通りでございます」
消え入りそうな声が背後から聞こえ、私は慌てて入り口に視線を送る。足音がしたならば気づきそうなものだが、それが聞こえてこなかったのは『神の乙女』として修業を積んだ成果なのだろうか。
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