神の乙女《其の弐》
「本当にすまん」
部屋に来るなり耀世様が真摯に謝るので私は思わず吹き出しそうになる。
「何か謝られるようなことでもなさりましたか?」
「いや、林杏が新しい后妃を迎えて、そなたが怒り心頭と聞いたのだが……」
なるほど……後で林杏を絞めておかねば……と内心は思うものの、私は笑顔で耀世様の手を取る。
「全く気にしておりませんので大丈夫でございますよ」
「全く気にしないのか?」
耀世様はそう言いながら、私の手をギュッと握り返す。そういえば彼はちょっと面倒な奴だったことを思い出す。
「『神の乙女』を従一品の后妃様にお迎えになられたことでございますよね?名誉なことではございませんか」
「急なことで、ちょっと面食らったんだが……」
確かに後宮を出発する際は『神の乙女』が后妃になる話など一つも出ていなかった。
「従一品になられた際には、『淑妃』様になられるとか。私がこの宮を出ていく必要がございましたら、いつでも仰ってくださいね」
現在、私が作業場としている部屋は元々淑妃に宮として与えられたものだ。ただ一般男性との密通、殺害が判明し『淑妃』の身分ははく奪され現在は離宮で過ごされている。
「そなた、少し物分かりが良すぎるのではないか?」
「いえいえ、今私が与えられすぎているのでございます。元の生活に戻るだけでございますよ」
確かに宮は広く住み心地も最高にいい。機織り機を三台導入しても狭さを感じさせないという点では非常に魅力的な作業場だが、常に機織り機が三台必要なわけではない。
むしろ私がこの宮を使い続けることで『神の乙女』から妬みや怒りを感じる方がよっぽど怖い。
「それで……その……。申し訳ないついでに一つ頼めないだろうか?」
珍しく歯切れの悪い耀世様に首を傾げながらも
「はい、何でしょう?」
と私は彼の頼み事を早く言うように促す。
「実は……、その『神の乙女』がそなたに会いたいと言っておって……な」
「私ですか?」
やはり、この宮を使うことに立腹されているのだろうか。
「そう……なんだ」
耀世様の最初の謝罪に『神の乙女』との面会が含まれていたことにようやく気付かされる。
「別にいいですよ?」
「いいのか?!」
私がアッサリと快諾すると、耀世様は飛びつかんばかりにそう言って私を抱きしめた。
「別に后妃様方に呼ばれてお会いすることは、今回が初めてではございませんよ」
そして后妃様方との面談は決して楽しいものばかりではないのも既に慣れている。
「あぁ……うん……そうだが……」
耀世様が再び歯切れが悪くなった理由を知るのは、『神の乙女』と面会した時だった。
「やはり陛下、これが後宮の禍でございます」
『神の乙女』に挨拶するや否や、そう短く宣言された。
「禍?!」
隣に座っている瑛庚様は素っとん狂な声を上げて、その神託に似た宣言を聞き返す。
「神殿にいた時から感じておりました。後宮に禍となる存在がおり、それが後宮での諍いの原因となっていると……」
確かに私の元へ皇帝の二人が訪れるようになってから、以前にも増して死人や犯罪者が増えているが『私が原因』というと少し違うような気もする。
「おそらく神はこの禍を取り除くために私を後宮へ遣わしたのでしょう。一刻も早くこの者を追い出しなさいませ。あと――。その者の目が見えないのは呪いのせいでございます」
「表情一つ変えず、凄いことを言うな」
後宮を追い出されるのか――と危惧していると、厭きれたような声で瑛庚様はそう言い放つ。
「『神の乙女』はその言動が予言につながります。大声で笑えば『深刻な病』、泣けば『死が迫っている』、身震い一つでも『投獄』を暗示することになります。そのため無表情で静かな状態を務めていらっしゃるのです!」
瑛庚様の物言いに『神の乙女』の傍にいた宮女がそう抗議の声を上げる。
「だが既に元『神の乙女』だ」
短くそう言い切った瑛庚様の言葉にその場にいた宮女らの口から悲鳴ににた抗議の声が飛び交う。
「確かに私は蓮香を寵愛している。それで後宮内で諍いが起きるならば、それは蓮香のせいではなく皇帝である私のせいだ」
皇帝が一人の后妃を寵愛し、後宮内での力関係が崩れる……というのは、よくあることでもある。
「それについて皇后でもないそなたに口を出されるとは思っていなかった。不快だ」
苛立った様子で瑛庚様は、『神の乙女』の隣に座っていた椅子から立ち上がり私の元へ歩み寄ると、腕をつかんで立つように促す。
「ですが――これは神託なのでございます」
静かにそう言い放つ『神の乙女』の表情はこの段に及んでも無表情なのだろうか。そんな疑問がわいてきた。
「いいか、確かに神殿内ではその『神託』で全てが回っていたが、ここは後宮だ。勘違いするな!いくぞ蓮香」
珍しく激昂している瑛庚様に引きずられるようにしながら、『神の乙女』の部屋から連れ出されることとなった。そんな私の耳には静かに涙を流す音が届いていた。
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